皆さん、こんにちは。
 霧隠です。

 唐沢山城の見所は、戦国時代のわずか35年の間に、城主が佐野氏、上杉氏、
 北条氏、豊臣氏と4代かえており、それぞれの家の遺構が良好な状態で残って
 いることです。

 簡単にご説明すると・・・

 1.佐野氏 → 大規模な竪堀
 2.上杉氏 → 連続竪堀
 3.北条氏 → 北条流虎口
 4.豊臣氏 → 高石垣

 の4つです。

 今回の説明会は、安蘇史談会のOさんと同じく安蘇史談会会員で唐沢山城の
 発掘調査をされているMさん。

 こちらの参加者は、小笠原先生も含めて、11名。

 簡単な自己紹介の後、さっそく説明会開始。
 まずは、お城の周辺のご案内。
 大沢と呼ばれる田んぼの中に、“櫓田”という地名が残っており、どうやらこの
 場所に櫓があったのでは・・・と推測したり、田んぼの中にもさりげなく土塁
 が残っていたり、虎口が残っていたりと、一見するとただの田んぼの中にも400 
 年前の遺構がそのまま残っている・・・というのが茂木さんの説明でよく分か
 りました!

 そのまま佐野氏歴代のお墓をお参りし、本丸に向かいます。
 「佐野氏歴代のお墓」 

 途中、虎口の土塁が残っていたり、曲輪もありました。
 一見して素通りしてしまいそうな場所で、立ち止まる小笠原先生。
 どうして分かるんですか〜というほど、するどいご指摘。

 負けずに茂木さんもあそこにも遺構が、こっちにも遺構がとご説明。
 こうして説明を受けないとみすごしてしまう、唐沢山城。
 土塁や竪堀などは某の腕ではただの土にしか写らないので、撮影しませんでし
 たが、石垣くらいはなんとか撮れました。

 「北条氏の石垣?」 

 北城という本丸から最も遠い曲輪の裏側にこっそりあります。
 ここは皆川氏からの攻撃を防御する役割があります。
 尾根伝いには堀切があります。
 *堀切の写真はなんだかよく分からないので、撮影せず・・・

 それから一旦、本丸に戻り、昼食後、鏡岩と虎口を見学。
 鏡岩とは・・・鏡のように透明なこの岩が西日を反射して上杉軍の攻撃を邪魔
 したと・・・
 「鏡岩からの風景」 

 それから天狗岩で関東平野を堪能。
 偽物枡形もしっかり見学。
 ここの石垣は明治時代に唐沢山神社を作る際につくったまがいものです。

 それから、三の丸、二の丸と見学し、その途中に見事な空堀も見ながら到着し
 ました、唐沢山城が誇る高石垣。
 小田原合戦後に北条氏が滅亡した後、豊臣家臣の富田氏が佐野氏に養子に入り、 
 その際に、近江の穴太衆を連れてきて作ったという高さ7mにも及ぶ石垣。
 関東でもここまでの石垣は少ないと思います。

 「高石垣」 

 さらに、本丸のそばにある通称ビックリ石。
 大阪城の大手門そばのものが有名ですが、豊臣家臣の手になるこの唐沢山城。
 さりげなく廻りの石からひときわでっかい石が門の左右にございます。

 「ビックリ石」 

 その後、さらなる石垣探索の旅は続きます。
 その前に、上杉家臣の色部氏が作ったのではといわれている堀切を見たり、上
 杉流の連続竪堀も見学しました。
 ちっちゃいながらもその保存状態は良好でした。
 でも、ちょっとガケを降りないとたどりつけません。

 さて、南城と呼ばれるこの場所の下にも石垣があります。
 高さは5mほど。
 そのかどっちょは見事な「算木積み」です。
 さすが豊臣氏。
 その技術力には脱帽です。

 「南城下の算木積み」 

 算木積みとは、石垣を

 ——
  ——
 ——
  ——

 こう交互に積み上げて、強度を高める技術です。

 その後は、メインの後北条氏の虎口を見学。
 ここも保存状態は良好で、見事な空堀があるのですが、この凹凸感を撮影する
 のは至難の技。

 

 こんな感じの空堀がございます。

 しかぁ〜し、この後北条氏の虎口は、城郭体系の縄張り図には載っていないの
 です。
 ご注意を。
 その場所は、露垂根神社への道の途中にあります。
 本当は、案内板などあればいいのですが、実はこの唐沢山城。
 関東7名城の一つでもあり、関東に珍しい高石垣や、上杉の連続竪堀、後北条
 氏の虎口などすばらしき遺構の宝庫にもかかわらず、なんと、なんの指定もな 
 いのです。

 国指定遺跡でもなければ、県指定でもなく、市指定の遺跡でもないのです。
 個人の所有なので、説明板も少なく、この後北条氏の見事な虎口の場所を知っ
 ている方も少ないのではないでしょうか。

 ・・・本当に素晴らしいのに。

 さて、今まで、唐沢山城というと、この本丸下の高石垣ばかり目についており
 ましたが、今回、堀切、竪堀が縦横無尽に存在し、しかも、尾根伝いに砦があ
 り、広大な一大城郭を形成していることが分かりました。
 さらに、後北条氏のものと思われる石垣もあります。
 (八王子城のような石垣です。でも、佐野氏が作ったかも)

 「後北条氏の石垣? その2」 

 この石垣は尾根の途中にあります。
 こうした石垣の目的は、やはり尾根をつたって攻めてくる敵兵を遮断する意味
 合いもあったのでしょう。

 さらに、こんな石垣もあります。
 「土橋下の石垣」 

 田沼方面へ戻るガードレールの間にこっそりとあります。
 土橋の下にある石垣。
 なかなかの風情です。

 それにしても、5時間じっくり見ても、全ての遺構を確認できない唐沢山城。
 まだまだその全貌はあきらかになっておりません。

 最後に、家臣団の屋敷跡そばの空堀を見学し、佐野ラーメンを食べて解散しま
 した。
 それにしても、関東横断道路ができると、この唐沢山城も分断されてしまう怖
 れがあります。

 は、早く、国指定とまでいかなくても、県指定史跡になって欲しいものです。

 それはさておき、一日丸々ご案内してくださったMさんとOさんに感謝い
 たします。

 そして、ご参加くださった皆さん、お疲れ様でした!
 今年はこれからも北条氏関連のお城めぐりを続けたいと思いますので、よろし
 くお願いいたします。

 それでは〜

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