皆さん、こんにちは。
霧隠@山城石垣ファンです。
唐澤山城へハイキング♪ 報告2です。
麓の屋敷跡を観察した後に、いよいよ田沼口から山頂を目指しました。
先週もご報告したように、こちらはちょいと急ですが、約10分くらいで
登れます。
一気にたどり着いた某一行は、M殿手製の「麦ジュース」で乾杯!
ウコン入で大変おいしゅうござりました。某は立て続けに3杯も飲んで
しまいました(^^)
それからレストハウスに昼食をとりました。某はカツ重を食べましたが、
できあがりの時間はかかりましたが、結構おいしゅうござりました。
食事の間に、Oさんに唐澤山城のいろいろなお話を聞く事ができました♪
2時くらいになり、さて、でかけようとしたその時、足利方面を攻略されて
いたO殿の一行に無事、合流し、一緒に虎口、鏡岩、天狗岩、旧本丸、三の丸、
四つ目堀、帯曲輪などを見て(途中、堀切のすごさを体験し)、
いよいよ豊臣時代の高石垣見学。
・・・の前に、訂正です。先週の某のレポートで、入り口の枡形や、石垣が
立派と書きましたが、どうやらこれらの石垣は、明治になって唐沢山城神社
の建設の時に作られた「まがいもの」とのこと。その証拠に「円」と書かれた
石碑が組み込まれており、さらに、どうみても積み上げ方が雑なのが、この
高石垣からも分かります。極めつけは、二の丸の奥の入り口の門の石垣。
古地図には載っておらず、これも後で車が通れるように作ったとのこと。
あやうく嘘の報告をするところでした。お詫びして訂正してしますm(_)m
さて、この高石垣、1592年、小田原征伐で北条氏康六男氏忠の代わりに唐澤山城
に入城した、豊臣秀吉家臣の富田知信ニ男の信吉が、豊臣家の財力を使い、築いた
石垣で、本丸、南城をぐるっと囲った立派な石垣です。さらに、南城には、
算木積みがしてあり、400年前当時の石垣がそのまま残っています。
が、引局の石垣は、どうやら神社の参道にするため、道を広げるために石垣を
組みなおしたようで、荒っぽく、計算されていないつみ方になったいます。
この石垣を見比べれば、唐澤山城の「本物」の石垣と唐澤山神社建設の際に積み
直した石垣が分かります。
唐澤山城を堪能する際のチェックポイント1は「まがいものの石垣にはご用心!」
です。本物を見る眼をこの高石垣で身につけましょう♪
(向かって左側が本物、右側がにせものです)
と、高石垣を見ているときに、M殿参上。
そのまま、本丸(現在は藤原秀郷公を祭っています)に参りました。
集合写真を撮った後、算木積みの南城の石垣を見に行きました。
唐澤山城は400年前に廃城になって以来、ほとんど放置されており、明治になって
唐澤山神社を建設するに及んで、草木が生い茂っていた、この場所を焼き払ったら、
この立派な石垣が出てきて地元の方はビックリされたようです。
それからつつじが丘に行き、ちょっと道を間違えながら
(すみませんでしたm(_)m)、後北条氏時代の虎口を探して、堀切を登ったり、
戦国時代の道を歩いたり(要は迷子♪ 重ね重ねすみませぬm(_)m)、
ハイキングというより、戦国の兵士さながらの行軍をしていた、某一行は、
ついに発見! 後北条氏の虎口を。この唐澤山城は5年ほど、北条氏の支配化に
入り、氏康公の六男、氏忠公が城主になっており、その当時に北条流のみごとな
虎口を作っております。竪堀、堀切、土塁や側面からの監視や攻撃を意図した
「折歪(おりひずみ)」を二重に作ってあり、その当時の遺構がそのまま残って
います。これにはちょっと興奮します。
なだらかな道を敵兵が進むと、行き止まりになり、左右の土塁からいきなり兵が
現われ、弓矢で攻撃するその縄張りはみごとというしかありませぬ。
攻撃的な虎口です。
たっぷり堪能した後は、上杉流の連続竪堀を見にレッツ・ゴー!
ということで、またまた長くなりそうですので、ここで一旦終了します。