皆さん、こんにちは。
霧隠です。
鬼ノ城。
それは鬼が住むというお城!?
鬼ノ城には1つの物語が語り継がれています。
その名も「温羅伝説」。
この話がベースになって今に伝わる桃太郎伝説が生まれたという。
(とはいえ、桃太郎伝説は全国にあり、香川県、愛知県、山梨県などにあります。
あるときある岡山県知事がひそかに岡山桃太郎説をさりげなく広めていったとい
ふ話もあるともないとも)
温羅伝説とは、百済から来た鬼神のような大男、温羅が西国から都へ送る貢物や
婦女子をしばしば略奪したり、 気に入らぬ者は大きな鉄の釜(=鬼の釜)で煮て
食べたりしていたことから人々は大和朝廷に討伐を願い出ます。
その願いを聞きとげ、大和朝廷は武勇優れた吉備津彦命を派遣します。
温羅は鬼ノ城から大岩を投げ、吉備津彦命は矢を放ちます。
大岩と矢は空中でぶつかり、海に落ちていき、なかなか決着がつきません。
*このときの岩と矢のぶつかった場所が現在の「矢喰神社」です。
あるとき、吉備津彦命は地元の神様の助言を聞き、矢を2本つがえひょうと放ち
ます。
1本は大岩にぶつかり海に落ちるが、残り1本の矢が温羅の左目に命中します。
* このとき温羅の目から流れ出た血で川が真っ赤にそまり、以後その川を血を吸
* った川、「血吸川」と呼んでおります。
目を負傷した温羅は雉(きじ)に姿を変えて逃げます。
追う吉備津彦命は鷹に姿を変えます。
そこで、温羅は鯉に姿を変えて、血吸川に逃げ込みます。
しかし、吉備津彦命は鵜(う)に姿を変えて、ついに温羅をくわえて捕まえてし
まいます。
*このとき、鯉に化けた温羅をつかまえた場所が「鯉喰神社」です。
捕らえられた温羅は処刑されます。
しかし、吉備津神社の御釜殿の土中深く首を埋めさせたものの、 なお十三年間、
うなり続けたようです。
そのとき、温羅が夢枕に立ち、自分を供養することを伝え、その通りにすると吉
凶のあるときには、この釜がうなるようになったそうです。
*これが吉備津神社の鳴釜神事だそうです。
温羅伝説は以上になりますが、桃太郎と関係するのは、温羅が雉になって逃げる
ところくらいです。
・・・しかも、鬼である温羅がです。
なんか、桃太郎伝説との関連性は弱いような・・・
総社市のHPを見ると、新説温羅伝説と銘打ち、通説の温羅伝説とは違った解釈
を打ち出しています。
それによると、温羅は百済から来た王族で、吉備の国の逃れてきました。
そんな百済の王子を温かく迎え入れた吉備の人々。
その優しさに感激した王子は、当時文化が進んでいた朝鮮の造船技術や製鉄技術
を教え、朝鮮式山城を築きます。
王子の教えた製塩・製鉄の技術によって、吉備の国は繁栄していきます。
王子のお蔭で繁栄を享受した吉備の人々は王子を吉備の冠者と呼んで尊敬してい
たようです。
そんな平和を享受していた吉備の国に当時倭の国を統一しようとしていた大和朝
廷の魔の手が伸びてきます。
あとは、同じ話なので割愛しますが、吉備津彦命に敗れた吉備の冠者は討ち取ら
れてしまいます。
さて、神話の話を真面目に考えるのはどうかと思いますが、温羅と吉備津彦命の
戦いは一体何を語ってくれるのでしょう。
663年白村江の戦いに敗れた日本軍は朝鮮から撤退すると同時に、唐、新羅軍
が海を渡って日本に攻めてくることを本気で怖れます。
そのため、665年には太宰府そばに大野城を築きます。
と、同時に日本全国各地に山城が築かれます。
その山城は朝鮮式山城と呼ばれるものです。
多分、敗れた百済の王族や技術者集団が逃げてきたのか、招かれたのか彼らの技
術によって多数の山城が築かれたのでしょう。
鬼ノ城も百済の王族の一人が逃れて、その技術力をかわれて鬼ノ城を築いたのか
もしれません。
しかし、あまりにも有能過ぎ、吉備の人々に慕われすぎて、不安になった大和朝
廷の手で忙殺されたのではと思いました。
それでもまだ疑問が残ります。
温羅は鬼ノ城から逃げる際に、なぜか敵の後方に逃げるのではなく、吉備津彦命
のいる方に向かって逃げるのです。
図に書くとこんな感じ。

ええと、いかに神話の時代といったって、どこの時代に3キロもの飛距離の矢を
飛ばす人がいるのだろうか!?
ええと、見た目500キロはある巨石を3キロ以上ぶん投げる人間がいるだろう
か!?
さすが、神話の世界。
スケールがでっかいです。
でも、なぜに温羅は吉備津神社のいる南に逃げたのか。
通常敗北して逃げる際には敵軍とは逆に逃げるのでは?
・・・島津軍を除いては。
勝手な推測をすると、吉備の冠者と吉備の人々は大和軍を苦しめ、大いに吉備津
彦命軍を破り、もしかしたら、鯉喰神社辺りで吉備津彦命を討ち取ったりしたの
ではないでしょうか。
なぜか、矢喰神社の祭神は吉備津彦命の息子がなっています。
息子の代にようやく吉備の国を征服できたのかもなんて思ってしまいます。
真相はわかりませんが、ちょっと疑問に思いました。
自転車で実際に矢喰神社、鯉喰神社にも行きました。
矢喰神社には駐車場があり開けていますが、鯉喰神社はさびれていました。
神代の昔の伝説の地。
吉備の国の地に降り立った百済の王子。
彼の素性は本当はどうだったのか。
興味深い古代の浪漫を感じます。
という思いを感じながら自転車を返しに備前一ノ宮駅に向かいました。
(注)備前一ノ宮駅は吉備津駅の隣の駅ですが、ちょっと分かりにくいです。
お気をつけを。
次回は、備前の雄、宇喜多氏のお城、忍山城についてご報告いたします。
それでは〜