<第54話 オトタチバナ姫の身代わり>
ゴォォォォォ…
ビュゥゥゥゥゥ…
ヤマトタケル達一行が走水海を渡ろうとしたとき、海峡の神が荒波をたて、船
は前に進むことができなかった。
「このままでは船が沈没してしまう。何とかせねば…」
海の中で己の無力を嘆くヤマトタケルに対して、
「私が皇子の身代わりとなって海に身を沈めましょう」
「何!? 何をいうのだオトタチバナ姫」
「あなたは東征の任務を成し遂げて天皇にご報告してください」
「姫! 早まるなっ!」
「あなた、今までありがとう…」
ヤマトタケルの妻、オトタチバナヒメ(弟橘比売)は、菅畳を八重、皮畳を八
重、絹畳を八重、波の上に敷いて、船からその上に下りて海に沈んだ。
すると、荒波は自然におだやかになり、船は前に進むことができるようになっ
た。
オトタチバナヒメは海に身を沈める前に歌を歌った。
さしさね 相武の小野に 燃ゆる火の
火中に立ちて 問いし君はも
(相模の野原に燃え立つ火の、その炎の中に立って、私の安否を尋ねてくださ
ったわが夫の君よ)
それから7日後…
「これは、妻の櫛(くし)ではないか…」
海岸に流れ着いた今は亡き、オトタチバナ姫の櫛を手に涙を流すヤマトタケル。
その櫛を取って、丁重に葬った。
ヤマトタケルは、そこからさらに奥へ進み、ことごとく荒ぶる蝦夷(えみし)
どもを平定し、また、山や川の荒れすさぶ神々を平定し、都に戻ろうとした。
その途中に、足柄山の坂の下にたどり着き、乾飯(かれいい)を食べていたヤ
マトタケルの前に白い鹿が目の前に現れた。
(ヤマトタケル様、あの鹿はもしや?)
(あぁ、この足柄山の神だろう)
(いかがいたします)
(これでやっつけよう)
白い鹿の姿で現れた足柄山の神に気付かれないように小声で話したヤマトタケ
ルは、食べ残した蒜(ひる)の片端を、待ち受けた鹿に投げつけると、その目
に当たって、鹿は撃ち殺された。
そして、ヤマトタケルは、その坂の上に登って三度、嘆息した。
「あぁ、わが妻よ…
あぁ、我が妻よ…
あぁ、我が妻よ…」
そこで、その国を名づけて吾妻(あづま)というようになった。
それから、その国を越えて、甲斐の国に出て、酒折宮(さかおりみや)につい
たとき、歌を詠んだ。
新治(にひばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
(常陸の新治や筑波の地を過ぎてから、幾夜旅寝をしたことだろうか)
すると、夜警の火をたいていた老人が、この歌に続けて、
日日(かが)並べて 夜には九夜 日には十日を
(日数を重ねて、夜は九夜、日では十日になります)
と歌った。
「見事な受け答えだ。ご老人よ、そなたに東国造(あずまのくにのみやっこ)
の称号を授けよう」
<参考文献>
講談社学術文庫:古事記(上)全訳注(次田真幸)
+++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
皆さん、こんにちは。
キリです。
ちょっと今回はいつも以上に原作よりも私の演出部分が多くなっています。
古事記にはオトタチバナヒメがヤマトタケルのために海に身を沈める際に、彼
女に声をかけていませんし、海辺で見つけた妻の櫛をもって言葉をかけていま
せん。
ただ、その場に墓を作ったとあるだけです。
ただ、物語性を出そうと創作いたしました。
日本書紀と古事記の記載の違いでは、日本書紀の方がちょっとドライです。
まず、海が荒れた原因は、ヤマトタケルが相模(神奈川)から上総(千葉)へ
船で渡る際に、「こんな小さな海飛び上がってでも渡ることができよう」と大言
を吐き、それを怒った海神が嵐を起こしたとあります。
それを見たオトタチバナが海神の怒りを静めるため身代わりになって海に沈む
のは一緒ですが、日本書紀には古事記にある彼女の歌は記載されていません。
さらに、櫛も海岸に打ち上げられていません。
しかし、日本書紀でも関東を制覇したヤマトタケルが「あづまはや」と三度な
げいたと書いてあります。
でも、やっぱり古事記の方が情緒的というか、文学的ですね。
オトタチバナヒメがタケルの身代わりになった理由が、焼津で焼き討ちにあっ
た際に、自分の身を案じてくれたから…というものですから。
日本書紀のヤマトタケルは完全無欠のヒーローですが、古事記のヤマトタケル
はグチもいうけど、人情味があふれた非常に人間的な描かれ方をしていて、個
人的にはこちらの方が好きだったりします。
東国を東(あづま)と呼ぶのは、ヤマトタケルが亡き妻をしのんだ言葉だった
のには驚きましたが、このシーンなどはいつか映像化してもらいたいです。
大河ドラマで「古事記」が取り上げられたら楽しいかもですね。