<第56話 ヤマトタケルの白鳥伝説>
「ヤマトタケル様がお亡くなりになりました!」
「あぁ、あなた…、なんてこと」
「お父上…」
ヤマトタケルが亡くなったという知らせを聞いたその妻と子は、大和からタマ
トタケルの死んだ場所に向かい、御陵を作った。
そして、その周りの田を這い回り、泣き悲しんだ。
なづきの田の 稲幹(いながら)に 稲幹に
匍(ほ)ひ廻(もとほ)ろふ 野老蔓(ところづら)
(お陵(はか)の近くの田に生えている稲の茎に、その稲の茎に這いまつわっ
ている野老(ところ)の蔓のような私たちよ)
「あっ! あれを見ろ!」
バササッ
見ると、御陵から大きな白い千鳥が空に飛び立ち、海に向かって飛び去った。
「あれはきっとヤマトタケル様の魂に違いない!」
白鳥が海に向かって悠然と飛び去っていくのを見た妻や子は、あたりに生えて
いる竹の切り株で足を傷つけられても、その痛さを忘れ、泣きながら追ってい
き、歌った歌は、
浅小竹原(あさしのはら) 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな
(低い小竹(しの)の原を行こうとすれば、腰に小竹がまとわりついて歩きづ
らい。鳥のように空を飛ぶこともできず、足で歩いて行くもどかしさよ)
また、浜の海水に入って、難儀しながらも追っていったときに歌った歌は、
海が行けば 腰なづむ 大河原の 植ゑ草 海がはいさよふ
(海を行こうとすれば、腰が水にはばまれて歩きづらい。大河の水中に生えた
水草が揺れるように、海は水にはばまれて進むことができない)
さらに、白千鳥が飛び立って、海岸の磯にとまっているとき歌った歌は、
浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝ふ
(浜の千鳥は、歩きやすい浜伝いには飛ばないで、岩の多い磯伝いに飛んでい
った)
この4首は、みなヤマトタケルの葬儀の際に歌った。
さて、白鳥は伊勢国(三重県)から飛んでいって、河内国(大阪府)の志磯に
とどまった。
そこで、その地にも御陵をつくり、ヤマトタケルの魂を鎮座させた。
そして、その御陵を名づけて白鳥御陵といった。
しかし、白鳥はそこからさらに空高く天翔けて飛び去って行った。
「行ってしまわれた…」
こうして、ヤマトタケルの冒険は終わった。
<参考文献>
講談社学術文庫:古事記(上)全訳注(次田真幸)
+++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
皆さん、こんにちは。
キリです。
有名なヤマトタケルが死して、白鳥にかわるシーンです。
白鳥になったヤマトタケルを泣きながら追いかける人々。
古事記では非常に情緒的な描かれ方をしています。
ところが、日本書紀は非常に淡白に記載されているだけです。
但し、父である景行天皇は大いに嘆き悲しみ、ヤマトタケルのために武部(た
けるべ)という役職を定めたとあります。
それにしても、日本書紀ではグチなどひとつもこぼさないヤマトタケルも、古
事記では、グチはこぼすわ、兄を殺すわ、どっちが本当なのだろうかと思って
しまいます。
そもそもこのヤマトタケルは、いろいろな英雄たちの物語が一つにまとまった
といわれていますが、それにしても性格があまりにも違いますね。