お城クイズ答え

Q13.秀吉公が攻めた三木城。世に言う「三木城の干殺し」と呼ばれる

三木城篭城戦。一体城内の三木軍は何ヶ月城に篭城したのでしょうか?

答え
4.22ヶ月

三木の干殺しといわれる三木城ですが、城主の別所長治公はなぜ秀吉公に叛旗を
翻したのか?
もともと、別所氏は中国攻めの先鋒として秀吉に任命されました。
播磨の名族、赤松氏の一族である別所氏は、今まさに中国に向かおうとする秀吉
軍の先鋒から突如、叛旗を翻すのです。

それはなぜか?
いくつかの理由があげられています。
1.先代が39才で没した後、若い当主の後見役の2人のおじの権力争い
2.中国攻めの攻め方で秀吉と意見の相違
3.織田家の明智光秀と交戦中の波多野秀治の妹を妻にしていた

そういえば、織田信長公の妹、お市を妻とした浅井長政も突然、信長公を裏切っ
て朝倉氏と手を結びます。
この別所氏も波多野氏を容赦なく攻めたてる織田氏に反感を持ったのでしょう
か?

突然の反乱に、秀吉公は当然戸惑いながらも、断固とした対応をします。
三木城を完全に包囲し、食料はもちろん、水もくみにいけないような厳重な包囲。
織田氏と敵対していた毛利氏も何度か三木城に兵糧を運ぼうとするも撃退されま
す。
その間に、三木城の包囲のために秀吉公の援軍を期待できなくなった上月城の尼
子氏と山中鹿ノ介は見殺しにされてしまします。
また、秀吉公の軍師、竹中半兵衛もこの滞陣中に陣没します。
秀吉公の副将だった荒木村重も毛利に寝返ってしまいます。

それでも、秀吉公の包囲は解かれることなく、22ヶ月がたちます。
1年10ヶ月に及ぶ篭城戦は、当然城方の兵糧は欠乏し、水も不足します。
城内の兵は死肉をくらい、血をすすり、まさにこの世の地獄絵が繰り広げられた
そうです。
逃げようとする城兵を城内に追い返したとも言われています。
(兵糧を浪費させるため)

城主、別所長治公は城内の兵の命を救う代わりに切腹します。
辞世の句は
「今は只恨みもあらず諸人の命にかはる我身と思へば」
享年23才。
妻の辞世の句は
「もろともに消えはつるこそ嬉しけれ後れ先だつならひなる世に」
享年22才。

三木城はその後に続く、鳥取城の渇殺し、備中高松城の水攻めのような一連の中
国地方の城攻めの始まりとなりました。

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