お城クイズ答え

Q14.史上有名な秀吉公の水攻め。さて、そのお城は次のどこでしょう?

答え
2.備中高松城
ときは天正10年(1582年)、織田信長は天下統一のために羽柴秀吉に命じて毛
利の領地、中国地方に進軍を開始します。
織田軍と毛利軍は備中七城の一つ、備中高松城で対峙します。
高松城の城主は「清水宗治」。
こもる兵は3000人から5000人。
攻める秀吉軍は約3万。
城を完全に包囲します。

しばし膠着状態が続くも、秀吉軍は一説によると黒田官兵衛が提案したと言う水
攻めを実行いたします。
それは、沼城(まわりが沼になっており非常に攻めにくい)と呼ばれる高松城の
長所を逆手にとって、城の周りに長さ3キロ、高さ7.2メートル、底辺幅24メ
ートルという長大な堤防をたった12日で完成させます。

足守川の水を引き入れられた高松城は数日で水につかり、湖の孤城と化してしま
います。
こうなっては、援軍として来援した毛利軍4万も手も足も出せなくなります。

その結果、秀吉軍と毛利軍で講和に向けての交渉が開始します。
交渉中の6月2日、主君、織田信長が本能寺で明智光秀によって討たれるという
報を聞くも、秀吉はあわてることなく、毛利方と城主、清水宗治の切腹を条件に
講和を急がせます。

信長の死を知らない城内の清水宗治は、ついに6月4日、城内の兵の命を救うた
め、自刃してしまいます。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の
      名を高松の 苔に残して」

享年46才。

その後、秀吉は史上有名な「中国大返し」を実施し、山崎の合戦で明智光秀を討
ち取り、織田家中での地位を不動のものにし、後の関白への道を歩んでいきます。

秀吉が中国大返しを実施している最中に、毛利方も織田信長の横死を知ります。
その際、秀吉軍を追撃しようという声もでますが、小早川隆景はすでに和議がな
った後攻めるのは義に反するといって、追撃を許さなかったといいます。

その話しを知っていたからか、その後の毛利は秀吉によって本領を安堵され、小
早川隆景自身は、五大老の一人として、重用されていきます。

秀吉の天下人へのきっかけになった備中高松城。
現在は、公園として整備され、まわりの沼ではなくなっておりますが、秀吉の布
陣した場所から高松城跡を見下ろせば、当時の風景が目に浮かんできます。

『参考HP』
下記でご紹介させていただいた美作さんのHP、
「清水宗治」を参考にさせていた
だきました。

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