お城クイズ答え
Q19.天下分け目の関ヶ原の合戦。関ヶ原に向かう直前まで西軍は一体どのお城
にいたでしょう?
答え
1.大垣城
1600年9月15日。
美濃の国、関ヶ原にて世紀の大合戦が行われます。
徳川家康率いる東軍、総勢7万4千。
石田三成率いる西軍、総勢8万4千。
大垣城にいた西軍は15日早暁、関ヶ原に移動します。
家康の流した、東軍は西軍の立て篭もる大垣城を無視し、一挙に大阪城に向かう
という情報を信じ、急遽関ヶ原に討って出たともいわれています。
また、前日の14日に小早川秀秋が松尾山に布陣したのも不安要因の一つになっ
たとも言われています。
この大垣城に対陣中に、西軍唯一の勝利、杭瀬川の戦いも行われています。
●「大垣城の戦い〜福原長堯の関ヶ原〜」
2.岐阜城
関ヶ原の合戦の前に、織田秀信が守っていた岐阜城が東軍に攻められます。
織田信長公を祖父に持つ秀信は、たった一日で降伏してしまいます。
8月22日、よせばいいのに、秀信は家臣の反対を押し切り、少数の兵で圧倒的
兵力を擁する東軍に果敢に攻め入ります。
祖父、信長公の桶狭間の合戦にあやかって…
しかし、結果は秀信軍の惨敗。
多数の兵を失った秀信は、家臣の助命を条件に降伏し、自身は高野山へ蟄居しま
した。
この時、21才だったといいます。
その5年後、26才という若さでこの世を去ります。
●「米野の戦い〜織田秀信の関ヶ原1〜」
3.大津城
関ヶ原の合戦に重要な影響を与えたお城がこの大津城です。
城主は、京極高次です。
彼は、浅井長政の3人娘の次女、お初を妻に持つことで、太閤秀吉公を義兄に、
2代将軍徳川秀忠を義弟に持つ数奇な武将です。
彼が、西軍として大谷吉継とともに関ヶ原に向かっていたにもかからず、突然、
居城大津城に入ります。
9月3日のうちに入城した高次はすぐに家康公に手紙を書き、西軍の兵を大津城
に引きつけることを伝えます。
高次が東軍に寝返ったことを知った大坂方は、長女淀君が使者を送るも聞く耳を
もたず、ついに西軍は毛利元康を大将とした一万五千の兵を大津城に差し向けま
す。
その軍に中に歴戦の猛将、立花宗茂もいました。
彼が関ヶ原にいたらまた、違った関ヶ原になっていたかもしれません。
(でも、千人の兵では無理だったでしょうか…)
9月8日から始まった攻防戦は、6日間繰り広げられ、14日ついに開城してし
まいます。
しかし、貴重な西軍1万5千の兵を大津にクギつけにすることで、関ヶ原の合戦
を東軍の勝利に導く重要な役割を演じることになります。
彼は関ヶ原の後、若狭小浜に八万五千石を加増されました。
●「大津城の戦い〜京極高次の関ヶ原〜」
★ 今回のおまけを書く際に、masaさんの「戦国浪漫」内にある「人間模様 関
ヶ原」のページを参考にさせていただきました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
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「戦国浪漫」
●「人間模様 関ヶ原」