皆さん、こんにちは。
霧隠です。
国峯城堪能記の続き、「堀切/曲輪編」です。
国峯城は、南北2.5km、東西2km、高低差244mの一大山城です。
本丸からの見晴らしは大変すばらしく、当日は快晴ということもあり、
浅間山はもちろん、上州の美しき山々を十二分に堪能できました。
・・・ただ、めずらしく無風状態で、上州名物「からっかぜ」は体感
できませんでした。
さて、今回は時間もあるので、せっかくなので、すべての遺構をくまなく
攻略しましょう!
との思いのもとに、以前Yさんが難儀したという御嶽出丸へGO!
いきなり高低差あふれる堀切が立ちふさがっておりました。
・・・山城はやっぱりこうでなくっちゃ♪
と、荒荒しい出迎えに心も燃え、ひたすら降りて行くと・・・
下草がきれーに刈り取られておりました!
あきらかに丈夫なちっちゃな木々がバッサバッサと切られており、ものすごく
歩きやすかったです。
・・・もし、これが刈り取られていなかったら、難渋したこと間違いなし。
この報告を読んで、国峯城に行こうと思った方々に朗報です。
今なら、切り傷をつくらずに、御嶽出丸まで行けまする〜
さて、思いのほかに歩きやすかったので、さくさく進み、20分くらいで
御嶽出丸に到着。
ここに来る間に四本の堀切があります。
曲輪、曲輪を分断するように作られたこの堀切。
ちっちゃいながらも、とっても味わいがあります。
さらに、御嶽出丸の先にも堀切があり、堀切の左側には立派な竪堀がありました。
この国峯城には石垣等はありませんが、天然の要害に、このように竪堀、堀切
を多用し、攻めにくく、守りやすいお城と化しているのが十分理解できます。
次は最後のメインディッシュ、「曲輪」です。
国峯城にお越しになった方はご存知だと思いますが、本丸の手前にある
広大な「御殿平」。
なかなかに広いですよね〜
雄大ですよね〜
で、ここで縄張り図を広げると・・・この御殿平の先に段々とみごとな曲輪が
あるでないかい!
さ、さっそく行かねばなりませぬ〜
ということで、まだ、国峯城にお越しでない方は、御殿平をまっすぐ進んで・・・
・・・下の曲輪を目指して駆け下りないように。
えらい目に合います(−−)
と、いいますか、そのヤブさ加減に駆け下りる人はいないともいふ。
せっかく下に広大な曲輪が見えているので、試しに駆け下りようとしたら、下草で
下が見えないわ、急にガケになっていたので、ズボっと落ちるは、靴にドロが入る
はで、難渋しました。
・・・やっぱり無茶はいけません。
仕方ないので、ちょっと迂回してみることに。
そうしたら、大手道を(偶然)発見しました!
ここから登れば、段々曲輪を下から楽しみながら遺構が楽しめます。
けど・・・やっぱり縄張り図にかかれている見事な曲輪があきらめきれず、
(80cmくらいの)下草にも負けずに潜入することに。
ザッ、ザッ、ザッ
ガサッ、ガサッ、ガサッ
杖で草をなぎ倒しながら、進むと、目の前には広大な曲輪達が。
すかさず前に進むと、眼下にも曲輪が!
苦労した甲斐があるというものです。
敢えて贅沢をいうとすれば、この下草を全部きれーに刈り取れば、御殿平から
そりゃぁ〜、見事な段々曲輪が見れることでしょう〜
十二分に国峯城を堪能したあと、ふもとの家臣団の武家屋敷も見ていると
「信玄の覗き井戸」なる看板が!
地元の方にお聞きすると、信玄公が国峯城を攻めた際に、この井戸を覗きこんだ際に
持っていた軍配を井戸に落としてしまったということです。
その後、城下町を見て、郷土博物館を見学して、国峯城を後にしました。
たっぷり4時間十二分に堪能できるええお城でした。
改めましてご案内くださいました、Yさん、ありがとうございました!
また、上州のええ山城をご紹介してくださいませ。
以上を持ちまして、国峯城堪能記を終了いたします。
最後までお読みいただきありがとうございましたm(_)m
参考までに、Yさんに教えていただいた、国峯城への行き方を
そのまま転載させていただきまする。
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◇所在地
群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡小字国峰
「城下町小幡」から南西約2kmにある山城
◇アクセス:
(車、最寄のICから)
関越自動車道・藤岡JCより上信越自動車道へ
富岡ICより約4㎞(約8分)/吉井ICより8km(約20分)
(電車、最寄の駅から)
JR高崎駅より上信電鉄で30分 上州福島駅下車約4㎞(車で10分)
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PS:郷土資料館ですが、赤備えの甲冑があります。
かの小幡家の家臣団を徳川四天王のひとり、井伊直政公が組み入れ、
「井伊の赤備え」になったそうです。
ちなみに小幡家は関東の名族児玉党(家紋は団扇)の一族で、家紋は
「軍配の内に三、五、七の笹」という珍しいものでした。