【キリのコメント1】
少しでも読みやすいようにと、会話形式で信長の誕生シーンからスタートさせ
ましたが、実際の信長公記には信長の誕生シーンはございません。
この戦国の風雲児 織田信長一代記は、太田牛一が書いた信長公記を分かりや
すく読みやすい物語形式にしたものです。
できるだけ、原文に忠実に物語を展開していきたいと思いますが、原文にない
話を書く場合には、このようにその都度お知らせしていこうと思います。
さて、信長公記の最初の記述は、信長の父、信秀についてと尾張の力関係につ
いて書かれています。
1534年当時、尾張の国の守護は斯波家。
しかし、斯波家にすでに実権はなく、上下4郡ずつを伊勢守と大和守に支配さ
れてしまいます。
ここで、守護代としての織田家の家系図を書いてみます。

これを見ると分かるように、尾張を二分した信安(伊勢守)と達勝(大和守)
は兄弟です。
そして、弟達勝の支配した下4郡の中の清洲に傀儡の守護である斯波氏を置き、
その大和守に仕えていたのが、達勝に対しては分家のいとこにあたる信秀です。
信長をして、名家の者が「陪臣の陪臣」と呼ぶのはこのことです。
*陪臣:家臣の臣(斯波氏の家臣である織田達勝の家臣であったから)
さて、後に天下統一に進む織田信長も父親の代は、まだ尾張の国の下4郡のそ
の中の那古屋の小領主にしかすぎないことになります。
しかし、この信秀、なかなかの手腕の持ち主で徐々に織田本家を圧倒する勢力
を得ていきます。
次号以降は、この信秀の活躍を見ていくことになります。
元服前の信長は、毎日天王寺というお寺で勉学に励んだそうです。
"思うにまかせぬところが少なからずあった"というのがいかにも信長らしい
ですね。