【キリのコメント10】

 西の清洲への戦いの後、今度は東の今川から村木という場所に砦を築いたとい
 う知らせが舞い込んできます。

 すぐさま、危険にさらされている小河の水野を救うべく援軍派遣を決めますが、
 このまま尾張を空けてしまうと、背後から清洲に攻められてしまう…

 そんなときに信長が取った作戦は、舅でもある斎藤道三に援軍を頼むというも
 のです。
 しかも、尾張の留守居を頼むという大胆な依頼です。

 道三の娘を嫁にもらっているとはいえ、隣国の兵を自国の本拠地に招き入れる
 なんて、一歩間違えば、そのまま国が乗っ取られる行為です。

 この信長の依頼に対して、道三は安藤伊賀守に千の兵を預けて、尾張の様子を
 毎日知らせるようにと言って送り届けます。

 背後の心配をせずにすんだ信長にさらに難題が発生します。
 なんと、信長が幼少のときから、父、信秀につけられていた家老の林が不服が
 あるといって、前田与十郎の城へ勝手に立ち退いてしまったといいます。

 完全な軍規違反、戦線離脱です。
 どのような不服があったのかは信長公記は書いていません。
 しかし、この後の林の行動を見ると、信長に対して何か思うところがあったの
 でしょう。

 この林の命令違反に対して、特に罰することもなく、信長は「左候共苦しから
 ず」といって、意にも介さず、そのまま小河に向かったといいます。

 さらに、さぁ、出航と思った翌日は、ものすごい大嵐が。
 当然、船頭たちはこのような嵐では船が出せないと伝えてきます。
 それに対しては、源平の屋島の合戦で、源義経が梶原景時がこのような嵐の際
 にやはり口論になり、そのときには義経の強引な渡海作戦が当たり、見事平家
 を屋島から追い出すことができたのであるから、今回もこの嵐の中を同じくぜ
 ひとも渡海したいと強く要望します。

 嵐の方が当然危険ですが、相手もこの嵐ならば攻めてこないだろう、と油断し
 ているはずだからと、危険を押しても出陣したのでしょう。
 信長の勇気は桶狭間だけではないのがよく分かります。

 美濃の兵を援軍に招いたり、嵐の中を強行に渡海したりと大胆不敵なこの行動
 が功を奏し、その日のうちに小河に到着し、翌々日には村木の砦を攻略します。

 村木の砦は、北は要害の地なので、攻められない。
 残り3つの攻め口を、信長、孫十郎叔父、水野で分担するのですが、東の大手
 口は水野が、西の搦め手口(裏口)は孫十郎叔父、そして、南の堀があり最も
 堅固な攻め口は信長自ら指揮するということになりました。

 最も危険な場所を積極的に引き受けるというのは、リーダーとしては当然な姿
 ですが、部下たちもきっとやる気が出ることでしょうね。
 若いときの信長は本当にかっこいいです。

 さて、青年期の信長の最大の特徴として、前線の指揮をすることが多く見受け
 られます。
 今回の合戦でも、自ら城の狭間3つの部署を担当しています。
 最前線に出て叱咤激励する。
 
 それを見た部下たちは奮い立ち、堀に落ちながら犠牲も出しながらもついに城
 内に達します。
 
 あまりの信長軍の猛攻を前に、村木砦の兵も降伏を申し出てきます。
 それに対して、こちらの犠牲が多かったことと、日が暮れてきたこともあり、
 降伏を認め、後を水野に任せ、戦後処理をした。

 その際に、信長はいろいろ指示を出した後、“感涙を流せられ候”と書いてあり
 ます。
 今回の合戦では、信長のお小姓衆も多く討ち死にしたと書いてありますから、
 その死を悼んで泣いたのでしょうか。

 涙を流す信長というイメージがなかったので、ちょっと新鮮でした。

 翌日は、寝返った寺本城のふもとも焼き討ちにして那古野に帰ります。
 この間、わずか4日間の出来事でした。
 短期集中決戦を心がけているかのような猛スピード決着です。

 簡単にまとめると、

 22日:嵐を押して小河到着
 23日:兵を休ませる(村木砦攻略の準備?)
 24日:村木砦攻略
 25日:寺本城のふもとを焼き討ち、那古野に戻る
 26日:安藤伊賀守に礼をいう

 となります。

 多大な犠牲を出しましたが、わずか1日で村木砦を攻略し、水野氏の危機を取
 り除き、信義に厚いところを見せ付けた信長。

 援軍を出してくれた安藤伊賀守にも信長自ら礼をいいます。
 それにしても、わずか4日で村木砦を攻略するとは安藤も思わなかったでしょ
 うね。
 しかも、嵐を押してまでの強行軍には驚いたことでしょう。

 この安藤の報告を聞いた道三は、「すさまじき男、隣にはいやなる人にて候よ」
 と言ったと信長公記には書かれています。

 躊躇なく、美濃の兵を留守居に頼む肝の太さ。
 筆頭家老といってもいい林の戦線離脱にも動じぬ冷静さ。
 嵐にもかかわらず強行に渡海する勇敢さ。
 自ら困難な場所を受け持ち前線に立って兵を叱咤激励する勇猛さ。
 敵の降伏を状況を見極めあっさり認める柔軟さ。

 これがわずか21歳の青年かと思えるぐらいの冷静沈着な武将ぶりです。
 信長というと、カッとなったりするところがクローズアップされますが、青年
 期の彼は、合理性と勇敢なところを併せ持った、頼もしい武将像が信長公記か
 らは伝わってきます。

 兵たちにとっては、頼りになる指揮官だったのでしょうね。

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