【キリのコメント12】
孫十郎とは、信秀の弟で、信定(信長の祖父)の5男です。
守山は信秀の時代には、孫三郎の居城でしたが、(多分)孫三郎が信長との密約
で那古野城を手に入れたときに、守山にはこの孫十郎が入ったのかもしれませ
ん(すみません、これも憶測で恐縮です。徐々に事実関係を調べていきたいと
思います)。
さて、この孫十郎の治める守山で、事件が起こります。
川狩りをしていた孫十郎一行の前を馬に乗った武者が一騎現れます。
守山城主の前で下馬しない不届きな奴と周りの若者が、威嚇のために弓を放っ
たら運が悪くその矢が当たってその武者は落馬してしまう。
一体このばか者は誰なのか、川から上がって顔を確認したら…
信長の弟、喜六郎だったのです。
白粉のような肌、真っ赤な口紅とさぞかし美少年だったのかもしれませんね。
それにしても矢を当てた相手が、自分たちの主君信長の弟と知って愕然とした
ことでしょう。
信長公記には、「各々是を見て、充(アッ)と肝を消し、孫十郎殿は取るものも
取り敢えず、居城守山の城へは御出でなく、すぐに捨て鞭を打ていづくともな
く逃げ去り給ひ」とあります。
取るものとりあえず、脱兎のごとく逃げたのですね。
本当に事の重大さに気づいてビックリして衝動的に逃げ出した様子が想像でき
ます。
この後、孫十郎は数年間浪人生活を余儀なくされます。
さて、弟、喜六郎の死を聞いて、勘十郎信行と三郎信長で違った行動が描かれ
ています。
まずは、勘十郎信行。
弟の死を知ると、すぐに末森の城から守山に向かい、町に火をつけはだか城に
してしまったとあります。
完全に報復行動ですね。
多分、軍隊も率いていると思います。
一方の信長は、このことを聞くと清洲から三里の道を、ただ一騎で駆けつけた
とあります。
このときの信長の心境をどう考えるかは、それぞれの人の主観で違ってきます
ので、ここでは何も申し上げません。
守山の入り口の川で馬の口を洗っていると、城内から犬飼がやってきて、孫十
郎のこと、勘十郎のしたことを信長に伝えます。
それを聞いた後、信長は、
「我々の弟などと云ふ物が、人をもめしつれ候はで一僕のもののごとく馬一騎
にて懸けまはり候事、沙汰の限り比興なる仕立なり。たとえ存生(ぞんじょ
う)に候共、向後(きょうこう)御許容なされまじく」
といいます。
この言葉だけを見ると、下僕のごとく一人で馬など乗り回しているからこんな
ことになるのだ。もし、今回運良く生きていたとしても、二度と許しはしなか
っただろう、ということになります。
とはいえ、弟の死を聞いて、ただ一騎で清洲から12キロも離れた守山まで一
気に駆け抜けた信長も事実です。
これは、あくまでも私の憶測ですが、一般的に見たら、弟の死を聞いてただ一
揆でも守山まで行く信長に人間味を感じます。
しかし、下尾張2郡の領主の立場としては、威厳と保つために敢えて上記のよ
うなことを言う必要があったのではないか…なんて思っていますが、皆さんは
いかがお考えでしょうか?