【キリのコメント13】

 まず、信長公記には信長が普段からよく馬に乗っていたことを描いています。
 朝夕乗っていたので、馬もよく耐えたが、家臣たちは馬を飼い殺しにして、あ
 まり乗らなかったので、屈強の名馬も三里もいかずに息があがってしまったそ
 うです。

 普段から運動をさせないと馬も人間もダメになってしまうのですね。

 喜六郎の件で、守山城を脱出した孫十郎の後に、城には孫十郎の年寄衆が立て
 こもります。
 勘十郎、信長ともども守山の城を囲みます。
 
 物語では佐久間が、守山の家老、角田と坂井にワイロをもらって、安房守を城
 主に推薦してもらっていますが、これはちょっと私の想像が入っています。

 信長公記では、上総介に佐久間右門衛尉が守山の城主に安房の守を推薦したと
 書いてあるだけです。

 ただ、その後に、“角田、坂井二人謀反にて安房殿を引き入れ、守山殿になし申
 候”と続き、安房守は、佐久間に対して、今度の忠節に対して、知行百石を渡
 したと書かれています。

 むむむ、これは何を意味しているのか?
 ここでポイントは“謀反にて”をどう解釈するかですね。
 ニュートンプレスの榊山さんは、“二人は相談して安房守を味方に引き入れ”と
 訳されています。

 私は、敢えて誤解を恐れず、角田、坂井がワイロで佐久間に自分たちが操りや
 すい安房守を信長に推薦させたように描きましたが、この演出の難点は、そん
 な佐久間の策謀ごときに気づかない信長公はありえない…気がする点です。

 信長公記では、佐久間の進言をすんなり受け入れているので、この点に関して
 はこれ以上深入りしないでおこうと思います。

 守山城の一件が決着した後、今度は信長の第一家老として父、信秀につけられ
 た林佐渡守の謀反が噂されます。
 佐渡守以外に、弟の美作と柴田権六も謀反に加担しているという。

 信長公記では、ここで“信長公何と思し召したる事やらん”と前置きし、信長
 と安房守のたった二人で、清洲から那古野の林佐渡の家を訪ねたと書いていま
 す。

 そして、弟、美作が“御腹めさせ候はん”と兄に訴えます!
 それに対して、佐渡は、“あまりにおもはゆく(恥ずかしく)存知候。三代相恩
 の主君を、おめおめと手にかけ討ち申すべきこと、天道おそろしく候。とても
 御迷惑に及ばるべきの間、今は御腹めさせまじきと申し候て、御命を助け、信
 長を帰し申候。”

 といっています。

 しかし、一両日後に反旗を翻し、清洲と熱田の間を取りきり、さらに味方を増
 やし、清洲と那古野の間も遮断するようにした。

 信長は家臣から完全に反旗を翻されることになります。

 そんな中、ついに信長の弟、勘十郎信行が謀反を起こします。
 次回は、信長若かりしときの勇猛果敢な武者振りが見られる稲生の戦いの前哨
 戦、守山城の攻防をご紹介します。

 …ちょっと今回は、原文の信長公記に比べて、脚色部分が多くなっています。
 全ては、無理に会話文にして、より分かりやすくという思いからではあります
 が(^^;

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