皆さん、こんにちは。
霧隠です。
GWに北陸に行って参りましたので、ご報告いたします。
今回は、能登、加賀、越前の国に行って参りました。
3日:能登(石川県)〜七尾城〜
4日:加賀(石川県)〜金沢城〜
5日:越前(福井県)〜一乗谷城〜
それぞれ、畠山氏、前田氏、朝倉氏のお城です。
まずは、七尾城。
金沢駅から七尾駅までJRで1時間半。
そこから駅の観光案内所で、七尾城の場所を聞き込みします。
すると、何にもないよと言われながらも、行き方を教えてくれます。
それによると、1時間に1本(9:00、10:00、11:00発)ある定期バス(100
円:まりん号の東まわり)で、20分。
「城山の里前」で降ります。
<念のためこの観光案内所で確認してください>
*バスは東まわり、西まわりとありますので、お気をつけてください(東まわ
りです)。
ちなみに駅で「アジの寿司」が売っています(1000円)。
普通は「マスの寿司」の方が有名でしょうが、こちらもおいしいです。
こちらを購入。
飲み物も買っておくといいでしょう。
酢飯はいたみませんし、お酢は疲れた体を活性化してくれます。
バス停そばにあるデイセンターからまっすぐ5分ほど歩くと、七尾城史資料館
にたどりつきます。
ここには、七尾城主だった畠山氏の資料が豊富です。
来るまで全然知識がなかったのですが、この畠山氏は足利将軍の一族の足利義
純が武蔵の名族、鎌倉武士の鑑と称された畠山重忠公の未亡人を妻にして、畠
山氏を名乗ったそうです。
この能登半島は、朝倉を滅ぼし、北に向かっていた織田信長と、そうはさせじ
と越中から阻止する上杉謙信にはさまれる格好になってしまいます。
歴史的な話は後にまわすとして、資料館から七尾城へ行く登城口がないか調べ
たところ、(残念ながら)車で頂上までいけるとのこと。
「←七尾城3.7キロ」
という看板とともにアスファルトの道をてくてくと。
大体50分くらいですね。
途中、美しい能登湾が見えるので気がまぎれますが、やっぱり車道を歩くのは
つまらないです。
これも後で分かりましたが、ちゃんとした登り口は存在します。
それも当時の大手道です。
・・・それを知りたかったのに。
まぁ、歩いて登る人のことは想定していないのかもしれませんが、先ほど降り
たバス停「城山の里」にあるデイセンターの道路をはさんだ向こう側の道が登
り道です。
図に描くとこんな感じ。

もっと分かりやすく、バス停からまっすぐ登り口まで行けるように看板でナビ
ゲートしてもらいたいところです。
すごく細い民家の隣の道を行ってしばらく歩かないと「↑七尾城登り口」の看
板がないので、不安になりそうです。
さて、なかなか判断が分かれるところですが、この登り口は距離は少ないです
が、なかなか急です。
多分、車道に比べて40分くらいで頂上に行けます。
でも、急かもしれません。
むしろ、車道の方が距離は長いですが、坂道はゆるやかです。
それでも、個人的には土の道の方がひざに悪くないいので、こちらの大手道を
お勧めします。
・・・その前に、徒歩で頂上まで行かないのかも〜
さて、駐車場のとこまでフーフーいいながらたどりつくと、このような風景が
出迎えてくれます。
いやぁ、海が見えるのがいいです。
疲れもふっとびますね。
ふもとから車で一気にこれますが、こうして歩いて登るのも味わいがあります。
なんといっても七尾城がいかにすごい"山城"かまさに、体で実感できます。
さて、この駐車場から本丸まではわずか10分です。
(そういう意味ではお手軽山城の一つです)
本丸に向かう途中に、七尾城で最も有名かつ見事な石垣がどどーんと控えてお
ります。
こんなひっそりとした山の中にこんなに素敵な石垣があることに感動いたしま
す!
さっそく近づいて撮影。
あまりの迫力に圧倒されます。
少しでもこの石垣のすばらしさをお伝えしたくいろいろ工夫をしました。
が、まだまだ力不足でいいカットが撮れません。
この石垣はなんと3段構え。
いつも通り図に描くとこんな感じです。

これを写真で撮るとこんな感じ。
この石垣を横目でみながら、本丸に向かいます。
その途中にもコケむした石垣がありますが、逆光でうまく撮影できず。
だんだん逆光のときの撮影の難しさを実感しつつあります。
本丸はなかなかの広さです。
当然、天守閣などはないのですが(もともとありませんが)、ぱっとみ、素人目
ではただの山の頂上にしか見えません。
やはりお城には建物があると写真写りはいいのでしょうね。
とりあえず、石碑を撮影してみました。
山城の楽しさ。
それは見晴らしです。
見晴らしが悪いと楽しさが半減します。
でも、七尾城からは見事は景色を心行くまで堪能することができます。
さすが上杉謙信公が詩を詠んでたたえた美しさ。
ちょっとガスがかかっていて明瞭ではありませんが、それでも見事でした。
能登湾が一望できるのがいいですね。
本当は謙信公と同じように、月夜をめでたいところではありますが・・・
さて、七尾城は本丸以外にも楽しめる場所がたくさんございます。
二の丸、三の丸はもとより、西の丸そばにある「九尺石」は必見です。
七尾城にある石垣は基本的には小粒なのですが、ここのだけはものすごくでっ
かいです。
どのくらいでかいのか、自分を撮影してその大きさを表現してみました。
本当は百間馬場とかも行きたかったのですが、すでにかなりのヤブ状態。
三の丸もあまり人がいかないのか、荒れ放題でした。
それでも、謙信公が攻め入ったという隣の尾根が見えたりします。
さて、七尾城。
時は天正5年(1577年)。
前年上杉軍に囲まれるも、関東で乱が起こり、謙信公は関東に向かいます。
そのすきに、畠山氏は篭城から一転、上杉軍に攻めかかります。
このとき、畠山氏は織田方につくか、上杉側になるかで家臣が分裂していまし
た。
どちらにもつけるようにしなければならないのは、弱小大名の悲哀ですが、こ
のときは織田方につくことで決定、すぐに織田信長に援軍要請の使者を送りま
す。
しかし!
関東の乱を平定した上杉謙信がいち早く能登に舞い戻ります。
あわてる畠山氏。
織田方の援軍はまだ到着しない。
それでも、徹底抗戦派が主流を占め、頑固に抵抗します。
謙信公をしてもなかなか落城しない七尾城。
いたずらに時間ばかりすぎていきます。
そんななか城主、畠山春王丸が病に倒れ、死去してしまいます。
突然の城主の死(当時2歳くらい)。
当然、城内は騒然に。
そんな中、これ以上の篭城は得策でないという一派が上杉軍に内応します。
彼らは大手道でなく、その隣の尾根道を教え、城内に上杉軍を招きいれてしま
います。
と、同時に城内の織田方の一派を皆殺しにしてしまいます。
こうして、畠山の家臣による内応によって能登半島を160年支配した畠山氏
は滅び、七尾城は落城します。
それでも、謙信公をして1年以上もてこずらせる七尾城は名城の名に恥じない
と思います。
七尾城落城後、城内に入った謙信公は、本丸で十三夜の月をみながらこのよう
な詩を詠んだといわれています。
霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
遮莫家郷の遠征を憶ふ
その後、上杉謙信公死去後、七尾城は織田信長公の手になり、昨年の大河ドラ
マの主人公、前田利家公を城主にむかえますが、もはや山岳城の時代ではない
と判断し、小丸山城に居城を移し、天下の名城七尾城は廃城となってしまいま
した。
最後に、七尾城の静かな雰囲気をお伝えするべく、桜の馬場を撮影しました。
「桜の馬場」
その後、今度こそ大手道から下りましたが、途中、石碑があり、それを見ると
小田吉之丈氏のことが書かれています。
彼はそれまで誰も研究していなかった、七尾城を徹底的に研究し、昭和2年、
能登七尾城主畠山記を書きます。
この研究結果が世に認められ、七尾城は昭和9年、能登初の国指定史跡に認定
されました。
これもひとえに、小田氏の努力と情熱のたまもとだと思います。
こうした地元の方の熱意には本当に頭が下がります。
彼は加賀藩農政史考を執筆したそうです。
帰りは30分くらいでふもとに戻れましたが、時間はちょうど16:20。
さてとバスで駅まで帰ろうか・・・と思い、時刻表をチェック。
・・・16:13最終。
アウチ。
皆さん、帰りのバスの時刻は必ず確認いたしましょう!
すでに一日歩いてくたくたでしたが、その後駅まで約3キロ歩く羽目になりま
すから(−−)
ふぃ〜
次回は、昨年の大河ドラマの主人公、前田利家公の居城、加賀百万石のお城、
金沢城についてご報告いたします。
それでは〜