第62話 磯野氏の降伏
「新年おめでとうございます」
「おめでとうございます」
時は元亀2年(1571)正月一日、武将たちは岐阜城に初登城し、信長にお祝い
の言葉を述べた。
「申し上げます! 磯野丹波守、降伏の使者を送って参りました!」
「そうか、すぐに通せ!」
時は流れて、2月24日。
「して、磯野は何と申してきておる」
「はっ、我が主人は近江の佐和山城を明け渡し、高島に退く所存。つきまして
は、降伏をお認めいただきたく伺いました」
「うむ、降伏を認めよう。五郎左はおるか?」
「ここに」
「そちは磯野から城の受け渡しを行え。その後、そちが佐和山城の城代になる
のだ」
「畏まりました」
こうして、信長は浅井氏の重臣、磯野氏の居城を抑えることができた。
「お館様、ご注進! 浅井長政が姉川まで軍を進めて、横山城に向け、陣を構
えたとのことでございます」
「さらに、敵方の足軽大将、浅井七郎は5千の兵を率い、琵琶湖の東岸にある
箕浦の堀、樋口の城近くまで攻め寄せたとのことでございます」
「そうか、すぐに藤吉郎に伝令を出せ!」
「はっ、ただいま!」
変わって、藤吉郎のいる横山城。
「浅井七郎、辺りの村々に火を放っておりまする」
「そうか、とはいえ、お館様から任されたこの横山の城をもぬけの空にする訳
にはまいらぬ」
「いかがいたしましょう」
「よし、命を恐れぬ兵を100人集めよ! わし自ら討って出る!」
「ははっ! 直ちに!」
こうして、百騎ばかりの兵を集めた、藤吉郎は敵に悟られないように裏山を回
り、箕浦に駆けつけた。
「おぉ、藤吉郎殿、御身も攻められ大変でしたでしょうに」
「何々、貴殿たちの方が織田家にとって重要。わしのことなど心配召されぬな」
「…かたじけない」
「それで、どうするかの」
「我が方の兵はわずか四、五百。藤吉郎殿の兵は?」
「わしか、わしは急いで来たので、わずか百あまりだ」
「多勢に無勢ではありますが、敵兵は主に、農民兵。ここは討って出るほうが
よろしいかと」
「良くぞ申された。この藤吉郎秀吉もお供つかまつる」
「ここを死に場所として奮戦つかまつろう!」
「いざ!」
こうして、秀吉は堀、樋口の兵と合流し、わずか五、六百の兵で10倍の浅井
勢に切って入った。
この戦いで樋口氏の身内、多羅尾相模守が討ち死にし、その家来土方平左衛門
も討ち死にを遂げた。
しかし、相手は一揆が主体であったので、ついに攻め崩し、数十人を討ち取り、
守りきることができ、こうなっては浅井長政も兵を引くしか方法がなくなった。
<参考文献>
ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)