第71話 家康敗れる

 「かかれっ!」

 「おぉ!」

 ヒュンヒュン

 「ぐわぁっ!」

 ついに徳川、織田連合軍は二倍もの兵力差がある武田軍に向かっていった。
 武田軍はまず水股の者と呼ばれる足軽部隊300ほどが小石を投げつけてきた。

 ドンドンドン!

 辺りには武田の陣太鼓が鳴り響き、一戦目から武田軍が優勢に戦いを進めてい
 た。

 「申し上げます! 平手殿討ち死に!」

 「成瀬殿討ち死に!」

 家康の本陣には次々に戦死者の名が告げられてくる。
 その中には信長に小さいときから仕えてきた小姓衆の長谷川橋介、佐脇藤八、
 山口飛騨守、加藤弥三郎の4人がいた。
 彼らは信長が桶狭間の合戦で今川義元を倒したときに最初に信長の共をしたも
 のたちでもあった。

 「みなよ、こたびの戦いで名をあげ、お館様に勘気を解いていただこうではあ
  るまいか」

 「あぁ、利家殿のように戦働きをすればきっと帰参もかなうはず」

 「それにお館様の勘気をこうむった我々をかくまってくれた家康殿の役にもた
  つしな」

 「おぉ! 武田は強敵とはいえども、相手に不足はなかろうぞ!」

 しかし、4人とも最初の戦いで討ち死にしてしまった。
 
 「お館様、ここはあぶのうございます! どうかお逃げください!」

 「ならぬ、お主達を置いてこの家康おめおめ引き下がることなどできぬ!」

 「なりません! お館様さえ生きておわせば松平家はいつでも再起可能であり
  ます! ここはひとまずお逃げくだされ!」

 「ならん! ええい、離せ!」

 「おさらば!」

 バシン!

 尻を叩かれた家康の馬は大きく左手に駆け出し、山沿いの道を家康はただ一騎
 退いた。
 そこへ、武田の軍勢が先回りをして家康の退路を絶とうと何度も試みたが、馬
 上から弓を放ち、命からがら浜松の城まで逃げ延びることができた。
 その後、家康は決して城から出ることもなく、固く浜松の城を守り続けた。
 その様子はすぐに信長に伝えられた。

 「申し上げます! 家康殿、三方が原にて敗走、平手様は討ち死に。その後家
  康殿は浜松城にたてこもっているようでございます」
 
 「そうか、して、信玄は?」
 
 「そのまま遠江領内に侵入後、そのまま留まっております」

 「ふむ、変だな」

 「お館様! 武田軍が急遽、甲斐に退却を始めております!」

 「なんと! どうした!」

 「分かりませぬ! 突然、進路をこの尾張に向けず、引き返し始めました」

 「もしや、信玄が死んだのでは?」

 「そこまでは分かりませんでした」

 「そうか、ご苦労」

 こうして1572年12月22日の三方が原で武田信玄と徳川家康が戦いは幕を閉
 じた。

 <参考文献>

 ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
 角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)

戻る


 |  医食同源<体にいい食べもの>  |  週刊「孫子の兵法」  |  週刊「国宝」  |  週刊「論語」  | 
 |  織田信長一代記  |  一日一考  |  古事記物語  |  お城旅行記  |