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 お城旅行記  第81号  2003年5月18日発行 (発行部数 970部)
 「熊本城攻略記4〜二の丸虎口と石垣達編〜」
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 目次
 ★今日は何の日<18日、19日、20日、21日>
 ★熊本城攻略記4〜二の丸虎口と石垣達編〜
 ★編集後記
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 【今日は何の日?】                <文章提供:狸さん>
 ●明治二年(1869)五月十八日 榎本武楊降伏、函館戦争終結。
 ●永禄三年(1560)五月十九日 桶狭間の合戦。
 ●応仁元年(1467)五月二十日 細川勝元・山名宗全、兵を集める。
 ●天正三年(1575)五月二十一日 長篠合戦。
 *今日は何の日? の詳しい説明はメルマガ最後尾にございます。
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 皆さん、こんにちは〜
 霧隠です。

 さて、熊本城攻略記、今回が最後です。

 二の丸広場は広大です。
 そこにはこんなに美しい空堀もございます。

 「空堀」 

 さて、二の丸広場まで足を伸ばされたならば、ぜひとも見ていただきたいもの
 がございます。
 それは、二の丸の虎口です。
 ここの石垣が最高に美しく、その存在感は他を圧倒します。
 某熊本城に初めて来たときには、天守閣だけ見て満足して帰ってしまい、2度
 目に来たときに、これを見たときにはなぜここまで来なかったんだと悔やみま
 した。
 それほど見ごたえ十分です。

 「二の丸の枡形虎口」 

 この桝形虎口を石垣の上から全体像を撮影してみました。

 「二の丸の枡形虎口その2」 

 二の丸虎口を出て、すぐ隣に百間石垣がございます。
 大野城にもあった百間石垣ですが、1間=約1.8mとして、その長さは約180
 mくらい。
 それにしても、長さ、高さ納得の存在感です。

 「百間石垣」 

 百間石垣だけでなく、熊本城の石垣は本当に美しいです。
 しかも、しっかり積まれてはらんでいる箇所が比較的少ないような気がします。
 それだけ、加藤清正公の気概を感じることができます。

 「百間石垣その2」 

 ちなみにこの百間石垣にはある逸話が残っており、あるとき近くの家老の屋敷
 からしめ飾りを盗んだ三東弥源太は、この百間石垣の上から、「えーもさいさ 
 い」という掛け声をかけて、後向きに飛び降りた! というのです。
 高さは軽く5mを超えていますので、その勇気たるや敬服ものです。 
 (でも、ドロボウはいけないですね〜)

 さて、百間石垣を堪能した後、そのまま監物櫓を見学。
 この櫓は城内からちょっと離れていますが、立派な“現存”櫓です。
 右側の石垣が美しい武者返しの勾配を作っているのが分かります。

 「監物櫓」 

 監物櫓のそばに、新堀橋がございますが、その橋からまたすばらしいものが見
 られます。
 コケ好きにはたまらない、青々と光りをはなっているコケむした石垣です!
 どうしてこんなに日当たりのいい場所で、こんなに一杯元気にコケがむしてい
 るのか不思議です!!

 「コケむした石垣」 

 そのまま進むと、加藤神社の下に出てきます。
 そこにはちょっと早い新緑を楽しめます。
 美しい芝生の緑色は目に優しく、心も和ませてくれます。

 「加藤神社下の空堀」 

 そして、空堀を楽しんだ後は、石垣も楽しみましょう!
 加藤神社の下にある石垣もまたすごいです〜

 「加藤神社下の石垣」 

 さぁ、いよいよ某が熊本城の石垣で、最も好きな場所に参ります。
 これが見たくて、毎年1回熊本城に行っていると言ってもいいくらいの存在感
 です。

 規模といい
 高さといい
 長さといい
 積み方の美しさといい

 圧倒されっぱなしです。

 最も好きな石垣の一つです。

 場所は加藤神社から小公園と呼ばれる一帯で、五間櫓や北十八間櫓の下の石垣
 になります。
 まずは、加藤神社の石垣の続きです。

 「加藤神社下の石垣その2」 

 それにしてもその高さには度肝を抜かれます。
 どれくらいのすごいか人間スケールにてご理解いただければと思います。

 「加藤神社下の石垣その3」 

 軽く10mはいってますよね。
 本当に見ていてためいきが出てしまいます。

 続いて、平櫓下に移ります。
 ここもまたすごいのです。 
 この一帯の石垣に関しては、もう言葉では語れないくらいの迫力です。
 ぜひ、熊本城を訪れたら見ていただきたい場所の一つです。

 「平櫓下の石垣」 

 続きましては、五間櫓下の石垣です。
 まだ、熊本城には五分散りの桜が残っていたので、城内のいたるところでお花
 見を楽しんでいる家族、グループがおりました。
 せっかくなので、遠くに移るそのすごさで敢えて、お城のすごさを表現してみ
 ました。
 名の知らない方々、撮影協力ありがとうございます〜

 「五間櫓下の石垣」 

 次に石垣に近づいて撮影。
 
 「五間櫓下の石垣その2」 

 こうして、石垣の真下に行って、下から石垣を見上げるのも好きだったりしま
 す。

 十二分に石垣を堪能した後は、一旦城内に戻り、不開門に向かいます。
 その途中にある石段もまた味わい深い雰囲気を醸し出しています。

 「不開門への石段」 

 不開門とかいて「あかずのもん」と読みます。
 ここは城内の鬼門の位置(東北)にあり、不浄な門として通常は開けられなか
 ったので、この名が残っているそうです。

 ・・・でも、今は開いていますが、ええのかなぁ。

 「不開門」 

 この門は現存の建物で、重要文化財になっております。
 今回は石垣をメインに撮影したので、あまりご紹介しませんでしたが、熊本城
 には宇土櫓とこの不開門を始め、数多くの“現存”の重要文化財の宝庫で、そ
 の数、なんと13個!

 監物櫓、宇土櫓、平櫓、不開門、五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、
 四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓、長塀の13箇所です。

 さらに、なんと熊本市は、往年の熊本城を復元しようと壮大な計画をされてい
 ます。
 3年前から毎年熊本城には行っておりますが、本当に毎年着実に復元整備が進
 んでおり、早く完全復元された熊本城を思う存分堪能したいものです(^^)

 さて、江戸時代中、ずっと閉じられていた不開門。
 その扉の先にあるものは・・・

 「不開門、開門」 

 ・・・石垣でした。

 でも、なんとなく好きな光景ですね。

 さて、朝の10時から探索続けた熊本城もすでに午後の3時半。
 興奮しっぱなしでしたが、さすがに疲れてきました。
 帰りの飛行機もあるし、そろそろ帰ろうかと思いました。
 その前に、最後の石垣をパチリ。

 「月見櫓下の石垣」 

 見事な算木積みですね!
 余韻の残る石垣です。

 最後の最後に竹の丸から天守閣をズームアップで撮影してみました。
 次回は、もっといいデジカメを買って、もっときれいな写真を撮るぞ〜

 「竹の丸から熊本城ズームアップ撮影」 

 それにしても、大満足の熊本城でした!
 ・・・でも、一つだけ未練が残るのは、あまりにも疲れすぎて、行けなかった
 本妙寺からの風景です。

 ここから見えるちっちゃな天守閣はほんとうにかわいらしく、心に残る景色で
 す。
 そのためにも望遠レンズが欲しいですね。
 欲を言えば300mmくらい。

 ・・・た、高そう。

 それと、この本妙寺のてっぺんには十文字槍を持ったりりしい清正公の10mは
 請える銅像がございます。

 あ、やっぱり撮影したかったぁぁぁ

 ということで、次回の熊本城めぐりは、秋の紅葉狩りと合わせて訪ねたいと思
 います。
 それまでもっと撮影技術を身につけたいですね〜

 長々と書いてきましたが、最後までお付き合いくださいまして、ありがとうご
 ざいました!

 それでは〜

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 ●明治二年(1869)五月十八日 榎本武楊降伏、函館戦争終結。
 会津藩・荘内藩の降伏後も新政府への服従を潔しとせず、幕府海軍などを率
 いて北海道に渡り、前将軍をいただいた蝦夷共和国の樹立を目論んだ榎本武
 楊であったが、諸外国からの認知は得られず、また新政府軍との戦いで艦隊
 は壊滅、函館は陥落し五稜郭の運命も風前の灯火であった。当初城と運命を
 共にする覚悟であった武楊もこの日降伏、ここに戊辰戦争は完全に終結した。
 ★「明治維新と箱館戦争」
  

 ●永禄三年(1560)五月十九日 桶狭間の合戦。
 長年の織田氏との抗争に決着をつけるべく大軍を率いて尾張に出陣した今川
 義元は各地に織田軍やその出城を降し、破竹の勢いで進撃した。当初何ら対
 応を行わなかった信長は義元が田楽狭間で休止していることを知り単騎出陣、
 熱田神宮で追求してきた旗本勢を合流させると豪雨をついて義元の本陣を急
 襲した。不意を打たれた義元は乱戦の中討ち取られ、今川軍は潰走した。
 ★「あまちゃんの日本史〜第三回:桶狭間の合戦〜」  

 ●応仁元年(1467)五月二十日 細川勝元・山名宗全、兵を集める。
 この年一月、京都上御霊社で畠山義就と畠山政長が戦った。結果的にはこの
 上御霊社の戦いが応仁の大乱の幕を開けたのだが、その後細川・山名の両陣
 営は鳴りを潜めていた。しかし、着々と布石を打っていた細川勝元は五月に
 なってから自陣営の武将たちに山名領への侵攻をさせた。そしてこの日、京
 都でも両陣営は兵を集結させ、いよいよ乱は本格化していくことになる。
 ★「学研学習辞典データベース〜応仁の乱〜」  

 ●天正三年(1575)五月二十一日 長篠合戦。
 武田軍の重囲下にある長篠城救援に満を持して出陣した織田信長・徳川家康
 連合軍は設楽原に馬防柵で守られた野戦陣地を設営した。武田勝頼は自軍の
 兵力が劣っていたにもかかわらずその陣を見て織田・徳川軍を臆したものと
 誤解、重臣たちの反対を押し切って攻撃を命じた。そのため、武田軍は山縣
 昌景・馬場信房ら歴戦の勇将を失って壊滅、滅亡への道を歩んで行く。
 ★「歴史の館〜長篠合戦1〜」  

 *「今日は何の日」について疑問点やお気づきの点は投稿者の狸
 (oodanuki@yahoo.co.jp)までご指摘下さい。

 +++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
 なんだか不安定な天気が続きますね。
 皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
  
 某は曇りか雨か分からないので、昨日と今日は家でのんびりしています。
 なので、メルマガの編集や、GWに行った北陸のお城めぐりのレポートを気ま
 まに書いております。
 
 こうして振り返ると早いもので、このメルマガも81号になり、このペースだ
 とあと3ヵ月後には100号になりそうです。

 これからも気ままなお城めぐりを続けて参りますが、こうしてメルマガを発行
 するようになってから、いろいろ興味がわいてきて、今最も力を入れているの
 が、古事記のメールマガジンを発行しよう! というものです。

 お城も好きですが、実は神話の世界も大好きでして、以前古事記を読んだとき
 もとてもおもしろかったので、今度は、この日本最古の物語を要約して分かり
 やすくしたものを、週刊で発行してみようと思っています。

 すでに、3話分書き終えました。
 古文に関しては完全な素人なので、誤訳や勘違いもあるでしょうが、これをき
 っかけに古事記の世界、それは日本の原典といってもいいと思いますが、に興
 味を持つ方が増えれば…なんて、思ってい ます。

 ということで、このお城旅行記の発行間隔も、以前の2日に1回から、3日に
 1回へ、そして、今回から4日に1回と時間に余裕をつけて、2つのメルマガ
 を発行していきたいと思っています。
 そして、メルマガという新しい市場を開拓してみたいなぁとなんとなく思っ 
 ています。
 =============【お城旅行記】===============
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