皆さん、こんにちは。
霧隠です。
関ヶ原西軍めぐりつあー、大谷陣の後は、西軍の事実上の総大将石田三成公が布
陣した笹尾山です。
北国街道を抑えるところにあるこの笹尾山は、小高い丘のような感じです。
しかし、ここに立つと関ヶ原が一望できます。
西軍の司令官として最もふさわしい場所だと思います。
ここで、笹尾山をめぐる武将の布陣を見ると・・・
黒田長政(5400)
石田三成 島左近(1000) 細川忠興(5100)
(4820) 蒲生郷舎 加藤嘉明(3000)
(1000)
こうなっています。
合計すると、約7000 VS 13500
単純計算しても石田方は2倍の兵を相手に戦うことになります。
午前9時から始まった激戦に石田隊は1歩も引かず、むしろ島左近などは突撃を
何度もかけたといわれています。
押し寄せる雲霞のような東軍の大軍に対して、ひるまず戦う三成公。
ここ笹尾山に立つとふと、三成公への思いが馳せます。
彼はここで何を考え、何を思ったか。
何度この関ヶ原に来ても答えは見つかりませんでした。
今回ある方の一言をお聞きし、ハッとさせられると同時に、その答えに触れた気
がしました。
それは、「笹尾山は三成の喜怒哀楽が凝縮された場所」という言葉です。
確かに、この関ヶ原の合戦程、三成公の心情が赤裸々に感じられる場所はござい
ません。
時間の経過とともに、はっきり追体験できます。
★午前8時:関ヶ原開戦直前・・・「喜」
大垣城から関ヶ原に移動し、南宮山に毛利、松尾山に小早川、正面には宇喜多が
布陣し、数でも西軍は圧倒しています。
この関ヶ原でにっくき家康を討ち取り、今一度豊臣政権を磐石のものにしようと、
思いが強まっていたと思います。
笹尾山の頂上に立った三成公はまさに得意の絶頂にいたことでしょう。
★ 午前11時:勢力は均衡、総攻撃の合図をかけるも毛利、小早川は動かず、つ
いに小早川が松尾山を下り大谷陣に向かう・・・「怒」
午前9時から始まった関ヶ原の合戦は、東軍、西軍ともに勢力は均衡し、一進一
退を繰り広げます。
まさに、このときに、南宮山の毛利、松尾山の小早川が東軍の背後と側面を襲え
ば西軍の勝利は間違いなし!
勝利を確信した三成公は、以前から打ち合わせした通り、総攻撃の合図ののろし
を上げます。
・・・しかし、毛利、小早川ともに動かず。
あせる三成公。
「なぜだ、なぜ、動かん。今動けば家康の息の根を止められるものを」
苛立つ三成公の目の前で驚くべく光景が起こりました。
「ま、まさか・・・」
こともあろうに松尾山に布陣していた小早川軍が突如、西軍の盟友、大谷吉継公
の陣屋に向かって進軍を開始したのです。
あわれ、大谷隊はみるみるうちに壊滅してしまいます。
笹尾山から大谷陣を直接見ることはできませんが、一万五千の兵に攻められれば
一たまりもないのはすぐに理解できると思います。
★ 午後1時:大谷隊は壊滅、宇喜多隊、小西隊も敗退。三成公に家臣が笹尾山か
らの撤退を進言する・・・「哀」
大谷隊が壊滅した後、側面を突かれる形になった宇喜多隊も浮き足立ち、兵たち
も逃げ腰になり、宇喜多隊が壊走している姿が肉眼で確認できます。
その様子を見た、黒田、細川、加藤の諸隊は攻撃を一層強めます。
・・・もはや、これまで。
三成公は息吹山に逃亡することを決意します。
朝には勝利を確信した自分が、今、敗軍の将として息吹山に逃げ出そうとしてい
る・・・
そのときの哀しみや悔しさはいかばかりか。
この笹尾山に来るといつも三成公の無念を思い、胸が熱くなります。
そもそも三成公は、世間一般に思われているような悪者なのだろうか?
ふとそんな思いが頭をよぎります。
歴史的事実として、前田利家公が死去した際に、福島正則公、加藤清正公、黒田
長政公、浅野幸長公、藤堂高虎公、細川忠興公、蜂須賀家政公の七将が三成公憎
しと、兵を集め、三成公を殺害しようとします。
これだけを見ると、豊臣恩顧の武将にもこのように殺意を持たれるほど嫌われた
人物と思ってしまいます。
しかし、彼は佐竹氏の計らいで、徳川家康公の屋敷に逃がされます。
さらに、三成公のことを調べていて興味深いHPに遭遇しました。
そのHPに書かれている内容をそのまま掲載いたします。
● 「検証・石田三成〜忍城攻め−戦国の中間管理職・三成の悲劇〜」
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「忍城攻めに関しては、興味深い事実がもう一つある。忍城を三成の下で、共に
攻めた武将は先にも書いたように、大谷吉継、長束正家、佐竹義宣、多賀谷重経、
真田昌幸らであるが、これらの諸将は、その後、関ヶ原の戦いでほとんどが三成
方、または三成寄りの行動をとっているのである。」
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これを読んでハッとさせられたのですが、三成公は決して人望のない武将でない
ことに改めて気づかされました。
そういえば、島津征伐の際にも島津が助かるようにといろいろ骨を折ったとも聞
いています。
まだまだ三成公については、知らないことばかりですが、知れば知るほど、その
魅力のとりこになる思いです。
何度訪ねても考えさせられてしまう笹尾山。
当日もたくさんの人が訪ねてはその景色を楽しんでおりました。
この笹尾山に立つことで三成公の喜怒哀楽を体験できる・・・
ん?
「楽」は一体・・・
まだまだ勉強が足りませぬ〜
そういえば、最初に訪れた関ヶ原歴史民俗資料館には各武将の名前入りの千社札
が売られていましたが、三成公のは売りきれでした。
関ヶ原では大人気の三成公。
これからももっともっと知りたいと思いました。
次回は宇喜多公、小西公についてご報告したいと思います。
それでは〜