皆さん、こんにちは。
霧隠です。

本日は、島原を語るにおいて忘れてはならない悲劇のお城、原城について
ご報告いたしたいと思います。

そう、天草の乱の舞台になったお城です。
三方を海で囲まれた・・・というより、海に突き出したへさきにお城を
築いたというのが正しいのかもしれません。

島原・天草の乱に関しては某からは特にいうことがありません。
原城に行く前に勉強させていただいたHPを紹介させていただきます。
Hさんの「城と城下町」の中の島原の歴史です。
です。

さて、一揆勢3万7千もの人々が三ヶ月に渡って篭城したこの原城。
きれいな青空、美しき海、さわやまな潮風。
とてもそのような惨劇のあった場所とは思えないのどかな場所でござります。
石垣もしっかり残っており、なかなか威風堂々とした城跡です。

ここにも、すっごい空堀があります。
近づくとちゃんと降りれるようになっております。
当時はもっと深かったのでしょう。
三方を海で囲まれているので、この深い空堀に守られ、さしもの10万以上と
いわれる幕府軍も力押しでは攻めれなかったのでしょう。

城内には天草四郎のお墓があります。
また、その隣にはどこぞの名のある武士のお墓もありました。

時刻は夕刻。夕日が海を赤く染めておりました。
美しい〜
さて、一句でも詠もうかな〜

・・・
・・・

あぁ、なんもええ句が浮かばない(TOT)
まだまだ叙情的な俳句を詠むには修行が足りませぬ。

帰りのバスの時刻もあり、また、さきほどの日之江城に時間をかけすぎた
こともあり、原城自体はあまり散策できませんでしたが、島原・天草の乱に
思いを馳せるためにも一度は訪れたいお城だと思います。

難攻不落という言葉が頭ではなく、体で感じることができます。
軍事的には援軍のない篭城は悲しい結末しかむかえませんが、篭城するには
最適な場所だとわかります。
彼らはここ原城で何を考え、そして、戦ったのか。
感慨深くなりました。

美しい夕日を見ながら原城を後にし、島原駅で名物の「具雑煮」を食べて
博多に向かいました。

Hさん、お忙しい中、ご案内くださいましてありがとうございました!
いろいろお話が聞けて楽しかったです。

さて、時間でこの長きに渡る九州攻めもいよいよ最終日を迎えます。
6日目は秀吉公が築いた肥前名護屋城です。

それでは〜

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