皆さん、こんにちは。
霧隠です。
さて、今回は、お城の話題はございません。
興味のない方には申し訳ありません。
(最後にちょびっと戦国の話しを書いています)
いくさにかかせない甲冑のお話です。
その前に大山祇神社(おおやまずみ)について。
大山祇神は、かの天照大神のお兄さんで彼の娘が天照大神の孫、いわゆる天孫の
后になったりします。
神社の由来は彼の息子の小千命(おちのみこと)が神武天皇の東征に先駆者とし
て伊予ニ名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司っていたときに、芸予海峡の要
衝である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したといわれております。
建国の大神というだけでなく、地神、海神兼備の霊神であり、日本民族の総氏神
として古来日本総鎮守として歴代の朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代ま
でに全国津々浦々に分社された伊予国一の宮、四国唯一の大社になります。
日本総氏神というのにもビックリですが、武家にも尊崇され、源頼朝公、義経公、
木曽義仲公など名だたる武士の甲冑が奉納されています。
その数、全国の国宝、重要文化財クラスの甲冑の約8割を集めています!
ほとんど全ての甲冑が全国より集まっているといっても過言でないこの大山祇神
社。
国宝もごろごろと。
国宝館に向かいます。
一階は薙刀(なぎなた)の展示がしてあります。
有名所としては、"伝"武蔵坊弁慶奉納の薙刀、"伝"巴御前奉納の薙刀、"伝"村
上義弘奉納の薙刀、源義経奉納の薙刀が陳列されています。
武蔵坊弁慶の薙刀は刃が大きくそり返り荒々しいです。
それに比べて巴御前の薙刀はそれほど刃がそっておらず優しい感じ。
巴御前は木曽義仲公の側室とも言われている女武者で、この薙刀を持って平家と
戦ったのかぁと思うのも楽しいです。
義経の薙刀も力強さよりもどことなくキャシャな感じを受けます。
村上義弘という人物は「能島」「来島」「因島」の三村上氏の先祖といわれている
伝説場の人物でその存在は謎につつまれています。
"伝"というフレーズが似合う人物だと思いました。
それに引替え、伊予守に任じられていた義経公は"伝"でもなく、しっかり奉納
された確証があるようです。
ここには義経公が奉納した国宝鎧も現存します。
いよいよ二階です。
二階にはいきなり国宝のオンパレードです。
まずは、国宝刀3点セットです。
特に目をひくのが、大森彦七所有の「大太刀」。
長さはゆうに2mもあるのではないかという長く分厚い大太刀には圧倒させられ
ます。
しかも、この大太刀、実際に合戦に使用された一品なのです。
時は鎌倉末期、足利尊氏公と楠正成公が最後の合戦、湊川の戦いで戦い、そのと
き楠正成公の首をはねた刀と伝えられています。
足利尊氏公のお抱え刀鍛冶が鍛えた名刀で尊氏公より大森氏に与えられたそうで
す。
室内のライトで光っている刀身をジーっとみているだけでうっとり。
この刀を見るだけで1時間以上へばりつけます。
国の宝と書いて「国宝!」
ミーハー者にはたまらない一品です。
ちなみに、この国宝大太刀の隣に、山中鹿之助が奉納した大太刀も展示されてい
ます。
・・・こちらは刃こぼれがひどいです。
国宝の隣にあるので、その痛み具合はなおさら・・・(TOT)
次は3階です。
ここには国宝鎧四点セットが展示されています!
国宝甲冑が4点もです(@O@)/
しかも、そのうち2つは、源頼朝公、源義経公の兄弟の奉納。
源頼朝公の甲冑についているマークは「源氏車」。
源義経公の甲冑についているマークは「扇子」。
全くの主観ですが、頼朝公の鎧はどことなく毅然としてりりしく、義経公はどこ
となく柔和ですずやか。
どちらの鎧も保存状態が素晴らしくよく、とても1182年の作品とは思えない美
しさ。
これが国宝の美しさかぁとすっかり心を奪われました。
今回で2回目のご対面ですが、もう目はクギづけです。
前から見てうっとり。
横からのぞいてうっとり。
後からながめてうっとり。
また、前から見てうっとり。
・・・・・・・・・・・・
時を忘れて夢中になるとはこのことなり。
しかも、これを義経公が着てたかも〜と思うとワクワクしてきます。
判官びいきの語源にもなった、義経公。
鮮やかな武勲をたてながらも讒言によって悲劇をむかえる義経公。
この国宝甲冑は、伊予の守として日の出の勢いのときにここ大山祇神社に奉納さ
れたもの。
その美しさはひときわ光り輝いております。
この甲冑を見たくて再度訪れたといっても過言ではありません。
後ろ髪を引かれる思いで3階を後にし、一度2階に戻り、通路を通り、隣の部屋
に移動します。
この通路の廊下に大山祇大神から始まる家系図が展示されています。
まさにご先祖様は神様というのがこの家系図からうかがいしれます。
ええなぁ。
さて、奥の部屋には甲冑がごろごろと。
それも重要文化財の甲冑が。
中には木曽義中公の甲冑もあります。
んが、痛みが激しい・・・
あぁ、旭将軍、義仲公。
同じ時代の頼朝公、義経公の甲冑は国宝なのに。
同じ源氏の血筋なのに。
ものの哀れを感じます。
さて、この部屋の目玉は、日本で唯一の女性の用の甲冑です!
普通、甲冑と言うと、

こんな感じですが、この鶴姫の甲冑は、

このように腰の部分がくびれているのが特徴的です。
甲冑というとどうしても"いかつい"イメージがありますが、この鶴姫の甲冑は
女性らしい優しさをイメージさせます。
さて、この甲冑の持ち主、鶴姫とは一体どのような人物なのでしょうか?
鶴姫・・・大山祇神社の大宮司、大祝安用の娘。
彼女がいかに戦い、いかに死に、日本唯一の女性用甲冑を後の世に残したか。
鶴姫の物語は涙なくしては語れません。
時は、天文十年(1541年)。
瀬戸内海は中国地方の覇者、大内氏の支配に怯えていました。
大三島を支配した大祝氏も、長男の安舎は祭職の身なので、戦場へは出ず弟の大
祝安房が三島城の城代として大内氏と戦います。
しかし、彼はこのときの戦で戦死してしまいます。
彼の後をついで、瀬戸内水軍の先頭に立ったのが妹の鶴姫です。
彼女は例の甲冑を着こみ、同年10月、大内軍の将、小原隆言を討ち取っていま
す。
それから、天文十二年(1543年)六月、大内義隆は陶晴賢に三度目の大三島攻撃
を命じました。
陶晴賢といえば、大内軍きっての武闘派にして、闘将。
攻め寄せる戦力も過去2回を大きく上回り、大内軍は本気で攻め寄せます。
鶴姫は、恋人とも言われていた右腕、越智安成とともに陶軍に立ち向かいます。
あきらかに劣勢な大祝軍は、追い詰められ状況は悪化するばかり。
鶴姫は、三島城に諸将を集め、最後の決戦をすべく命令を下します。
この最後の攻撃は成功し、大内軍は命からがら領地に逃げ帰りました。
しかし、追う大三島軍も兵の損失は多く追撃する余力はありませんでした。
こうして大三島を守り通した鶴姫ですが、帰還した彼女を出迎える人の中に越智
安成の姿はありませんでした。
彼は一人捨て身の攻撃を大内軍にしかけすでに戦死していたのです。
最愛の人がすでにこの世にいないことを知った鶴姫は悲しみのあまり、彼の後を
追って海に身を投げてしまったと伝えられています。
女性の身で大三島を守りぬいた鶴姫。
その生涯はあまりにもはかなくそして劇的です。
東洋のジャンヌ・ダルクと言っても過言ではないでしょう。
島を守りぬいてほっと一安心したそのときに恋人の死を知る・・・
悲劇とはこのことをいうのでしょう。
大山祇神社に今も残る鶴姫の甲冑を見ると胸を締め付けられる思いです。
戦国の世に生きる女性たち。
その中でも最前列で軍団を指揮した女性も珍しいと思います。
多くの甲冑が展示されている中で最も目をひく甲冑の一つ。
それが鶴姫所有の「紺糸裾素懸威胴丸」です。
さて、ときはすでに2時20分。
来るときには3時間かかったこのしまなみ海道。
6時に自転車を返すためにもここを遅くても3時には出ないと危険です。
ですので、大急ぎで2階の大太刀、3階の義経公の国宝甲冑をもう一度目に焼き
つけ、来年もう一度くるぞ〜と心に誓い、大山祇神社を後にしました。
最後に大山祇神社の素晴らしき展示物を見ることができるHPをご紹介いたしま
す。
「大山祇神社」
大山祇神社の大鳥居の正面にあるお饅頭屋さん(名前失念)で、鶴姫最中を購入。
なかなかのお味です。
さて、ここからまた40キロの道のりをひたすら帰ったのですが・・・
♪行きはよいよい 帰りは怖い〜
といふ歌を文字通り体験させていただきました(−−)
一言。
すんごく辛かったです、はい。
皆さん! 80キロのサイクリングは本当につらいです。
できることならされないことを心からおすすめします。
行きはまだ国宝甲冑を見るぞ〜
という目的があったからよかったですが、帰りはその楽しみもなく、さらに前半
40キロの疲れがじっくりたまって、最早へろへろ状態。
足はパンパン、気力はボロボロ。
満身創痍とはこのことなり。
特に因島のアップダウンには閉口しました。
恐るべししまなみ海道。
サイクリングにはよほどの体力に自信がないと泣きをみること間違いなし!
今回体力の限界を知りました。
・・・・80キロはもういいです・・・
この80キロのサイクリングが翌日以降の城攻めに悪影響を及ぼすことにそのと
きは全然気づきませんでした・・・
帰りは結局疲労がたまりペダルをこぐ気力もだんだん失われ、行きは3時間で走
破できたのに、帰りは3時間半もかかってしまいました。
帰りの体力もよくよく考えないといけないことも学びました(−−)
それにしても、往復に8時間もかけて、肝心の大山祇神社に1時間半もいれない
かったのは我ながら○○みたいと思いましたが・・・
ふぅ〜
その日は疲れすぎて逆に眠れず、ベッドの上で夜遅くまでう〜ん、う〜んとうな
されました。
さて、次回翌日は福山城についてご報告したいと思います。
それでは〜
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