皆さん、こんにちは。
霧隠です。

宇喜多直家という武将がいます。
大河ドラマで豪姫の旦那さんである秀家公のお父さんです。

彼は父の時代に城主の座を追われ、一家流浪の状態から備前、美作を支配する大
名に成りあがります。
主君である浦上家を下克上で乗っ取り、舅を攻め滅ぼし、妹の嫁ぎ先を得意の謀
略で奪い、(鉄砲や毒まんじゅうというアイテムを利用したり)あらゆる手段を用
いて宇喜多家を磐石のものにしていきます。

・・・なんだかダークな香りのただようお人です。
・ ・・でも、ある意味、土岐家をのっとった美濃の斎藤道三公にどことなく似て
・ いるような。

さて、彼がどのくらい謀略にすぐれているのか、あるエピソードをご紹介したい
と思います。

それは、“不死身の男、岡剛介”についてです。

あるとき、宇喜多直家公に敵対するお家がありました。
城を力攻めしても家臣の団結が強く、たやすく落ちそうにもありません。
しかし、家臣の団結もお殿様あってのもの。
彼の人望はなかなかのものだったそうです。

・・・彼の命を奪えたら。

直家公の謀略が始まります。

ある日直家公は家臣の岡剛介(少年当時は清三郎といいました)をそばに呼び、
耳打ちします。
小さくうなずく剛介。

・・・翌日。

直家公は突然、剛介に対して
「無礼者! 打ち首にしてくれる!!」
と怒鳴りつけます。

それに対して剛介は、
「こんな主君はこちらから願い捨てだ!」
と轟然といい捨てます。

驚く他の家臣のとりなしで、剛介は打ち首は免れ、牢屋に入れられます。
しかし、剛介は牢屋から脱走してしまいます。
宇喜多家を飛び出した剛介は、そのまま直家公に敵対している武将の領地に向か
います。

そして、そのお殿様が散歩しているところに、一人の美少年が現れます。
(ひさかに)美少年好きなお殿様はこの美少年に一目ぼれしてしてしまいます。
話を聞くと、親とケンカをして家を飛び出してきたという。
その話を聞くと、(すぐさま)召抱えようといたします。
お供の家臣達が素性の怪しい人物を召抱えるのは危険だと進言しても、美少年の
美しさに心が奪われてしまったお殿様は聞く耳を持ちません。

この美少年こそ、岡剛介です。

お殿様は剛介を片時もそばから話さず、寵愛します。
遠出をするときも、お昼寝するときも膝枕をさせたりして・・・

ある日、いつものように剛介に膝枕をさせてうたた寝していると、ころあいよし
と、にやっと笑った剛介が胸から短刀を出し、ズバッと一気にお殿様の首を掻き
切ります。

異変に気づいた家臣がお殿様の寝所にいったときには、すでに剛介の姿はなく、
お殿様の首のない体のみ。

剛介は単身、お城のガケから一挙に駆け下り、無事、直家公のもとに敵将の首を
持って帰還したという。

岡剛介、宇喜多家に存在する特殊部隊の一人といわれています。
絶世の美少年だったそうです。

それ以外にも直家公は、お隣備中の大名、三村家親を暗殺しています。
・・・敵にしたら恐ろしい男だと思います。

さて、前置きが非常に長くなってしまいましたが、この岡剛介が守るお城こそ、
忍山城になります。
彼は、副将としてこの忍山城に派遣されます。
宇喜多直家付きの武将である剛介は、備前と備中の国境を守る要衝である忍山城
のてこ入れに来たのでしょう。

この忍山城が毛利の手に渡ってしまうと、宇喜多の本拠地、備前国の維持が難し
くなります。
実際、この忍山城が落城してからは、宇喜多家は存亡の危機に陥ります。
のど元に刃をつきつけられてしまうように。

そんな危機感を持って岡剛介は着陣したことでしょう。

時は、1579年。
1575年に終結する備中兵乱を平定し、宇喜多氏も毛利氏の後押しを受け、尼子勝
久の立て篭もる上月城を攻めます。
しかし、織田家の勢力が強いことを察知した直家公は、毛利氏と手を切り、秀吉
公を通じて、織田家と誼を通じます。
もちろん、毛利氏は怒り、毛利輝元公を大将にする三万の兵で備前に侵攻します。

忍山城に対してすぐ北側の本陣山に毛利氏は布陣します。
その中には、若き日の吉川広家公(当時の名前は「経言」といいました)
の姿もありました。

忍山城攻城戦のときの岡剛介の年齢は20代と言われています。
対する経言は彼よりも年若だったようです。
今まで何度も危険な任務をこなしてきた自信が彼をこのような勇敢な行動にかき
たてたのでしょうか、経験も未熟な経言(広家)をあなどった剛介は篭城策を止
め、打って出ます。

しかし、結果は経言軍の勝利。
さすがの剛介も兵を引きます。

そのとき忍山城に異変が起きます。
突然、城内から火が出たのです。

それが、城内の裏切りからか、毛利軍のものかは分かりませんが、突然の出火に
城内の宇喜多軍は浮き足立ってしまいます。
その混乱を見逃す吉川経言ではなく、一挙に忍山城を落とし入れます。

あっけなく落城してしまう、忍山城。
このとき岡剛介も討ち死にしたとも言われていますが、その後の秀吉公の備中高
松城の戦いのときに、“岡剛介の陣跡”があるそうです。
不死身の剛介の異名は伊達ではないようです。

さて、忍山城は勝尾峠のそばのトンネルの上にあります。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.47.10.918&el=133.50.14.384&la=0&fi=1&sc=6
(もしかしたらアドレスが2行になっているかもしれません。全部をコピーして
ペーストしてください)

縄張りは横長でその長さは400mもあります。
トンネルそばから登るのですが、別段登城口や登り口などございません。
おもむくまま気ままに山の中に突入します。
分かりやすいように竪堀を登ります。
ここには見事な切岸があります。

ガケを登って、広い曲輪が続きます。
間に堀切もあるし、竪堀もある。
石垣とかはございませんが、曲輪一つ一つがしっかり作られており、防御性にす
ぐれたお城だというのが分かります。

歩けども歩けども先端の曲輪にたどりつかない長大な山城です。
細長い400m尾根上の4箇所に「狭い尾根、高い切岸、堀切」を集中させた防
御ポイントがあり、1箇所突破されても次の防御ポイントで頑張れるようになっ
ています(この文章のみOさんの言葉をそのまま引用しております)。
曲輪のヤブはそれほどではありません。
遺構の確認をしながら、ご一緒した宇喜多研究会のOさんとその友人Fさん、そ
して木下さんと宇喜多氏について楽しく歓談しながらめぐりました。

関ヶ原で大活躍する明石全登。
彼のお父さんは、元々浦上氏の家老だったそうです。
しかし、浦上氏が宇喜多氏にのっとられるに及んで、宇喜多氏に臣従するそうで
す。
以前ご報告した宇喜多騒動で多数の譜代の家老を追放しなければならなくなった
秀家公は、浦上氏の家老だった明石氏を筆頭家老にするわけです。
それまで明石氏は客分として仕えていたそうです。

などなど宇喜多氏についての話題が尽きませんでした。

時間したら1時間半。
そろそろ戻ろうかと降りようとしたら、人と遭遇。
ん? こんなヤブだらけのお城に誰だ?

近づくと鉄砲持ってる!?
も、もしかして〜

このお城MLでご注意してくださった鉄砲打ちの方達でした。
話を聞くと今から猪を撃つに行くという。
忍山城の隣の山に行くとのことでしたが、忍山城にも猪はいるといいます。

あ、あぶなかった〜

あやうくヤブをガサゴソしているところを

ズドン!

と撃たれるところでした(−−)。
やはり鈴や話ながらの行軍は必要ですね。
皆さんもお気をつけてくださいませ。

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