今日もこりずに霧隠@そろそろ記憶があやふやだ!です。

今回で第4話になりまする、信濃の旅報告です。

前日、葛尾城で満身創痍でバタンキューで、10時には熟睡した某は
なんとか8時には起き(というか、M殿にモーニングコールしていただき)、
まずは、真田邸へ!(あれ? 違うかも・・・)

お庭がありました・・・
すっかりどんな建物か忘れました・・・

それから、村上義清公のお墓にお参り。
でも、どこ? どこ? 駅には確かに徒歩10分と書いてあったのに・・・
入り口がわからない。
付近の高校生に尋ねてもわからない。
某の出番で情報収集。
ずかずかと電気店に侵入し、
「村上義清公のお墓はどこ?」
「?? ああ、そこの道をすぐ左です」と、ちょっと怪訝とした表情。
確かにありました・・・ひっそりと。ここの支配者(だれか忘れました)が
子孫に呼びかけて作ったようです。

そのままいざ! 戸石城へ!
米山城、戸石城、本城、枡形城、一気に4城攻略をめざして!

相模のM殿の鉄馬は今日も元気に某一行をのせ、付近まで。
で・・・あ! 看板発見! ←戸石城登り口
そのまま、十字路を左に・・・しばらくパッカパッカ・・・
おかしい、カーナビは山の横をさして一向に近づかない。
登り口はどこ? 確かにあの山なのに〜
あ! 米山城街道の小さな看板が。

とりあえず、職業柄某が、付近の住民に情報収集。
「えー、あそこにある米山(よねやま)城を登りたいんですが。」
「ああ、米山(こめやま)城ね、あそこから登れるよ。遊歩道になって整備
 されているから、私の足で40分くらいかな。車は公民館の駐車場に止めていい
よ」

40分。遊歩道・・・昨日の悪夢が・・・
という気持ちは置いといて(というかイヤなことはすぐ忘れるので)、さっそく
元気に山登り。
昨日と一転してほんとうに緩やかな遊歩道。道は広いし、険しくないし。
村上殿と話しながら、ウグイスや小鳥のさえずりを楽しみながらのあっというまの
登頂! ついた! 米山城。ひろーい! 村上義清公の石碑もありました。

そのまま、尾根伝いに戸石城へ。ちょっと急な坂がありましたが、ロープもあり、
また、戸石城への登りは木の階段も!
さすが、戸石城。戸石崩れでかの竹田信玄公を追い落とした名城(でも真田幸隆の
謀略でわずか1日で落城したけど・・・)きちんと整備されている!
感激! 感動! やっぱり山城はこうでなくちゃ!!(がんばれ葛尾城!)

すぐ下は真田町。真田幸隆の出身地。目と鼻の先なので、これなら知っている
人物が戸石城にいただろうなと予想できます。

そのまま、一気に本城へ。どうやら某が読んだ新田次郎の「竹田信玄」での
戸石城はこの米山城・戸石城・本城・枡形城の4つを全て含んでいうそうです。
連郭城郭(?村上殿きちんとした説明頼みまする)としては立派な作りで
これなら遠く(上田から真田まで一望できる)まで見れるし、山は険しいので
力攻めしてもなかなか落ちないでしょうね。
山城の典型です。
登りも簡単(葛尾城比0.3倍—某にとって)なので、初めての方お奨めです!

本城はとっても広くて(100Mくらい)、濠きりや空堀など、本格的なお城って
感じです。竹矢(戦時にはこの竹で矢を作る)もあって、雰囲気抜群!

それから10分ほどで枡形城へ。文字通り枡形の形らしい・・・はて?
さっぱり・・・わかりませんでした・・・

そのまま無事下山。約1時間40分くらい。道も良く整備されており
遺構も良く残っているので、初めて山城を攻めようとしている方には
お奨めです。これが中級でしょうね。
ちなみに葛尾城は上級か?(でも、もっと険しい山城はあるんだろうなぁー)

それから真田博物館で某のミニ人形と、真田のお宝を見ました。
昌幸が九度山で信之にお金の工面を頼んでいる手紙や、関が原の弐年後に
九度山から本多正信に許しを斡旋した手紙があったりと興味深い資料がありました。

その後に真田館跡に。付近の住民がゲートボールしてました。

そして、手打ちそばを! お店は「佐助そば」あ! 兄貴だ!
さっそくメニューを・・・あった! 霧隠そば。1500円也。
おいしかったです。

今日も長くなってしまったので、また、こっそり明日書きます。
ながながとすみませんm(_)m

そろそろM殿の写真をHPにアップしなくちゃ・・・

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