北海道のアイヌ文化 登録運動の有無:2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録 登録の可能性評価:★★(中) 所在地:北海道 |
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【世界遺産に登録できるか?】 アイヌ文化に限りませんが、 最近、 北海道では北海道遺産という運動があって、 先日もNHKで深夜に放送されましたが、 その中でもアイヌ文化の評価は高く、 新たな文化的価値の模索や再評価がなされております。 しかし実際のアイヌ文化はもうほとんど残っていませんし、 現存する建築遺構は皆無であり、 さらに文字が無かったので歴史的考証も、 日本の文献に登場するアイヌ人の記録を探ることしか出来ないのが実情です。 ですから、 現時点でアイヌ文化を世界遺産に推薦してもほぼ間違いなく不可能でしょう。 そこで、 どうすれば少しでも世界遺産登録の夢に近づけるかという隘路について考察することにします。 まぁ早い話が、 強みを最大限に生かし、 弱点を減らす方法です。 まず弱点ですが、 アイヌ文化の中心となるような遺跡、 遺構、 聖域がいまいち判然としない点は問題です。 というのもアイヌ文化は北海道全体にありますが、 全てが世界遺産候補にはなれないわけで、 世界遺産になる場合は、 代表的で一級の遺構のみがアイヌ文化を代表するものとして登録されるからです。 現在の段階では、 その代表的なアイヌの遺構がよくわからないのです。 でもきっとそういうNo1の遺構はあるはずです。 それを中心に運動する必要があります。 この弱点は、 知名度の向上や広報活動によってある程度解決できる問題なので、 早急に対処するほど効果的でしょう。 それともう一つは、 一般的にアイヌ文化が自然を崇拝し、 自然のバイオサイクルで生活していたという考え方です。 一般的には、 この点はアイヌ文化の長所と見なされていますが、 私は必ずしも長所ではないと考えています。 というのも、 そういった文明から隔絶された原住民の文化は、 世界中に今でもたくさんあるからです。 つまりアイヌ人の宗教観は評価できるとしても、 生活スタイルは別にそれほど特異で珍しいものではない。 だからこの点を主張してもアイヌ文化の世界遺産化は無理であろうと考えます。 アイヌ文化を自然と一体化した文化という主張や宣伝は、 それ自体あまり意味がないのです。 またアイヌ文化は完全に外界から孤立していたわけでもなく、 日本や中国東北部や樺太などと盛んに交易をしていました。 江戸時代は蝦夷錦などが有名でしたし、 さらに遡ってオホーツク文明圏の遺跡からも、 アイヌ文化が独自に醸成されたものではない事が判ります。 では私ならどうするかという主張をさせていただきます。 私が考えるアイヌ文化の強みを充実させる方策です。 まず三段構えで行きます。 一つ目の戦略は上記の、 代表的で最もアイヌ文化をよく示している遺構の整備です。 代表的なものを1〜3個程度、 集中的に整備するのです。 これはすぐ出来ると思います。 もしかしたらもう整備の完了したアイヌ文化の歴史公園は複数あるかもしれません。 二つ目の戦略は、 縄文文化に注目するのです。 縄文文化がアイヌ人の祖先によって形成されたのは間違いなく、 三内丸山遺跡の出土品と比較検証することで、 類似性や相違点を見つけることは極めて重要でしょう。 多分これも、 あまり知られていないだけで、 ある程度は研究されているはずです。 だとしたらもう少し積極的に広報してもいいでしょう。 私は日本の縄文文化の代表を世界遺産に選出するとしたら、 三内丸山遺跡よりも、 むしろ火焔土器が出土する新潟・長野の縄文遺跡を優先させた方が望ましいと考えています。 なぜなら三内丸山遺跡は、 ほかにも類似した遺跡が国内にも多く見つかっており、 さらに北米や中国にも似たものが見つかっていますが、 火焔土器の遺跡は世界で唯一この一帯だけだからです。 さらに三内丸山遺跡にはまだ不明なことが多すぎて、 しかも結構乱暴な説もまことしやかに飛び交っています。 三内丸山遺跡を世界遺産にするにはまだまだ不確定要素が多過ぎます。 ですから現在のアイヌ文化が縄文文化そのものではないにせよ、 近い文化であったのは事実なのだから、 まずそこを強調し、 火焔土器の遺跡とは別の形で世界遺産運動するのです。 つまりアイヌ文化を北海道に限定せず、 青森県など他県とも共同で運動するのです。 三つ目の戦略は、 人類学的にアイヌ人の特異性を主張するのです。 世界遺産には200万年以上前の猿人の遺構や、 数十万年前の原人の遺構は結構ありますが、 現代人に直結する新人や現生人類の遺構は、 まだあまり世界遺産になっていません。 特に人類の伝播にとって、 どの民族がいつ、 どうやってアメリカ大陸に渡ったかという問題は、 極めて重要な課題です。 最近の研究では、 現在のアメリカ先住民が最初にアメリカ大陸に渡った民族ではないということがほぼ確実となっており、 クロービス人以前にアメリカ大陸に渡った民族の研究が過熱しています。 そのわりにあまり判っておらず、 むしろ混沌としています (西ヨーロッパのソリュートレ文化の影響を主張する学者までいます)。 ただ確かなことは、 いろいろな民族がアメリカ大陸に渡ったのであって、 単一の民族では説明できないということです。 また発見される人骨がまだまだ少なすぎて、 今後新たなる人骨の発見を待たねばならない状況にあるのだそうです。 が、 その数少ない人骨の中にアイヌ人に極めて近い16000年前の人骨が、 スピリット洞窟で発見されています。 また1996年にワシントン州で発見された 9500年前の人骨(ケネウィック・マン)はアイヌ人にそっくりでした。 DNA鑑定では必ずしもアイヌ人との類似性は無かったそうですが、 でもアイヌ人が北米の人類学者の間ではかなり注目されている民族であることは確かです。 同様にオーストラリアにわたったアボリジニーの研究も盛んなのですが、 私は、 豪州でアボリジニーの壁画などがいくつも世界遺産に登録されているのを見ると、 アイヌ文化も人類学的な見地から世界遺産に出来るのではないかと考えてしまいます。 このとき世界遺産化されるアイヌ文化は、 必ずしも日本国内の遺跡のみである必要はないと思います。 国境が無い時代の人類遺構を、 現代の国別の世界遺産で定義するのはやはり無理があります。 日本国内では三内丸山遺跡とかフゴッペ洞窟とかをアイヌ文化の貴重な遺構として主張してもいいでしょうし、 更にシベリアのデュクタイ遺跡、 アラスカのメサ遺跡、 バージニアのカクタス・ヒル遺跡、 ブラジルのルツィア遺跡、 チリのモンテ・ベルデ遺跡なんかの遺跡をまとめて、 「アメリカ大陸に渡った初期人類の痕跡を示す遺跡群」みたいな感じで運動する方法はどうでしょうか。 アイヌ文化をどうしても世界遺産にしたいのならこのような強引な手法も検討してはどうかと思い、 敢えてここで提案させてもらいました。(著=収斂) 2003/03/24 |
狭い意味で、アイヌ文化といいますと、 縄文時代はもちろん、続縄文、擦文文化も入らず、14世紀以降ということになると思います。 もちろんそれらの先行文化との関係も重要でしょうが、 ここではアイヌ文化時代の遺跡に限って史跡に指定されているものをリストアップしてみました。 「代表的で最もアイヌ文化をよく示している遺構」として適切なのが以下の中になければ、 かなりしんどいかもしれませんね。 1、シベチャリ川流域のチャシ跡群 2、オタフンベチャシ跡 4、モシリヤ砦跡 5、鶴ヶ岱チャランケ砦跡 6、神岩チャシ跡および竪穴群 7、標津遺跡群 8、根室半島チャシ跡群 9、桂ケ岡砦跡
こおチャシのホームページを作っている方の感想では、 10のユクエピラチャシ、4のモシリヤ砦跡、2のオタフンベチャシ跡が、規模が大きく、ベスト3だそうです。 2004/07/19 |