函館の文化財 登録運動の有無:函館要塞では構想があるが、それ以外の場所では特に運動していない 登録の可能性評価:★★(中) 所在地:北海道函館市 |
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【世界遺産に登録できるか?】 和洋折衷の街並みは函館に限らず長崎や神戸に残されており、 独特の景観を作っています。 アジアにおいて唯一早い時期に成功した、日本の近代化、欧米文化の吸収の過程を示す例として、 函館の文化財は面白いかもしれません。 正直ヨーロッパなどの街並みと比べますと、日本の都市は苦しい気もしますが、 可能性をさぐってみましょう。 長崎や神戸と異なり、 函館は一般に歴史が浅く思われているようですが、 北海道の開拓の歴史は下記にあるようにアメリカよりも古く、 アメリカの文化遺産(自由の女神、独立記念館、ヴァージニア大学)が登録されるならば、 北海道の文化財も登録されてもおかしくないかもしれませんね。 函館を中心とする北海道の渡島・檜山地方に和人が住むようになったのは、 今からおよそ700年前で、 コロンブスのアメリカ大陸到達の200年ほど前になります。 和人村落が形成されはじめたのは、 500年ほど前の室町時代からで、 アメリカにヨーロッパ人が本格的に入植する100年ほど前です。 この頃には勢力のある者が「館」を築いて、 村々を守っていました。 1456年にアイヌの酋長コシャマインが反乱を起した時に、 和人の12の館のうち、10館がアイヌによって陥落しました。 函館には小林氏が治めていた志苔館の土塁などが国の史跡として保存されています。 その他にも函館周辺には下国氏の治めていた茂別館跡(上磯町)、 蠣崎氏(後の松前氏)の治めていた大館跡(松前町)、 勝山館跡(上ノ国町)、 花沢館跡(上ノ国町)が国の史跡に指定されています。 江戸時代初期から道南地方は和人地と定められ、 アイヌと居住地を分離しています。 従って道南地方には近世のアイヌの遺構はほとんどありません。 函館は江戸中期から松前三湊の一つに数えられ、 蝦夷地の主要港として栄えました。 1855年、日米和親条約により開港。 下田、長崎と並び、日本と西洋の窓口となります。 函館は幕府直轄地となり、 日本最初の西洋式保塁、五稜郭を造り(1864年完成)、幕府箱館奉行所を設置しました。 1868年に旧幕府軍の榎本武揚が五稜郭を占領し、官軍と戦いましたが、 翌年の降伏開城によって箱館戦争は終わります。 この五稜郭は国の特別史跡に指定されており、 石垣などが良好な状態で残されています。 星型の壕は日本においては珍しいものですが、 ヨーロッパでは各地に結構残されているようです。 しかし明治維新の歴史的証人として、「登録基準6」に該当するとも考えられます。 またこの戦争のときに旧幕府軍が急造した防御施設、 四稜郭も国の史跡として残されています。 明治以降の函館では長崎と同様に、 洋風と和風の入り混じる独特の街並みが形成されていきました。 幾たびか大火の被害を受け、 明治初期のものはほとんど残されていませんが、 明治・大正の洋風建築を代表する建物として太刀川家住宅店舗、 旧函館区公会堂、 函館ハリストス正教会主の復活聖堂、 旧遺愛女学校宣教師館が国の重要文化財に指定されています。 太刀川家住宅店舗(明治34年)は煉瓦で壁を作っていますが、 漆喰を塗って外観は和風の土蔵造りになっています。 大火の多かった函館の防火建築を代表する遺構です。 正面には2本の鋳鉄柱を立て、 三連アーチや庇を支える唐草型のブラケットなど洋風の装飾が見られます。 旧函館区公会堂(明治43年)は、 明治40年の大火で焼失した町会所に代わる施設として、 豪商相馬哲平の寄付で建築されました。 本来は石造の西洋建築を日本の技術を用いた木造で建てる、 擬洋風建築の代表。 ルネッサンス風の外観ですが、 所々正統な西洋建築の様式を無視しています。 青灰色の下見板張りの壁、 からし色の柱という強烈かつ独創的な配色も時代の雰囲気を伝えています。 ハリストス正教会(大正5年)は明治40年の大火で初代の聖堂が焼けた後、 河村伊蔵により設計。 函館は最初にロシア正教が伝わった地ですので、 その記念碑的な存在でもあります。 ロシアビザンチン様式を基本とした外観は、 日本の教会で最も美しいものの一つです。 旧遺愛女学校宣教師館(明治41年)は、 女性外国人宣教師の住宅として建設されたものです。 明治15年創設の遺愛学院は東京以北で最初の女学校です。 アメリカ系の団体のため、 アメリカ建築様式を取り入れていますが、 屋根に和洋折衷の工法を試みたり、 部屋の間仕切りが和室同様の引き戸になっていたりします。 規模が大きく、 外部構成や内部空間などが意匠的に優れ、 北海道を代表する洋風住宅建築です。 この他にも旧金森洋物店(明治13年)、 旧函館博物館1号(明治11年)、 旧函館博物館2号(明治16年)、 旧北海道庁函館支庁庁舎(明治42年)、 旧開拓使函館支庁書籍庫(明治13年)が最盛期の函館の歴史を伝える建物として、北海道指定の文化財となっています。 元町と末広町地区の歴史的建造物は、 重要伝統的建造物群保存地区に選定され、 60件が保護されています。 煉瓦倉庫が並ぶ港の風景、 旧イギリス領事館、元町カトリック教会、港を見下ろす坂道に並ぶ下見板張りの和洋折衷住宅や店舗、 日本最初のコンクリート製寺院(真宗大谷派函館別院)などが見所です。 これとは別に函館市景観形成指定建築物として、 旧ロシア領事館、煉瓦造りの中華会館、洋風木造銭湯の大正湯、 レストラン五島軒など40件ほどが選ばれています。 また函館山からの夜景は、 見下ろす角度が飛行機着陸時の進入角度と同じで、 理想的とされています。 両側に弧を描く独特の図は、 文化的景観としての価値もあるかもしれません。 P.S. 昨今進められている平成の市町村合併(個人的には反対)により、 近々函館市の領域が広がる予定です。 そうなれば、 恵山町にある近代化遺跡、 古武井熔鉱炉跡(1857年)と女那川煉瓦製造所跡(1856年)、 南茅部町の縄文文化の代表遺跡、大船遺跡も「函館の文化財」とみなせるようになります。(著=浅野さん Thanks!) 2004/08/21 |
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