纏向考古遺跡



登録運動の有無:なし

登録の可能性評価★★★(高)

所在地:奈良県桜井市


【世界遺産に登録できるか?】
  纏向(まきむく)遺跡は奈良県桜井市の三輪山の北西麓に所在する広大な遺跡で、
その広さは300万平方メートルにも達します。 現在発掘されたのは遺跡全体のごくわずかですが、 発掘された遺物はどれも超一級であり、 今後さらなる大きな発見が期待されています。

  この遺跡からは縄文時代や弥生時代の遺構、 遺物も多少見つかっていますが、 遺跡の最盛期は弥生時代終末期〜古墳時代前期にかけてであり、 これは邪馬台国が栄えた時代とちょうど合致していることから、 邪馬台国の最重要候補地でもあります。

  纏向遺跡最大の特徴は、 出土した土器のうち約三割が大和以外の外来の土器である点です。 それら外来の土器は南九州から南関東にいたる日本列島各地のものであり、 中でも東海地方の土器が最も多く、 朝鮮半島の韓式土器も出土しています。 また吉備地方に起源を持つ「弧紋」という紋様を施した木製品や、 鶏形の埴輪や木製品など、 祭祀に関係すると思われる遺物が多く出土しています。 これは纏向遺跡が物資の集散地であった証拠です。 このような遺跡は全国でも纏向遺跡だけです。

  またこの遺跡は歴史の中に突然出現します。 纒向大溝や下水施設といったインフラを備え、 整然と区画された都市機能をもったこれほどの遺跡が、 弥生時代末期に突如出現するのは謎です。 また祭祀遺構ばかりが目に付き、 首都であったならば多く存在していなくてはいけないはずの倉庫跡や住居跡が、 現段階ではほとんど見つかっていません。 周辺に纒向石塚・纒向矢塚・纒向勝山・東田大塚といった、 箸墓古墳に併行もしくは先行すると目される前方後円形の墳墓が存在することから、 纏向遺跡が当時の日本の首都であったというよりは、 宗教施設の中心であったという説もあります。

  この遺跡一帯は間違いなく日本の考古学の特別地域です。 ですから明日香村や平城京を守るのと同じくらいの遺跡保護条例を制定すべきでしょう。 世界遺産になれるかどうかはまだ未知数ですが、 仮にここから邪馬台国の証拠を示す遺物でも出れば、 世界遺産は狙えると思います。(著=収斂)

2003/02/08



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