名護屋城遺跡



登録運動の有無:なし

登録の可能性評価★★(中)

所在地:佐賀県唐津市


【世界遺産に登録できるか?】
  現在この名護屋城は、
江戸時代の廃城令によって廃墟となっていますが、 建設当時のこの城は大阪城に次ぐ規模を誇り、 周辺には朝鮮出兵のために集結した諸大名の陣屋も含め、 10万人の都市が突然出現し、 豊臣秀吉の死による出兵の中止によって、 再び無人の寒村になったという歴史的にも数奇な場所です。

  このため城郭遺構は後世の都市化の影響を受けておらず保存状態が良好で、 現在も行われている発掘調査でも新しい発見が続いています。 特に近年、 金箔瓦や秀吉の茶室の遺構までも発見されており、 さすが特別史跡だけのことはあります。 しかし、 いくら保存状態のよい遺物が多く発見されたとしても、 これだけでは世界遺産にはなれないでしょう。 ですから私ならこういう方法で運動します。

  まず、 韓国にある十数個現存する倭城群と名護屋城を合同で世界遺産化するという方法です。 日本にとっては負の世界遺産と感じる人もいるかもしれませんが、 ちょうどこれは十字軍の遺構の幾つかが世界遺産になっているのと同じような物であり、 また400年以上も前の話なので歴史事実として冷静に考えるべきでしょう。 韓国の城塞は中国の城(中国で城は都市という意味)の様式を踏襲しており、 水原のように街全体を城塞で囲むものですが、 このような城の構造では、 敵が城壁を乗り越えて侵入して来ると、 城内での防衛は極めて脆弱であるといわれています。 これに対し日本の城は100年以上続いた戦国時代の実戦経験も基に進化した城なので、 全然違うのです。 そしてその技術が倭城群にも随所に採り入れられています。 ところが日本に現存する城郭は戦国時代が終わった後に改築や重建されたり物が多く、 戦国時代の城郭や石造技術の考証には必ずしも適しません。 それに対し韓国の倭城群は、 16世紀後半から現在までそのままの状態で放置された物なので、 名護屋城とともに、 戦国時代の日本の城郭建築を研究する上でとても貴重なのです。

  残念なことに現在、 韓国の倭城の保存状態が危機的状況にあるのは韓国でもあまり知られていません。 韓国の人達にすればこういう倭城を世界遺産にするのは勿論、 整備するのも嫌な話でしょう。 でも貴重な日本の城郭が韓国に現存しているというのは、 皮肉な話ですが事実です。 もし韓国が倭城群を世界遺産にするのであれば、 名護屋城も含めて合同で運動するのは意義深いのではないでしょうか。(著=収斂)

2003/03/24



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