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関東地方の世界遺産登録運動地リスト

▼遺産名の帯が青は主に文化遺産からなる場所、緑は主に自然遺産からなる場所です
▼現況は、過去2年間の動きが不明のもの、中止を明言していないものは「休止中」としました
▼登録の可能性は、弊サイトが独断で判断したものであり、各遺産の価値を絶対的に決定づけようというものではありません


水戸藩の学問・教育遺産群 現況:運動中 可能性:★★★
茨城県/水戸市

経緯
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。

特徴
文化庁に提案されたのは、1698年に徳川光圀が『大日本史』編纂のため開設した「旧水戸彰考館跡」、1841年に創設された日本最大の藩校「旧弘道館」、弘道館に対比する休養の場としてつくられた「偕楽園」、1820年頃に開かれた私塾「日新塾跡」の4史跡。[1]


近世の教育資産 現況:運動中 可能性:★★★
茨城県/水戸市
栃木県/足利市
岡山県/備前市
大分県/日田市

経緯
●09年、水戸市の加藤浩一市長の呼びかけで、弘道館(茨城県)、足利学校(栃木県)、閑谷(しずたに)学校(岡山県)の3史跡からなる「『近世の教育資産』世界遺産登録推進会議」を開催(09/02/19常陽新聞)。その9か月後、咸宜園(かんぎえん/大分県)も含めた4史跡での運動に拡大(09/11/06西日本新聞)。
●10年、日田市が咸宜園の登録を目指し、世界遺産登録検討委員会を開催(10/05/26朝日新聞)。
●10年、加藤市長が4市会議を提唱し、初の合同学術研究会議を開催(10/11/18産経新聞)。
●11年、閑谷学校の検討専門委員4名が「旧閑谷学校単独で登録を目指す」とする原案をまとめ、4資産共同運動から外れることが濃厚になった(11/06/03山陽新聞)。

特徴
江戸時代の教育機関には、諸藩が領内に設けた藩学(藩校)、民間の有識者が開いた私塾、庶民の初等教育を行った寺子屋、藩主などが設立・補助した「高等寺子屋」とでもいうべき郷学(ごうがく)などがある。弘道館は藩学、足利学校と閑谷学校は郷学、咸宜園は私塾。[8]


大名庭園群(偕楽園、小石川後楽園、兼六園、岡山後楽園、栗林[りつりん]公園) 現況:休止中 可能性:★★★
茨城県/水戸市
東京都/文京区
石川県/金沢市
岡山県/岡山市
香川県/高松市

経緯
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募した「城下町金沢の文化的都市景観」に兼六園が構成要素として含まれた。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●06年、5庭園の市民団体が交流協議会を設立。各庭園の相互理解やPRが目的だが、「共同で世界遺産登録も目指したい」と発言(06/10/24毎日新聞)。
●07年、文化庁が第2回暫定リスト公募を実施。偕楽園が「水戸藩の学問・教育遺産群」に、岡山後楽園が「近世岡山の文化・土木遺産群」に、それぞれ含まれた。また、第1回に引き続き審査を受けた「城下町金沢の文化的都市景観」には兼六園が含まれた。しかし、3件とも記載は見送られた。

特徴
大名庭園は江戸時代、諸大名が江戸や自らの城下町につくった大規模な庭。従来の書院庭園が建物に付随する存在だったのに対し、大名庭園は庭そのものが主体となっている点が特徴。また、各地の名勝を再現し、写実的な作庭がなされていることも大きな特徴である。[9]


足尾銅山 現況:運動中 可能性:★★★
栃木県/日光市

経緯
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。
●応募の提案名は「足尾銅山−日本の近代化・産業化と公害対策の起点−」。

特徴
19世紀末に多量の銅が採鉱・精錬された足尾銅山では、亜硫酸ガスと鉱山廃水による被害も深刻化した。そこで1896年に日本初の「予防工事命令」が発令され、以後の対策を徹底。20世紀以降も煙害対策を進めるなど、日本の公害対策の歴史が凝縮された場所である。[1]


日光杉並木 現況:運動中 可能性:★★
栃木県/日光市、鹿沼市

経緯
●99年の「日光の社寺」の世界遺産登録に前後して、本件の登録についてしばしば触れられた。その後の動静は不明。

特徴
17世紀半ば、日光東照宮の参道に大河内正綱が植裁し、東照宮に寄進した並木。およそ30kmに約1万7000本が植えられ、幹囲7mを越える巨木もある。国内有数の杉並木として、特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受けている。[2]


足利学校と足利氏の遺産 現況:運動中 可能性:★★★
栃木県/足利市

経緯
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。
●09年、足利市の世界遺産検討会議で、弘道館(「水戸藩の学問・教育遺産群」として文化庁の公募に応募/茨城県)、閑谷(しずたに)学校(「近世岡山の文化・土木遺産群」として文化庁の公募に応募/岡山県)との連携を決定。

特徴
足利学校の起源には諸説あるが、15世紀には現在地に移転し、現存する日本最古の学校遺構といわれている。儒学を基本に医学や兵学が教育され、出身者は軍師などとして活躍した。文化庁の公募には足利学校のほか、足利氏ゆかりの寺院も含まれた。[1]


富岡製糸場と絹産業遺産群
★暫定リスト記載物件
現況:運動中 可能性:★
群馬県/富岡市、伊勢崎市、藤岡市、甘楽郡下仁田町

経緯
●03年、群馬県の小寺弘之知事(当時)が、「富岡製糸場をユネスコの世界遺産にする研究プロジェクトを発足させる」と記者会見で公表。(『シルク情報』05年7月号所収、岡喜久男著「『旧富岡製糸場』を世界遺産に」)
●04年、群馬県庁が世界遺産推進室を設置。
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募。07年にリスト記載の認定を受ける。
●07年、日本の暫定リストに正式記載。
●11年、構成資産から「薄根の大クワ」「栃窪風穴」「冨沢家住宅」「赤岩地区養蚕農家群」「旧甘楽(かんら)社小幡組倉庫」「碓氷峠鉄道施設」「旧上野(こうずけ)鉄道関連施設」を除外し、新たに「田島家住宅」を追加。
●詳細は群馬県->富岡製糸場と絹産業遺産群 - 世界遺産登録に向けて

構成資産は次の4件
1.旧富岡製糸場
2.荒船風穴
3.高山社発祥の地
4.田島弥平旧宅

特徴
富岡製糸場は明治5年、産業の近代化を目標に掲げた日本政府によって開設された。ここで導入された製糸技術は全国に広まり、日本の近代化の基礎をなした。また、群馬県内には、蚕の卵を保管した天然洞窟の風穴や、養蚕農家・集落が多数現存している。[11]


桐生の産業遺産
※暫定リスト記載の「富岡製糸場と絹産業遺産群」への追加運動
現況:運動中 可能性:★★★
群馬県/桐生市

経緯
●06年、「桐生・世界遺産の会」設立。
●07年、暫定リストに記載された「富岡製糸場と絹産業遺産群」に構成資産として加わることを目指し運動開始。

特徴
桐生では明治22年に様式機織を導入し、早くから織物生産の近代化に取り組んだ。江戸時代から町の中心だった本町周辺には、大正から昭和戦前にかけて建てられたノコギリ屋根の工場が複数残り、江戸〜明治の商家・店蔵建築とともに歴史ある町並みをつくり出している。[11][12]


尾 瀬 現況:休止中 可能性:★★★
群馬県/利根郡片品村
福島県/南会津郡檜枝岐村
新潟県/魚沼市

経緯
●96年に作成された講談社刊『ユネスコ世界遺産』シリーズのパンフレットに「1996年末には宮島・厳島神社、原爆ドームが指定される見通しです。さらに奈良、鎌倉、日光、彦根城、尾瀬、富士山などが続々と申請される予定です」との記述がある。
●00年、弊サイト管理人が東京駅八重洲北口の旧国際観光会館で聞き込みを行ったところ、「登録運動の話は聞いたことがない」との情報を得る。その後も「尾瀬では登録運動をしていない」との話を聞くことが多い。日本に世界遺産が広まった90年代半ば、「白神山地や屋久島が世界遺産なら、尾瀬もなれるだろう」との憶測が広がり、独り歩きしたということか?
●03年、環境省の「世界自然遺産候補地に関する検討会」で尾瀬を含む「奥利根・奥只見・奥日光」が国内19か所の最終候補にノミネートされるも、暫定リストには記載されなかった。

特徴

尾瀬は3県にまたがるが、湿原の主要部分は群馬県にあり、標高1665mの尾瀬沼は群馬・福島県境に位置する。大きく波うち、高低差に富んだ湿原には、いくつもの池沼が点在。なかには浮島をもつものもある。生物学的には、北方系のトンボや珍種の貝類が生息することが特徴。[2]


下仁田町と南牧村の地層 現況:休止中 可能性:★★★
群馬県/甘楽郡下仁田町、甘楽郡南牧村

経緯
●05年、地元の印刷物(タイトル失念)に本件の価値と、産業廃棄物処分場の建設計画に反対する旨の記述があり、「下仁田自然学校は、下仁田町と南牧村の地域を『世界遺産』にしようと考えています」と記載。
●09年、「下仁田自然学校」が講演会・観察会「『下仁田ジオパーク』を目指して」など数回のイベントを開催。日本ジオパーク(あるいは世界ジオパークか)への登録運動にシフトした可能性あり。

特徴
群馬県南西部では、地質変動により岩体の上に別の岩体が乗ったクリッペ(根なし岩)と呼ばれる地形が多く、「跡倉クリッペ」として日本の地質100選に選定されている。一帯の地質構造は非常に複雑で、日本列島を分断する中央構造線も露出している。[13]


草津 現況:休止中 可能性:★★★
群馬県/吾妻郡草津町

経緯
●06年に公表された国土交通省「地域いきいき観光まちづくり−100−」の中澤敬草津町長(当時)のコラムに「街並み全体を世界遺産に登録したい」とある。

特徴
標高1170mにある日本の高位温泉集落の一つ。集落中央の湯畑(ゆばたけ)をはじめ、10か所以上の湧出地をもつ。湧出量は湯畑で毎分4000リットル、温泉全体で3万2300リットルにもなり、日本一を誇る。集落には温泉旅館が建ち並び、近代建築も見られる。[8][14]


奥利根 現況:休止中 可能性:★★★
群馬県/利根郡みなかみ町

経緯
●03年頃、登録運動が存在したらしいが詳細は不明。
●03年、環境省の「世界自然遺産候補地に関する検討会」で「奥利根・奥只見・奥日光」が国内19か所の最終候補にノミネートされるも、暫定リストには記載されなかった。

特徴
年間雨量2000ミリ以上の、日本有数の豪雪地帯。なだれが形づくった深い谷と、ブナ、ミヤマナラの林が特徴。夏まで雪が残るため年間を通じて観察される鳥類が少ないなど、動物分布に特徴がある。現在、利根川源流部自然環境保全地域として保護されている。[4]


埼玉(さきたま)古墳群 現況:運動中 可能性:★★★
埼玉県/行田市

経緯
●04年、埼玉県の上田清司知事が、埼玉県議会で「埼玉古墳群は世界遺産に登録される価値がある」と答弁。
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。
●応募の提案名は「埼玉古墳群—古代東アジア古墳文化の終着点—」。
●詳細はさきたま古墳群世界遺産サポーターの会

特徴
5世紀後半〜7世紀前半に築かれた古墳群。全長100mほどの前方後円墳では、周囲に長方形の二重の堀がめぐらされていることが大きな特徴。最大の二子塚古墳は全長138m。稲荷山古墳は主体部が発掘調査され、銘が刻まれた鉄剣など多くの遺物が出土した。[1]


千葉市の大貝塚 現況:休止中 可能性:★★★
千葉県/千葉市

経緯
●02年、「加曽利貝塚博物館友の会」が「千葉市の大貝塚を世界遺産に!」と提唱。

特徴
千葉県から茨城県南部にかけては縄文時代の貝塚が多く、なかでも有名なのが、国内最大級の貝塚である加曽利貝塚。直径130mと170mの二つの馬蹄形貝塚が隣り合う、独特の姿をしている。このほか、長径160mの荒屋敷貝塚など、千葉市には国指定の貝塚が5件ある。[2]


東京湾の海堡(かいほう)と砲台群 現況:運動中 可能性:★★★
千葉県/富津市
東京都/港区
神奈川県/横須賀市

経緯
●07年、「東京湾海堡ファンクラブ」がパネルディスカッション「東京湾海堡の世界遺産化を考える」を開く。
●08年、同クラブがパネルディスカッション「東京湾海堡・砲台群の世界遺産登録を目指して」を開く。
●詳細は東京湾海堡ファンクラブ

特徴
東京湾には江戸・東京を防備するための要塞が多くつくられた。特によく知られるのが、1853年に黒船来襲に備えて急造された品川台場(お台場)である。明治・大正に時代には、千葉県富津市沖から神奈川県横須賀市沖にかけて、第一・二・三海堡が造成された。


皇居と隣接公園群 現況:運動中 可能性:★★★
東京都/千代田区

経緯
●04年、朝日新聞の記事「世界遺産に立候補続々」のなかの図「全国の主な世界遺産登録運動の動き」で、本件が図示された。活動母体などは不明(04/12/04朝日新聞)。
●09年、(財)日本開発構想研究所理事長の戸沼幸市氏が、理事長発言の連載記事「21世紀の日本のかたち(13)」のなかで「皇居を世界遺産に」と提唱。

特徴
江戸城は日本最大の城で、現在、吹上と西の丸が皇居になっている。現存する建物は数棟のやぐらや門のみだが、徳川家が居城を構えた場所として歴史的価値は高い。本丸跡や二の丸跡がある皇居東御苑、北の丸跡の北の丸公園などは一般公開されている。[2]


国立西洋美術館本館
※フランスなど6か国が共同で登録運動を進める「ル・コルビュジエの建築と都市計画」に含まれる
★暫定リスト記載物件
現況:運動中 可能性:★★
東京都/台東区

経緯
●04年、「ル・コルビュジエ財団」などが各国のコルビュジエ作品の登録に向けた運動を開始。
●07年、複数国にあるコルビュジエ作品の登録運動を進めていたフランス政府が、文化庁に対し、「国立西洋美術館本館」の参加を打診。文化庁が応諾。
●08年、日本の暫定リストに正式記載。
●08年、フランス政府が中心となってまとめた6か国からなる「ル・コルビュジエの建築と都市計画」の登録推薦書が、ユネスコ世界遺産センターに提出される。
●09年、第33回世界遺産委員会での審議で「登録延期」に。
●11年、第35回世界遺産委員会前のICOMOSの評価報告で「不登録」勧告を受ける。

第33回世界遺産委員会に提出された構成資産は次の22件
<住居兼アトリエ>
・フランス「クック邸」
・ベルギー「ギエット邸」
<個人住宅>
・フランス「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」
・フランス「サヴォア邸」
・フランス「ジャウル邸」
・スイス「ジャンヌレ邸」
・スイス「シュウォヴ邸」
・スイス「レマン湖畔の小さな家」
・アルゼンチン「クルチェット邸」
<規格住宅>
・フランス「ペサックの集合住宅」
・フランス「カップ・マルタンの休憩小屋」
・ドイツ「ヴァイセンホフ・ジートルングの集合住宅」
<集合住宅>
・フランス「救世軍難民院」
・フランス「スイス学生会館」
・フランス「ナンジュセール・エ・コリ通りのアパート」
・フランス「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」
・スイス「イムーブル・クラルテ」
<宗教建築>
・フランス「ロンシャンの礼拝堂」
・フランス「ラ・トゥーレットの修道院」
<大規模規格建築>
・日本「国立西洋美術館本館」
・フランス「サン・ディエの工場」
<都市計画>
・フランス「フィルミニの競技場ほか」

特徴
20世紀を代表する建築家・都市計画家のル・コルビュジエが日本に残した唯一の作品が、国立西洋美術館本館である。渦巻型の動線を基本とし、所蔵品の増加に合わせ外側へ増築できる、コルビュジエが提唱した「成長する美術館」の一形式を示している。[15]


玉川上水 現況:休止? 可能性:★★★
東京都/渋谷区、世田谷区、杉並区、三鷹市、武蔵野市、西東京市、小金井市、小平市、立川市、昭島市、福生市、羽村市

経緯
●02年、小平ユネスコ協会が「玉川上水を世界遺産に その自然環境の保護と利用」と題する講演会を開催。また、同協会はウェブサイト上で「玉川上水を世界遺産に」と提唱している。ただし04年を最後に更新されていない。
●詳細は小平ユネスコ協会

特徴
1653〜54年につくられた水路。全長43kmあり、高低差100mを自然流下によって導水している。江戸市中では飲料や防火用水として、武蔵野地域では灌漑用水などとして使われた。23区を流れる下流部は地下に埋められたが、上・中流部は保存されている。[2]


高尾山 現況:休止中 可能性:★★★
東京都/八王子市

経緯
●99年、「高尾山自然保護実行委員会」が「高尾山を世界遺産に」と題する講演会を開く。

特徴
標高599m。東京近郊で気軽に行ける自然探勝地でありながら、8世紀に高尾山薬王院が開かれて以降、自然が守られてきたため、豊かな植物相・昆虫相を見ることができる。暖温帯と冷温帯の境界にあるため、モミ林、常緑広葉樹林、落葉樹林が混在し、これまでに確認された植物はおよそ1600種にもなる。[4]


御岳山(みたけさん) 現況:休止中 可能性:★★★
東京都/青梅市

経緯
●07年、青梅市議会で市議が世界遺産登録を提案。竹内俊夫市長が「世界遺産としての適性などを研究してまいります」と答弁。

特徴
標高929mの御岳山は平安時代から修験道の聖地となり、江戸時代からは御岳山神社の神職である御師(おし)の集落が築かれた。現在でも山腹には伝統的な御師集落が形成されており、東京都では数少ない歴史的町並みとなっている。


古都鎌倉の社寺とその他の構造物
★暫定リスト記載物件
現況:運動中 可能性:★★★
神奈川県/横浜市、鎌倉市、逗子市

経緯
●92年、日本の暫定リストに記載。
●96年、鎌倉市総合計画に世界遺産登録が盛り込まれる。
●00年、鎌倉市教育委員会文化財課に「世界遺産登録推進担当」が設置される。
●06年、「鎌倉世界遺産登録推進協議会」設立。
●詳細は鎌倉文化財の世界遺産登録に向けて

特徴
鎌倉は日本で初めて武家が築いた首都であり、規則的な町割による従来の都市(平城京や平安京)とは大きく異なる。いくつもの谷が切り開かれ、谷底に当たる「平場」には大小の寺院が、断崖の「切岸」では横穴を掘って墓所・聖所がつくられるなど、独創的な中世都市となっている。


浦賀ドック 現況:休止中 可能性:★★★
神奈川県/横須賀市

経緯
●03年、テレビ東京系列の「出没!アド街ック天国」で、「浦賀ドック野外船舶技術ミュージアム設立推進会議」のメンバーが、世界遺産登録を目標に保存・活用に取り組んでいると紹介される。

特徴
1897年に完成した乾ドック(ドライドック)。乾ドックとは、水を排水できるドックのことで、船の製造や補修などを行った。特徴は総レンガづくりであること。近くの川間ドックもレンガづくりだが、レンガの乾ドックは国内でもこの2基のみ。


箱根、出島
※スウェーデンなど8か国が共同で登録運動を目指す「生物系統学の揺籃地」に含まれる
現況:運動中 可能性:★★★
神奈川県/足柄下郡箱根町
長崎県/長崎市

経緯
●09年、スウェーデン政府が、8か国13資産からなる「生物系統学の揺籃地」の暫定リスト記載を計画。同年、自国内の6資産を先行して暫定リストに記載。
●10年、長崎市がスウェーデン政府より、出島の暫定リスト記載の報告を受ける(10/02/18西日本新聞)。

特徴
1775年、スウェーデン人植物学者のトゥンベリー(ツンベルク)は、オランダ人と自称して鎖国中の日本に渡り、出島に滞在。植物採集を行い、『日本植物誌』を著した。また、一度だけ許された江戸旅行の途中でも植物採集を行い、大半の標本を箱根山地で採集した。[16]



主な参考資料
[1] 各自治体作成の世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書(一覧)
[2] 文化庁−文化財データベース
[3] 『日本の文化的景観』文化庁文化財部記念物課監修、同成社、2005
[4] 『日本の自然公園』国立公園協会・日本自然保護協会編、講談社、1989
[5] IUCN Red List
[6] 第4回「世界自然遺産候補地に関する検討会」詳細検討対象地域の個票(案)
[7] パンフレット「日本のラムサール条約湿地−豊かな自然・多様な湿地と賢明な利用−」
[8] 『日本大百科全書』小学館
[9] 『世界大百科事典』平凡社
[10] 『日本名城百選』村田修三著、小学館、2008
[11] パンフレット「シルクカントリーぐんま」
[12] パンフレット「桐生本町一・二丁目まち歩きマップ」
[13] クリッペ ファン-葱と蒟蒻・“ジオパーク”
[14] 草津温泉観光協会
[15] 『ル・コルビュジエ 建築とアート、その創造の軌跡』森美術館・Echelle-I編、リミックスポイント、2007
[16] The Rise of Systematic Biology(スウェーデンの暫定リスト)


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