近畿地方の世界遺産登録運動地リスト ▼遺産名の帯が青は主に文化遺産からなる場所、緑は主に自然遺産からなる場所です ▼現況は、過去2年間の動きが不明のもの、中止を明言していないものは「休止中」としました ▼登録の可能性は、弊サイトが独断で判断したものであり、各遺産の価値を絶対的に決定づけようというものではありません |
彦根城 ★暫定リスト記載物件 |
現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
滋賀県/彦根市 |
経緯 |
特徴 国内に現存する12の天守閣の一つ。天守には火灯窓(かとうまど)や破風が多くつくられ、ほかの城にはない独特の意匠性が見られる。また、馬屋や下屋敷の楽々園・玄宮園などの建築や庭園が、天守とともに保存されている点も、ほかの城にはない特徴といえる。 |
琵琶湖 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
滋賀県/長浜市、米原市、彦根市、東近江市、蒲生郡安土町、近江八幡市、野洲市、守山市、草津市、大津市、高島市 | 経緯 |
特徴 湖面面積6万7000haの日本最大の湖。動物600種、植物700種が生息し、魚類15種、淡水貝類30種が固有種。ガンカモ類の越冬地としても重要で、1993年にラムサール条約の登録湿地となり、2008年に付属する内湖の一つ西之湖が拡大登録された。[7] |
琵琶湖疎水 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
滋賀県/大津市 京都府/京都市 |
経緯 |
特徴 琵琶湖から伏見の宇治川まで結ぶ全長20.1kmの運河。東京遷都後、勢いを失っていた京都市が、市勢回復のため着工し、明治23年に完成。一連の工事は日本人のみで行い、その後の土木技術の発展に大きく影響した。蹴上(けあげ)にある日本初の水力発電所は、世界でも最初期のもの。[9] |
「古都京都の文化財」(94年に世界遺産登録)の拡大登録 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
京都府/京都市 |
経緯 |
特徴 94年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されたのは、建物が国宝または庭園が特別名勝の指定を受け、敷地も指定対象に含まれている場所のみだった。このため、法整備の都合で登録されなかった社寺・庭園の追加登録を目指す運動が起きている。 |
保津川 ※94年世界遺産登録の「古都京都の文化財」への追加登録運動 |
現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
京都府/京都市、亀岡市 | 経緯 |
特徴 桂川のうち、亀岡盆地を流れる区間が保津川と呼ばれる。平安京の造営や大坂城の築城時には建築資材が運ばれ、江戸時代に保津峡が開かれてからはさらに多くの物資が運ばれるようになった。[11] |
京都の茶文化 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
京都府/宇治市 |
経緯 |
特徴 宇治や小倉など排水のよい旧宇治川扇状地では茶の栽培が盛んである。その起源は室町時代にさかのぼり、のち幕府の保護もあって高級茶の伝統を今日に伝えるにいたった。報道によると、宇治市の茶畑、問屋街のほか、茶道の精神文化も含めての運動となる模様。[9] |
美山町のかやぶき民家 | 現況:休止中 | 可能性:★★★ | |
京都府/南丹市 | 経緯 |
特徴 南丹市美山町は茅葺民家が多く残ることから「かやぶきの里」と呼ばれる。民家は寄棟屋根、板壁、板戸などの特徴をもつ「北山型」。美山町全域で250棟が残るが(平成14年)、平成9年からの5年間で50棟減ったという。町内で最も多く見られる北集落に35棟が集中。[12] |
芦生(あしう)の森 | 現況:休止中 | 可能性:★★★ | |
京都府/南丹市 |
経緯 |
特徴 日本海に注ぐ由良川の源流域に位置し、暖温帯と冷温帯との移行帯にあるため、両地域の植物が混在している。森は広さ2000haで、ほぼ全域が京都大学の演習林。高等植物860種が生育し、「植物学を学ぶ者は一度は見るべし」といわれる。[13] |
天橋立 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
京都府/宮津市、与謝郡伊根町、与謝郡与謝野町 |
経緯 |
特徴 天橋立の全長3.6kmの砂洲の景観は古くから多くの人の目を楽しませ、和歌に詠まれたり、日本庭園のモチーフとなってきた。16世紀、雪舟は、周辺の寺院群もあわせて「天橋立図」を描く。これにより500年以上にわたる景観の変遷をたどることができるのも、天橋立の価値といえる。[1] |
山陰海岸 | 現況:方針転換して運動終了 | |
京都府/舞鶴市、宮津市、与謝郡伊根町、京丹後市 兵庫県/豊岡市、美方郡香美町、美方郡新温泉町 鳥取県/鳥取市、岩美郡岩美町 |
経緯 |
特徴 白亜紀以降、各時代に形成された岩石が複雑に入り組み、それらが浸食されて、海蝕崖や洞門、岩礁、砂丘など変化に富んだ地形と海岸景観が形成された。その地形や、さまざまな種類の岩石が見られることから「地質の博物館」ともいわれている。[6] |
大坂城跡、難波宮(なにわのみや)跡、上町(うえまち)台地 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
大阪府/大阪市 | 経緯 |
特徴 「記紀」によると、上町台地には応神天皇の大隈宮(おおくまのみや)、仁徳天皇の高津宮(たかつのみや)などが設けられた。難波宮は645年に造営後、およそ150年間存続。発掘により、日本の宮室の原型としての特徴を示すことが知られている。この上町台地の北端に築かれたのが大坂城だった。[8] |
百舌鳥(もず)古墳群と古市(ふるいち)古墳群 ★暫定リスト記載物件 |
現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
大阪府/堺市、羽曳野市、藤井寺市 |
経緯 |
特徴 3〜7世紀につくられた古墳群。全長が日本最大の大山(だいせん)古墳(仁徳陵/486m)、第2位の誉田山(こんだやま)古墳(応神陵/425m)、第3位のミサンザイ古墳(履中陵/360m)など、大型のものはいずれも前方後円墳だが、このような形状の古墳は日本独自。[1] |
千里ニュータウン、万博記念公園、太陽の塔 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
大阪府/吹田市 |
経緯 |
特徴 「千里ニュータウン」は1961〜70年に建造された日本初の大規模ニュータウン。教育・医療施設を含む住宅地計画の様々な提案が試みられた。「太陽の塔」は大阪万国博覧会(1970年)の会場中央に建てられた、岡本太郎設計の高さ70mの塔。[14][15] |
狭山池 ※韓国の「碧骨堤(ピョッコルチェ)」と共同での登録運動 |
現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
大阪府/大阪狭山市 | 経緯 |
特徴 面積36haの狭山池は日本最古の溜池(ためいけ)。農業用水や飲料水に使われている。『古事記』『日本書紀』にも記述があり、発掘調査で7世紀初めに築造されたことが判明した。碧骨堤(ピョッコルチェ)はさらに古い4世紀の築造。盛り土に植物の枝や葉を混ぜる工法が共通する。[3] |
神 戸 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
兵庫県/神戸市 | 経緯 |
特徴 1868年の開港以来、発展をとげてきた神戸。明治時代に外国人の居住地となり、いまなお30棟近くの洋風建築が建ち並ぶ北野町・山本通や、英国人技師が設計し、大正〜昭和初期の鉄筋コンクリート建築が残る旧居留地など、歴史ある町並みが広がる。 |
芦屋川流域 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
兵庫県/芦屋市 |
経緯 |
特徴 芦屋には平安時代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)が別宅を構え、彼をモデルにした『伊勢物語』の愛読者・芦屋公光(きんみつ)が住んだ。2人とも能の題材となった人物である。また、打出の小槌の持ち主である竜神が住んだという伝説などが残り、伝承にまつわる文化的景観として特異な存在である。 |
生野、神子畑(みこばた)、明延(あけのべ)の鉱業施設 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
兵庫県/朝来市、養父市 |
経緯 |
特徴 「鉱石の道」で結ばれていた3つの鉱山・関連施設。明延鉱山は日本有数のスズ産出量をほこり、大正時代に敷設されたトロッコ道によって、神子畑選鉱所をへて生野製錬所に運ばれていた。生野には鉱山もあり、戦国時代から昭和時代にかけて銀・銅などを産出した。 |
稲美(いなみ)の溜池(ためいけ)群 | 現況:休止中 | 可能性:★★★ | |
兵庫県/加古郡稲美町 | 経緯 |
特徴 水田開発に向かない稲美地方では古くから溜池と水路をつくり、農地に水を供給してきた。現在、兵庫県には全国最多の4万の溜池があるが、貯水量が県内最大(全国3位/49ha)の加古大池、県内2位(35ha)の天満大池など、大規模なものは稲美町に集中している。[16] |
瀬戸内海 ※単独で運動中の「鞆の浦(とものうら)」を含む |
現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
兵庫県/たつの市 岡山県/瀬戸内市 広島県/福山市、尾道市、呉市 香川県/東かがわ市、丸亀市、三豊市 愛媛県/越智郡上島町 |
経緯 |
特徴 「港町ネットワーク・瀬戸内」のウェブサイトでは、室津、牛窓、鞆(とも)、尾道、御手洗(みたらい)、引田(ひけた)、丸亀、粟島、弓削(ゆげ)の9都市が紹介されている。ほかにも下津井、鮴崎(めばるざき)、笠島など、瀬戸内海には交易や漁業で栄えた歴史的な町並みが多い。 |
鳴門(なると)海峡 | 現況:休止中 | 可能性:★★★ | |
兵庫県/南あわじ市 徳島県/鳴門市 |
経緯 |
特徴 世界最大の直径20mの渦潮が発生する景勝地。潮の干満により、淡路島を挟んだ播磨灘(瀬戸内海)と紀伊水道では、海面に最大1.5mの高低差が生じることがある。このとき、播磨灘の海水が鳴門海峡を流れ、複雑な海底の地形に押し上げられるなどして、渦潮が発生する。[19] |
飛鳥=藤原:日本の古代首都群の考古遺跡群と関連遺産群 ★暫定リスト記載物件 |
現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
奈良県/桜井市、橿原市、高市郡明日香村 | 経緯 |
特徴 592年に推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位してから、710年に藤原宮が廃れるまで、日本の中心だった地域。大陸から知識・技術を採り入れて諸寺院が建立され、694年には日本初の本格的な都城・藤原京を造成。日本の古代政治の中枢として、宮殿跡、寺院跡、古墳など貴重な遺跡が密集する。[1] |
大和(おおやまと)古墳群 | 現況:休止中 | 可能性:★★★ | |
奈良県/天理市、桜井市 | 経緯 |
特徴 およそ40基の古墳群。時代は3〜4世紀。萱生(かよう)古墳群と柳本古墳群に分けられ、前者を狭義の大和古墳群とすることもある。西殿塚古墳(全長約230m)、行燈山(あんどんやま)古墳(崇神[すじん]陵/全長242m)など、200mを超すものもある。[17] |
今井町 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
奈良県/橿原市 | 経緯 |
特徴 寺院を中心とする町並みや周囲をめぐる堀に特徴がある「寺内町」の一つ。浄土真宗本願寺派などの境内地につくられた今井町は、全国でも有数の保存状態を誇る。住宅の6割が伝統的な様式を保ち、1650年築の今西家など、重要文化財の民家が8件ある点も特筆に値する。[18] |
「紀伊山地の聖地と巡礼路網」(04年登録)の拡大登録 | 現況:運動中 | 可能性:★★★ | |
和歌山県/和歌山市、海南市、有田市、有田郡湯浅町、有田郡広川町、日高郡日高町、日高郡美浜町、御坊市、日高郡印南町、日高郡みなべ町、田辺市 |
経緯 |
特徴 熊野三山への参詣道は紀伊路と伊勢路の2本があり、歴史的には主に紀伊路が使われていた。紀伊路は京都・大阪から和歌山へ入るルート。現在では田辺以東を「中辺路(なかへち)」として区別している。道沿いには熊野王子と呼ばれる多くの末社があり、参詣者はそれぞれの王子に奉幣した。[9] |
主な参考資料 |