中国・四国地方の世界遺産登録運動地リスト

▼遺産名の帯が青は主に文化遺産からなる場所、緑は主に自然遺産からなる場所です
▼現況は、過去2年間の動きが不明のもの、中止を明言していないものは「休止中」としました
▼登録の可能性は、弊サイトが独断で判断したものであり、各遺産の価値を絶対的に決定づけようというものではありません


妻木晩田(むきばんだ)遺跡 現況:休止中 可能性:★★★
鳥取県/米子市、西伯郡大山町

経緯
●00年頃に登録運動が存在したが、活動の母体等は不明。

特徴
1〜2世紀の大規模な集落遺跡。「大山スイス村」の建設中、平成7〜9年に発見された。900基以上の建物跡が出土し、多くの貯蔵穴が開けられた貯蔵地区や、二重の濠に囲まれた要塞跡なども確認されている。弥生時代の集落として全国最大。[2]



山陰海岸 現況:方針転換して運動終了
鳥取県/鳥取市、岩美郡岩美町
京都府/舞鶴市、宮津市、与謝郡伊根町、京丹後市
兵庫県/豊岡市、美方郡香美町、美方郡新温泉町

経緯
●03年、環境省の「世界自然遺産候補地に関する検討会」で国内19か所の最終候補にノミネート。暫定リストには記載されなかったが、地元で世界遺産運動が起こる。
●08年、日本ジオパークに認定。
●09年、「山陰海岸の世界ジオパークネットワーク加盟をめざす三府県議会議員の会」設立。世界遺産から世界ジオパークへ目標を転換。
●10年、世界ジオパークに認定。

特徴
3県にまたがる山陰海岸にはリアス式海岸が発達し、岩石海岸と砂質海岸がおりなす変化に富んだ景観を見せる。海岸で有数の景勝地である鳥取砂丘は、面積でいえば国内最大というわけではないが、90mにもなる高低差と、スリバチなどの地形が多いことから、日本一の砂丘といわれている。[4]



三徳山(みとくさん) 現況:運動中 可能性:★★★
鳥取県/東伯郡三朝町

経緯
●01年、鳥取県と三朝町が、登録推進運動を開始。06年の登録を目指す。
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●応募の提案名は「三徳山−信仰の山と文化的景観−」。
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募で引き続き審査されるも、08年に再度記載見送りに。
●詳細は三徳山を世界遺産へ

特徴
706年に開かれ、9世紀以降は天台宗の伝播とともに多くの神々が合祀された聖山。平安時代後期、断崖にへばりつくように建造された三仏寺(さんぶつじ)投入堂(なげいれどう)は国宝指定。[2]



大山(だいせん)、隠岐(おき)、三徳山 現況:運動中 可能性:★★★
鳥取県/東伯郡三朝町、西伯郡大山町、西伯郡琴浦町、西伯郡江府町
島根県/隠岐郡隠岐の島町、隠岐郡海士町、隠岐郡西ノ島町、隠岐郡知夫村

経緯
●10年、鳥取環境大学建築・環境デザイン学科が主催し、世界遺産の登録にふさわしい景観の保全について考えるシンポジウム「大山・隠岐・三徳山—山岳信仰と文化的景観」が開催される(10/02/16朝日新聞)。

特徴
大山(1729m)は中国地方の最高峰。奈良・平安時代から修験道の霊地となり、北西の山腹には大山寺と門前町がある。隠岐の最高峰である大満寺山(607m)も古くから霊山として信仰されてきた。[9]



田和山遺跡 現況:休止中 可能性:★★★
島根県/松江市

経緯
●00年、「田和山遺跡を考える会」総会で、「神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡・加茂岩倉遺跡・西谷3号墓あるいは妻木(むき)・晩田遺跡などとともに、『ユネスコ世界遺産(複合遺産)』の登録を目指すべき」と提案される。

特徴
平成9〜12年に発見された弥生時代前〜中期の遺跡。三重の環濠があるものの、住居が環濠の外に分布するという、これまでに例のない構造をもつ集落であることが判明した。出土品のなかでは、武器として使われたと思われる3000点もの自然石が注目される。[2]



隠岐の牧畑(まきはた) 現況:休止中 可能性:★★★
島根県/隠岐郡知夫村

経緯
●05年、「牧畑を世界遺産にする会」結成(05/08/03山陰中央新報)。

特徴
隠岐諸島の南端にある知夫里島で見られる。牧畑は12世紀の文献に記録があり、耕作と放牧を交互に行う耕地のことをいう。山麓の牧畑境界には、江戸時代後期のものとされる自然石を積み上げた石垣も現存。昭和40年代以降、牧畑による耕作は衰退した。[3]



近世岡山の文化・土木遺産群
※単独で運動中の「閑谷(しずたに)学校」を含む
現況:中止 可能性:★★★
岡山県/岡山市、備前市、赤磐市、和気郡和気町

経緯
●07年、単独でで登録運動をしていた「閑谷学校」を吸収し、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。
●応募の提案名は「近世岡山の文化・土木遺産群−岡山藩郡代津田永忠の事績−」。
●10年、「津田永忠世界遺産登録和気町推進の会」が「津田永忠事績和気町顕彰会」に改称。登録運動から、史跡をいかした地域活性化運動へ、活動目的を変更(10/04/18山陽新聞)。

特徴
池田光政・綱政の2代にわたって岡山藩を支えたのが、藩郡代の要職に就いた津田永忠である。永忠が統括した技術集団は、1675年の洪水後の復興事業のなかで水門や防波堤などを建造。さらには閑谷学校や岡山後楽園などの造営も行った。[1]



大名庭園群(偕楽園、小石川後楽園、兼六園、岡山後楽園、栗林[りつりん]公園) 現況:休止中 可能性:★★★
岡山県/岡山市
香川県/高松市
茨城県/水戸市
東京都/文京区
石川県/金沢市

経緯
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募した「城下町金沢の文化的都市景観」に兼六園が構成要素として含まれた。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●06年、5庭園の市民団体が交流協議会を設立。各庭園の相互理解やPRが目的だが、「共同で世界遺産登録も目指したい」と発言(06/10/24毎日新聞)。
●07年、文化庁が第2回暫定リスト公募を実施。偕楽園が「水戸藩の学問・教育遺産群」に、岡山後楽園が「近世岡山の文化・土木遺産群」に、それぞれ含まれた。また、第1回に引き続き審査を受けた「城下町金沢の文化的都市景観」には兼六園が含まれた。しかし、3件とも記載は見送られた。

特徴
岡山後楽園は1686年に岡山藩主・池田綱政が造営。太平洋戦争で園内の建築や借景の岡山城を失ったが、地割などの保存状態はよい。栗林公園は、室町時代の旧庭を、江戸時代に高松藩主・松平家が拡張した。大名庭園のなかでも作庭技術の高さで知られる。[2]



閑谷(しずたに)学校 現況:運動中 可能性:★★★
岡山県/備前市

経緯
●01〜02年頃、備前市の栗山志朗市長(当時)が世界遺産登録を提唱。
●03年頃、備前市が署名運動を展開。
●07年、岡山県下14文化財からなる「近世岡山の文化・土木遺産群」に統合され、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。
●09年、茨城県水戸市の加藤浩一市長の呼びかけで、弘道館(茨城県)、足利学校(栃木県)、閑谷学校の3史跡からなる「『近世の教育資産』世界遺産登録推進会議」を開催(09/02/19常陽新聞)。
●09年、備前市が閑谷学校の世界遺産登録に向け、10年度から「世界遺産登録推進室」を設置することを表明(09/12/03山陽新聞)。再び閑谷学校単体での運動に軌道修正。
●10年、毎日新聞の記事で「藩校・弘道館、国内最古の学校・足利学校と協力する3市連携か、私塾・咸宜園(かんぎえん、大分県)も加えた4市連携か、それとも単独路線か」と、備前市が今後の路線を決めかねていることが紹介される(10/10/22)。
●11年、検討専門委員4名が「旧閑谷学校単独で登録を目指す」とする原案をまとめた。これにより「弘道館」「足利学校」「咸宜園」との共同登録運動から抜けることが濃厚になった(11/06/03山陽新聞)。

特徴
池田光政が1666年に領内の村役人クラスの教養のために創建を決意。現在の講堂は1701年の建築。そのほか小斎、習芸斎、聖廟(孔子廟)など主要施設がよく残り、江戸時代の学校施設の典型として価値が高い。敷地は特別史跡、講堂は国宝の指定を受けている。[1]



近世の教育資産 現況:運動中 可能性:★★★
岡山県/備前市
茨城県/水戸市
栃木県/足利市
大分県/日田市

経緯
●09年、水戸市の加藤浩一市長の呼びかけで、弘道館(茨城県)、足利学校(栃木県)、閑谷(しずたに)学校(岡山県)の3史跡からなる「『近世の教育資産』世界遺産登録推進会議」を開催(09/02/19常陽新聞)。その9か月後、咸宜園(かんぎえん、大分県)も含めた4史跡での運動に拡大(09/11/06西日本新聞)。
●10年、日田市が咸宜園の登録を目指し、世界遺産登録検討委員会を開催(10/05/26朝日新聞)。
●10年、加藤市長が4市会議を提唱し、初の合同学術研究会議を開催(10/11/18産経新聞)。
●11年、閑谷学校の検討専門委員4名が「旧閑谷学校単独で登録を目指す」とする原案をまとめ、4資産共同運動から外れることが濃厚になった(11/06/03山陽新聞)。

特徴
江戸時代の教育機関には、諸藩が領内に設けた藩学(藩校)、民間の有識者が開いた私塾、庶民の初等教育を行った寺子屋、藩主などが設立・補助した「高等寺子屋」とでもいうべき郷学(ごうがく)などがある。弘道館は藩学、足利学校と閑谷学校は郷学、咸宜園は私塾。[8]



瀬戸内海
※単独で運動中の「鞆の浦(とものうら)」を含む
現況:運動中 可能性:★★★
岡山県/瀬戸内市
広島県/福山市、尾道市、呉市
香川県/東かがわ市、丸亀市、三豊市
愛媛県/越智郡上島町
兵庫県/たつの市

経緯
●04年、「港町ネットワーク・瀬戸内」設立。事業目的として、瀬戸内の暮らしと文化を世界遺産ととらえ、瀬戸の海の道を見直すことを掲げる。
●06年、「瀬戸内海を世界遺産にしよう会」準備委員会が発足。単独で運動中の「鞆の浦」(広島県)を中心にした登録運動を開始(毛利和雄著『世界遺産と地域再生 問われるまちづくり』)。
●11年、港町ネットワーク・瀬戸内が主催する「瀬戸内『海の道』と朝鮮通信使シンポジウムin牛窓」にて、瀬戸内海から朝鮮半島へ通じる「海の道」の世界遺産登録を目指し、各地に残る港湾設備や建造物、祭りなどを再検討することを確認(11/06/26山陽新聞)。
●詳細は港町ネットワーク・瀬戸内

特徴
「港町ネットワーク・瀬戸内」のウェブサイトでは、室津、牛窓、鞆(とも)、尾道、御手洗(みたらい)、引田(ひけた)、丸亀、粟島、弓削(ゆげ)の9都市が紹介されている。ほかにも下津井、鮴崎(めばるざき)、笠島など、瀬戸内海には交易や漁業で栄えた歴史的な町並みが多い。



鞆の浦(とものうら) 現況:運動中 可能性:★★★
広島県/福山市

経緯
●00年、福山港地方港湾審議会で、鞆港の埋立架橋事業計画変更案が承認される。これを受け、架橋反対派が鞆の浦の世界遺産登録運動を開始。
●02年、世界記念物基金(World Monument Fund)が選定する「危機に瀕する世界の記念物100選」に、日本で初めて選定される(ちなみにこの100選は2年間の時限性)。
●04年、「危機に瀕する世界の記念物100選」に再度選定。
●06年、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)メンバーが、鞆の浦を含む瀬戸内海地域が世界遺産になる可能性を示唆。
●07年、「鞆の世界遺産実現と活力あるまちづくりをめざす住民の会」発足。
●詳細は鞆の浦を世界遺産にする会鞆まちづくり工房

特徴
江戸時代、朝鮮通信使が寄港することから重要性を高めた港町。通信使が宿泊した客殿や、江戸時代以来の商家が現存するが、とりわけ重要なのが港湾施設。雁木(荷揚げ場)、常夜燈、船番所、波止(はと/防波堤)、焚場(船の修理場)の5つが現存するのは日本でもここだけ。[11]



尾 道 現況:休止中 可能性:★★★
広島県/尾道市

経緯
●02年、尾道市の亀田良一市長(当時)が年頭挨拶で世界遺産を目指すことを宣言。「尾道を世界遺産にする会」発足。
●04年、市文化振興部に世界遺産推進課を設置。
●06年、「瀬戸内海を世界遺産にしよう」会準備委員会が発足。鞆まちづくり工房から、尾道市と一体となった登録運動を呼びかけられるが、亀田市長は「それぞれが、まず自分の街を良くすることから取り組み、そのうえでネットワークもありうる」と固辞。(毛利和雄著『世界遺産と地域再生 問われるまちづくり』)
●07年、亀田市長が引退、登録運動は下火に。

特徴
海岸近くまで丘陵が迫り、山腹を民家が埋める町並みに特徴がある。この景観は、明治時代の鉄道敷設にともない海岸の民家が立ち退きしたことや、大正時代以降、商家の隠居所が建てられることで形成された。町の東にある浄土寺は本堂と多宝塔が国宝。[11]



山口に花開いた大内文化の遺産 現況:運動中 可能性:★★★
山口県/山口市

経緯
●06年頃、「大内文化を世界遺産に登録を推進する会」が運動を開始。
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募に応募。08年、記載が見送られた。
●応募の提案名は「山口に花開いた大内文化の遺産−京都文化と大陸文化の受容と融合による国際性豊かな独自の文化−」。
●詳細は山口市->国宝瑠璃光寺五重塔を中心とする大内文化を世界遺産に登録を推進する会

特徴
大内氏は15〜16世紀、地方領主でありながら明や朝鮮と正式な通交を行っていた。山口は、この大内氏が治めた土地。町づくりの模範とした京都的要素に大陸的要素が混じり、独自の文化が育まれた。15世紀建立の瑠璃光寺五重塔(国宝)などが現存。[1]



現況:運動中 可能性:★★★
山口県/萩市

経緯
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●応募の提案名は「萩城・城下町及び明治維新関連遺跡群」。
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募で引き続き審査されるも、08年に再度記載見送りに。
●応募の提案名を「萩−日本の近世社会を切り拓いた城下町の顕著な都市遺産−」に変更。

特徴
萩は17世紀初頭に造成された城下町。いまも当時の町割りが残り、武家屋敷や寺院なども残されている。幕末期には藩校の明倫館や松下村塾(しょうかそんじゅく)などで、海外を視野に入れた教育が行われ、明治維新の胎動の地となった。[1]



錦帯橋(きんたいきょう)と岩国の町割 現況:運動中 可能性:★★
山口県/岩国市

経緯
●96年、ICOMOSとTICCIH(国際産業遺産保存委員会)が、世界遺産の潜在的価値をもつ世界121件の橋梁を発表。錦帯橋が選定される。ちなみに国内のほかの選定は「神橋」(栃木県日光市)と「日本・中国・チベットの古代の片持梁橋梁群」。
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募で引き続き審査されるも、08年に再度記載見送りに。
●10年、ICOMOSのアドバイザーを務めるミシェル・コット仏ナント大学名誉教授が、岩国市に対し、橋単体での世界遺産登録を目指すべきだと手紙でアドバイス(10/01/09毎日新聞)。

特徴
錦帯橋は1673年に完成した5連の木造アーチ橋。各アーチの長さは35.1mあり(全長193.3)、伝統工法による木造アーチとしては世界最長。当初の図面をもとに何度も架け替えられ、現在の橋は01〜04年のものである。橋の西詰には城下町が広がる。[1]



九州・山口の近代化産業遺産群
★暫定リスト記載物件
現況:運動中 可能性:★★★
山口県/下関市、萩市
岩手県/釜石市
静岡県/伊豆の国市
福岡県/北九州市、大牟田市
佐賀県/佐賀市
長崎県/長崎市
熊本県/荒尾市、宇城市
鹿児島県/鹿児島市

経緯
●06年、経済産業省が新日鉄八幡製鉄所(福岡県)などの近代遺産の世界遺産登録支援を表明(06/08/21朝日新聞)。
●06年、単体で運動していた「端島」と「仙巌園」(旧集成館など)を吸収し、6県13件を一括して文化庁の第1回暫定リスト公募に応募。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●応募の提案名は「九州・山口の近代化産業遺産群−非西洋世界における近代化の先駆け−」。
●07年、候補資産を6県22件に増やして文化庁の第2回暫定リスト公募で引き続き審査。08年にリスト記載の認定を受ける。
●09年、日本の暫定リストに正式記載。
●09年、遺産価値を検討する専門家委員会が、世界遺産評価基準への適合性などを評価した提言書をまとめ、候補を6県22件から7県28件に再編。この過程で、文化庁への応募時に候補に含まれていた「旧伊藤伝右衛門邸」「旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓」「伊田竪坑第一・第二煙突」(福岡県)、「旧高取家住宅」(佐賀県)、「北渓井坑(ほっけいせいこう)跡」(長崎県)、「新波止(しんはと)砲台跡」(鹿児島県)が外された。その一方、八幡製鉄所開発につながった重要な遺構である岩手県釜石市の「橋野高炉跡」などが加わった(09/10/23佐賀新聞)。
●11年、近代化産業遺産群の世界遺産登録推進協議会総会開催。山口県下関市の「六連島(むつれじま)灯台」を候補から除外し、新たに、萩市の「松下村塾(しょうかそんじゅく)」など3件を追加。構成資産は計30件になった。
●詳細は九州・山口の近代化産業遺産群

構成資産は次の30件
1.岩手県/橋野高炉跡
2.静岡県/韮山(にらやま)反射炉
3.山口県/前田砲台跡
4.山口県/萩反射炉
5.山口県/恵美須ヶ鼻(えびすがはな)造船所跡
6.山口県/萩城下町
7.山口県/大板山たたら製鉄遺跡
8.山口県/松下村塾(しょうかそんじゅく)
9.福岡県/官営八幡(やわた)製鉄所 旧本事務所
10.福岡県/官営八幡製鉄所 旧修繕工場
11.福岡県/官営八幡製鉄所 旧鍛冶工場
12.福岡県/官営八幡製鉄所 遠賀川水源地ポンプ室
13.福岡県/三井石炭鉱業株式会社三池(みいけ)炭鉱宮原坑施設
14.福岡県/三池炭鉱鉄道敷
15.福岡県/三池港
16.佐賀県/三重津海軍所跡
17.長崎県/長崎造船所向島第三ドック
18.長崎県/木型場(長崎造船所史料館)
19.長崎県/長崎造船所ハンマーヘッド型起重機
20.長崎県/占勝閣
21.長崎県/小菅修船場跡
22.長崎県/高島炭鉱跡
23.長崎県/旧グラバー住宅
24.長崎県/端島炭坑
25.熊本県/三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱旧万田坑施設
26.熊本県/三角(みすみ)旧港(三角西港)施設
27.鹿児島県/旧集成館
28.鹿児島県/旧集成館機械工場
29.鹿児島県/旧鹿児島紡績所技師館
30.鹿児島県/祇園之洲(ぎおんのす)砲台跡

特徴
日本の近代化を主導した江戸末期から昭和にかけての製鉄・造船・石炭・紡績遺産群。山口県からは、安政年間に海防の必要性から萩藩が建造した「萩反射炉」(艦船部品などを製造)や、1856年に萩藩初の洋式艦船を製造した「恵美須ヶ鼻造船所跡」など6件がノミネートされている。[15]



四国八十八カ所霊場と遍路道 現況:運動中 可能性:★★★
徳島県/徳島市ほか
香川県/高松市ほか
愛媛県/松山市ほか
高知県/高知市ほか

経緯
●00年、香川経済同友会が「四国遍路を世界遺産に」と提言。
●06年、文化庁の第1回暫定リスト公募に応募。しかし記載は見送られ、「次年度へ継続審査」となる。
●07年、文化庁の第2回暫定リスト公募で引き続き審査されるも、08年に再度記載見送りに。
●10年、「四国八十八カ所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会、設立(10/03/17愛媛新聞)。
●詳細は四国へんろ文化世界遺産の会香川県->世界遺産登録を目指して!

特徴
空海ゆかりの88の札所寺院を結ぶ全長1400kmの環状の巡礼路が、八十八箇所遍路道である。すでに平安時代末期に修業の場となり、江戸時代からは庶民の巡礼も行われた。88か寺のうち、石手寺、太山寺(たいさんじ)、本山寺(もとやまじ)には国宝建築がある。[1]



鳴門(なると)海峡 現況:休止中 可能性:★★★
徳島県/鳴門市
兵庫県/南あわじ市

経緯
●98年頃、ウェブ上に鳴門海峡の世界遺産登録を呼びかけるサイトがあった。また、05年頃には「鳴門海峡を世界遺産にする会」が存在した。
●12年、南あわじ市が運動開始。兵庫県洲本市、淡路市、徳島県鳴門市に協調を求め、民間では「うずしおの郷地域振興協議会」を結成し、バックアップ体制をとることが報道される(12/02/16神戸新聞)。

特徴
世界最大の直径20mの渦潮が発生する景勝地。潮の干満により、淡路島を挟んだ播磨灘(瀬戸内海)と紀伊水道では、海面に最大1.5mの高低差が生じることがある。このとき、播磨灘の海水が鳴門海峡を流れ、複雑な海底の地形に押し上げられるなどして、渦潮が発生する。[12]



満濃池(まんのういけ) 現況:休止中 可能性:★★★
香川県/仲多度郡まんのう町

経緯
●00年、弊サイト管理人が東京駅八重洲北口の旧国際観光会館で聞き込みを行ったところ、登録運動の情報を得る。
●その後の動静は不明。06年と07年に文化庁の暫定リスト公募に応募した「四国八十八カ所霊場と遍路道」にも含まれなかった。

特徴
溜池(ためいけ)の密集地帯である讃岐平野で最大の溜池。満水時の水面は139haにもなる。701〜704年頃に造成され、堤防が決壊したのち、821年に空海が修築。以後、決壊と再建をくり返してきた。毎年6月15日に「ゆるぬき」と呼ばれる放水の神事を行う。[3]



別子銅山 現況:運動中 可能性:★★★
愛媛県/新居浜市

経緯
●03年、新居浜市が世界遺産を目指し運動を開始(※登録運動はそれ以前から存在したらしいが、活動母体や開始時期は不明)。

特徴
17世紀末から銅鉱石の採掘・製錬が行われた銅山。明治時代に近代技術を採り入れ、いくつもの製錬施設や鉄道が建設された。最盛期には1万人以上が暮らしたが、明治32年の水害後、製錬拠点は新居浜に移設。大正初期に製錬を中止した。現在、レンガ造りの建物跡や石造りの基壇などが山中に残る。[14]



四万十川と流域の天然林 現況:休止中 可能性:★★★
高知県/四万十市、高岡郡四万十町、高岡郡中土佐町、高岡郡津野町、高岡郡檮原町

経緯
●99年、作家の天野礼子氏が著書『川よ』(NHK出版)で「四万十川を“世界遺産”に」と呼びかける。
●02年、高知県中村林業事務所が「四万十の森・宣言」のなかで「『四万十の森』は、世界遺産を目指します」と宣言。

特徴
高知県と愛媛県の県境近くにある不入山(いらずやま)を水源とする全長196kmの川。支流の総延長は318km。河川では日本最多となる184種の魚類など、多くの生命を育んでいる。流域では伝統的な林業、農業、漁業が営まれ、国の重要文化的景観の選定を受けた。[13]



主な参考資料
[1] 各自治体作成の世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書(一覧)
[2] 文化庁−文化財データベース
[3] 『日本の文化的景観』文化庁文化財部記念物課監修、同成社、2005
[4] 『日本の自然公園』国立公園協会・日本自然保護協会編、講談社、1989
[5] IUCN Red List
[6] 第4回「世界自然遺産候補地に関する検討会」詳細検討対象地域の個票(案)
[7] パンフレット「日本のラムサール条約湿地−豊かな自然・多様な湿地と賢明な利用−」
[8] 『日本大百科全書』小学館
[9] 『世界大百科事典』平凡社
[10] 『日本名城百選』村田修三著、小学館、2008
[11] 『世界遺産と地域再生 問われるまちづくり』毛利和雄著、新泉社、2008
[12] 徳島県立渦の道
[13] パンフレット「四万十川清流保全基金への寄付のお願い」四万十市
[14] 『近代化遺産探訪 知られざる明治・大正・昭和』清水慶一・清水襄著、エクスナレッジ、2007
[15] 九州・山口の近代化産業遺産群


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