パツクアロ湖文化地帯
Patzcuaro Lake Cultural Zone


国名 メキシコ
分類

文化遺産

所在地 パツクアロの町は首都メキシコ・シティの西およそ240km


審議歴
1986年 暫定リストに記載。
1987年 登録延期 … メキシコ政府が保護政策を定め、この地域全体の管理計画を提出するまで登録を延期する。
2000年 暫定リストより削除。


 



▲11の中庭の家

Photo credit:Europe's gateway to the REAL Mexico
   

解説/文=収斂さん

  パツクアロ(Patzcuaro)はミチョアカン州(Estado de Michoacan)にあり、モレーリア(Morelia)から約60km南西のパツクアロ湖周辺に広がる小さな集落である。かつてパツクアロ湖周辺には、先住民のプレペチャ(Purepecha)族が住んでいた。彼らはアステカ系のタラスコ王国を築いたタラスコ族の末裔といわれており、オウレペチャ語という独自の言語をもっている。ただしこの言語の由来がまだよくわかっておらず、不明な点も多い。ただ、このプレペチャ族が14世紀に この周辺に王国を築いていたのは確かである。14世紀のパツクアロは、プレペチャ族のトリアク王が支配し、その首都(1325〜1400)だった。その後この王国はパツクアロ、ツィンツンツァン(Tzintzuntzan)、イウアツオ(Ihuatzio)の三国に分裂し、現在もその街が残っている。


いまも先住民文化を伝える村

  スペイン人が侵攻してから、ミチョアカン州都のモレーリアにも壮麗なコロニアル様式のカテドラルや水道橋が多く出現した。それは現在も当時の繁栄を伝えている。とくにカテドラルの建設は1世紀以上かかったものもあり、その美しさはヨーロッパの教会にもまったく引けを取らない。精緻な祭壇と装飾過多の教会内部は、見る者を圧倒する。装飾は、正面基壇はもちろん、天井、アーチ全面にまでおよぶ。このコロニアル教会建築の奇跡ともいうべきモレーリア歴史地区は、1991年世界遺産に登録されている。
  こういった美しく華やかな文化都市の影響は、当然周辺の小都市にも影響を与えた。パツクアロもその一つである。ただしこういった小都市は、現在でも、むしろ先住民の文化の方がよく残っているともいわれている。
  スペイン人が初めてパツクアロに来たのは1522年で、侵略は1529年に始まった。ただし侵略は案外平和的であったようで、スペイン人指揮官ヴァスコ・デ・キローガは、先住民を教育し工芸品の質の向上に努めた。また、各地に病院や教会も建設した。そのおかげで先住民からとても慕われ、彼の死後、先住民はキローガという名前を街の通りのつけたという。その名前はいまでもあちこちに見られ、また現在でもパツクアロは木工、織物、陶芸、金銀細工が盛んである。


湖周辺に残る古代遺跡や植民地建築

  「パツクアロ湖文化地帯」としての世界遺産への推薦範囲は不明だが、代表的な歴史的建造物には以下のようなものがある。

<パツクアロ>
11の中庭の家(Cass de los Once Patio)
  18世紀中ごろにドミニコ修道院として建てられたもので、キローガが初めて病院を建てた場所でもある。

サグラリオ寺院(Temple del Sagrario)
  1693年建築。もともとは白い石づくりだったが、現在は修復が遅れていて壁がだいぶ黒く汚れている。

ハニッツィオ島
  パツクアロ湖に浮かぶハニッツィオ島は古い漁村であり、伝統的な漁法を観光客に披露している。また毎年11月初めの「死者の祭」はとても有名な祭である。

<周辺の街>
ツィンツンツァン(Tzintzuntzan)
  小村ツィンツンツァンの南にはタラスコ文明の考古遺跡が残され、ヤカタという独特のピラミッド建築が並んでいる。16世紀のスペイン人入植者は、まずツィンツンツァンを拠点とし、のちにパツクアロに移った。

イウアツオ(Ihuatzio)
  現在のイウアツオは1533年、先住民族の集落の上に建設された街である。イウアツオの近くには火山があり、温泉が点在する。現在は歴史都市というより保養地として開発されている






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