解説/文=収斂さん 先住民タイノス族が築いた町
セヴィリアは、アラワク語系のアメリカ・インディアンのタイノス族(Tainos)が築いた巨大都市であり、当時はマイマ(Maima)と呼ばれていた。タイノス族は1500年前にジャマイカを発見し、「泉の湧く土地」を意味するザイマカ島(Xaymaca)と命名した。
それからおよそ1000年後の1494年5月5日の夕方、スペインの探検家クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)がこの島に初めて上陸した。ヨーロッパ人の流入で、タイノス族の島の生活は一変し、彼らの文化遺産の多くが破壊された。コロンブスはこの島に1年以上も滞在し、マイマはスペインの植民地経営の拠点になった。ところが1655年、英国がスペインからこの島を奪取すると、島をサトウキビ畑のプランテーション農場として大きく改造した。このころから都市の名前がマイマからセヴィリア(Seville)に変わった。セヴィリアとは、もともとは英国人がつけたプランテーション農場の名前にすぎなかったが、次第に都市の名前になっていったのである。
英領時代のコロニアル建築
セヴィリアのプランテーションにはアフリカから大量の奴隷が連れてこられた。彼らの仕事はサトウキビの栽培のほかに、砂糖の精製やラム酒の醸造など、さまざまだった。(ラム酒は糖蜜またはサトウキビからつくる酒のこと)。このプランテーションによって、純粋なタイノス族は完全に全滅したと考えられている。
セヴィリアに残る文化遺産のほとんどはコロニアル・スタイルの建築や街並みなどだが、その中にセヴィリア・グレート・ハウス(Seville
Great House)がある。これは屋根が大きな普通の平屋建築に見えるが、アメリカインディアン、ヨーロッパ、アフリカの三つの文化が融合した、ジャマイカを代表する建築として知られている。なお一帯は文化遺産公園として整備されている。
参考サイト
http://www.wpbstv.org/classicalstretch/Seville.htm
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