アメリカの初期植民製糖工場群の道
Route of the First Colonial Sugar Mills of America


国名 ドミニカ共和国
分類 文化遺産
所在地 サナテ工場……首都サントドミンゴの東およそ120km
その他の工場……首都サントドミンゴ西郊に点在


審議歴
2001年

「ボカ・デ・ニグラ砂糖工場(製糖工場の道)」暫定リストに記載。
「ラ・デクエサ砂糖工場(製糖工場の道)」暫定リストに記載。
「サナテ砂糖工場(製糖工場の道)」暫定リストに記載。
「パラベの旧主屋(製糖工場の道)」暫定リストに記載。
「ディエゴ・カバジェーロ旧工場(製糖工場の道)」暫定リストに記載。
「エンゴンベ砂糖工場(製糖工場の道)」暫定リストに記載。

2004年 審議対象外 … 推薦書内容に不備があるため。
2005年 登録延期 … 法的保護、管理計画、地元社会を含む管理組織、調査・発掘のための考古学的戦略の各点について再考する必要があり、登録可否の決定は見送る。


解説/文=収斂さん+浦に〜と

アメリカ大陸での砂糖生産の始まり

  アメリカ大陸に建設された精糖工場は、当時スペインの植民地だったセビリア(Seville)に1503年に建設されたものが最初とされている。コロンブスの3回目の航海(南アメリカ探検)が1498年、4回目の航海(中央アメリカの東海岸の探検)が1502〜04年だったことを考えると、植民地での砂糖生産が驚くほど早くから行われたことがわかる。しかし15世紀末から16世紀初頭にかけては、スペインやポルトガルによる探検や植民地争奪戦が激しかったこともあり、砂糖の生産量はまだ少なかった。
  1518〜21年にコルテス(Hernan Cortes)率いるスペイン軍がアステカ王国を征服したころになると、スペインやポルトガルは広大な植民地を手に入れていた。両国は植民地に次々と新しい都市を建設していったが、砂糖生産は、こうした植民地で最初に行われた産業であった。ポルトガルは1516年にブラジルで最初の砂糖生産を開始し、スペインも1529年にメキシコで最初の精糖工場を建設している。また、フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)は1531〜36年にかけてインカ帝国を征服したが、征服直後の1540年にはそのペルーにも精糖工場が建設されている。
  ただしスペインの場合、1530年にメキシコで銀鉱山が発見されてシルバーラッシュが起こり、1545年には現在のボリビアのポトシ(Potosi:1987年に世界遺産に登録)と、メキシコのサカテカス(Zacatecas:1993年に世界遺産に登録)で大規模な銀鉱山が発見されたため、植民地経営の主流が砂糖から銀採掘へ移り、砂糖のプランテーションは下火になった。またペルーでも砂糖の積み出しなどに難点があり、生産は下火になっていった。その結果、ヨーロッパで貴重だった砂糖の生産は、ポルトガル領植民地で大規模に推し進められていった。そのためブラジルが当時最大の砂糖生産地になった。1538年以降、さとうきびの栽培に欠かせない労働力としてアフリカ人の奴隷貿易が盛んに行われるようになったが、その当時、アフリカ人奴隷の行き先はブラジルが最も多かったという。1610年には三つの圧延ロールを備えた最新式の精糖工場が、ブラジルに建設されている。


現在も使われている植民地時代の工場

  1640年代以降、スペイン支配地域以外のカリブ海沿岸の島々でも大規模な砂糖のプランテーションが開始された。カリブ海沿岸の島々の場合、 ほかに産業がないことや、現在でも生産が行われていることなどの理由から、当時のままの精糖工場やプランテーションの名残がいくつも現存している。世界遺産に登録されたキューバのトリニダーとロス・インヘニオス渓谷(1988年登録)は有名だが、ドミニカ共和国やセントルシアにも廃棄された古い精糖工場遺構が数多くある。そのほとんどがそのまま放置されているだけなので面影は当時のままである。
  これまで、こうした植民地支配の名残ともいうべき精糖工場やプランテーションは、ほとんど省みられることはなかったが、最近は肯定的評価も出つつあり、積極的に保存しよういう動きが出ている。なお、アメリカ大陸における砂糖のプランテーションの歴史をドミニカ共和国の精糖工場遺構だけで語るのは難しい。おそらく、ブラジルやキューバ、セントルシアなどに現存する代表的な精糖工場関連の遺構も含め、数カ国による共同推薦、共同登録というかたちになるのではないかと思われる。


2005年に推薦された6つの工場

  「アメリカの初期植民製糖工場群の道」として2005年に推薦されたのは、以下の6カ所である。

1.ボカ・デ・ニグラ工場……16世紀前半に建造されたが、現存するボイラー室は18世紀のもの。ほか礼拝堂などが現存。1796年に奴隷反乱が起きた場所でもある。

2.ディエゴ・カバジェーロ工場……イスパニョーラ島最大のニグラ川農園産のサトウキビを加工していた5工場のひとつ。ニグラ川の水を動力とし、貯水池、洗浄室、倉庫、2つの炉が残る。

3.エンゴンベ工場……かつてバルコニーやアーケードを備えた主屋は、工場所有者の富と名声を物語る豪奢なもの。礼拝堂はネオルネサンス様式。ゴシック装飾をもたない16世紀の礼拝堂として、イスパニョーラ島で現存唯一のものだ。

4.パラベ工場……ここの主屋も2階建ての大型建築で、エンゴンベの建物に似ている。農園家屋の象徴的存在として、カリブ海を越えて広く類似の建物がつくられた。工場や倉庫も現存。

5.ラ・デクエサ工場……16世紀、コロンブスの息子ディエゴが所有した。工場建築のほか、川から水を引いた小規模なアーチ水道橋や貯水槽が残る。1522年にはアフリカ奴隷による反乱が起こった。

6.サナテ工場……石とレンガでつくられた建物は、正面に3つの巨大なムデハル・ゴシック様式のアーチをともなう。サナテ川の近くにあり、水路や貯水池、礼拝堂などをもつ。



参考サイト
http://dominicanrepinfo.com/Parks-Reserves.htm
http://whc.unesco.org/archive/2005/whc05-29co
m-inf08B1e.pdf





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