解説/文=収斂さん
アズギ(Azougui)は、アドラール州の州都アタール(Atar)から10kmの場所にある古都で、街のまわりは砂丘や岩だらけの渓谷が続く過酷な環境だが、11〜12世紀には古代アルモラヴィド王国の首都として大いに栄えた。アルモラヴィド王国はかつてガーナやモロッコ、さらにはイベリア半島にまで勢力を拡大し、いまでもそうした各地には、この王国の石造りの城塞跡を見ることができる。ただしこうした城塞跡は、いまではどれも保存状態が悪く、
緊急の補修が叫ばれている。そうしたなかでアズギの都城は規模も大きく、状態も比較的良好とされる。
アズギにある歴史的建造物は、まず古代アルモラヴィド王国の繁栄を築いたイマーム・エル・ハッドラーミの墓(the
tomb
of
Imam
El-Hadrami、または
the
necropolis
of
Imam
Hadramiともいう)である。この墓は、周囲を壁で囲まれ、現在はヤシの木陰にひっそりとたたずんでいる。さらにもう一つ重要な建造物は、この墓のすぐ近くにイマーム・エル・ハッドラーミ自身によって建設された巨大な霊廟だ。この霊廟のおかげで、アズギはイスラム世界で第7番目の聖地(the
seventh
holy
city
of
Islam)となっている。
街の繁栄を支えたものがオアシスと鉱山である。アズギにはこの一帯でもっとも美しいとされるオアシスがあり、砂漠とは思えないくらい植物がたくさん生えている。また水道施設が当時の状態でよく保存されており、貴重とされる。街の近くの
Akjujt
という村には古い金と銅の鉱山がある。現在はほとんど寂れてしまっているが、いまでも金や銅が見つかる。
ついでに、アドラール州都のアタールも歴史的な文化遺産を多くもつ街である。ただしこの街は17世紀に建設され、アズギよりずっと新しい。この街はサハラ砂漠交易の重要な隊商都市として栄え、アドラール首長国(the
Emirate
of
Adrar)の首都としての財力と機能を備えていた。アドラール首長国はやがてフランスの植民地に組み込まれるが、アタールは交通の要衝でもあったことから、植民地防衛のための大規模な駐屯基地が置かれた。
そのため街にはコロニアル建築が多く現存し、いまではアズギなど周辺地区への観光の拠点としても発展している。
参考サイト
http://www.lexicorient.com/mauritania/azougui.htm
http://www.usmrbc.com/mainfile.php?%20lang=en&page=53
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