解説/文=収斂さん+浦に〜と
日干しレンガの都城遺跡
交河古城は現在の新疆ウイグル自治区のトルファン市街地から西に約10kmのところにある、オアシス都市国家の遺跡である。もともとこの一帯は盆地であり、しかも世界有数の低地であるため、気候は乾燥し、夏は高温、冬は酷寒になる。トルファンの自然環境はこのように厳しいものだが、シルクロードの要衝だったため、昔から多くの小さな都市国家が興亡をくり返してきた。交河古城から40kmと行かない地域だけを見ても、交河古城とならぶすばらしい遺跡が数多く点在し、その規模の大きさに圧倒される。ただこの一帯の遺跡は、全体的に保存状態がよくない。日干しレンガの破壊が深刻である。そのなかで交河古城は比較的保存状態がよいため、観光コースが整備されている。
このトルファン一帯の遺跡の多くは、麹(きく)氏高昌国というオアシス都市国家によって建設されたものが多い。
交河古城は6世紀初めの麹氏高昌国時代に建設されたものだが、現存するものは唐代以降のものである。街はその名の通り、交わる2つの河(二道溝と三道溝)の間の細長い台地の上に築かれている。南北1km、東西350mで城壁はないが、高さ30mの崖上という立地が天然の要塞をなしている。遺跡の中心は幅3mの大道が貫いており、西北部に寺院遺跡、東北部に一般住居が集中する。ここは世界でも珍しい「彫刻都市」で、黄土の台地を上から掘り下げてつくられている。そのため日干しレンガを積み上げた街とは異なり、建築から1000年以上を経たいまでも保存されている。しかし保存状態がよいほうといっても、劣化はかなり進行している。
交河周辺の遺跡群
そのほか、
交河古城の近くでとくに有名な遺跡は、
高昌古城だろう。これは紀元前の漢代に高昌郡の郡都となり、6世紀に麹氏高昌国首都、さらに9世紀末ごろまでウイグル王国の首都となっていた。その考古学的資料としての価値は交河古城よりも高いくらいであるが、都市を形づくっている日干しレンガの破損がひどいため、修復が急務である。この遺跡はかって、玄奘(げんしょう)三蔵法師が滞在し、説法を行ったところでもある。
高昌古城の北西数kmにあるアスターナ古墳群は、3世紀から8世紀までの高昌国住民の古墳群で、壁画、ミイラ、古文書、生活道具が多く発見され、かっての栄華が偲ばれる。
トルファンの東50kmほど、高昌古城から東に20kmほどにあるべゼクリク千仏洞は、麹氏高昌国から元代まで700年以上にわたって彫られた石窟だ。中国屈指の大石窟であり、ウイグル文化の粋であり、一級の資料だが、イスラム教徒によって破壊されたり、探検家によって国外に流出した仏像が少なくなく、いまは跡だけが残っている洞が多い。
トルファンのなかでも有名な景観をほこるのが、あの『西遊記』でおなじみの火焔山である。高昌古城、べゼクリク千仏洞の北を東西に100kmにわたって連なり、地表の侵食と地殻変動で、崖全体に炎のような奇妙な模様が入っている。
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