スメラ修道院
Sumela Monastery


国名 トルコ
分類

文化遺産

所在地 トルコ北東部の黒海沿岸都市トラブソンの南およそ25km


審議歴
1984年 暫定リストに記載。
1989年 登録延期 … 同じタイプの文化財と比較検討を行う時間をICOMOSに与えるため、登録審議を延期する。ビューロー委員会ではトルコ政府に対し、遺産や周辺環境の保護、また修復活動の影響などの情報を提供するよう求めた
1994年以前 暫定リストより削除。
2000年 暫定リストに記載。


 



Photo credit:Turkey in Pictures
   

解説/文=収斂さん

断崖にへばりつく中世の修道院

  スメラ僧院は、トルコの黒海岸の街トラブゾン(Trebizon)から車で1時間くらいのところの、標高1,200m以上の高地にある。この僧院は St.Paul を祭るため、4世紀ごろに建設された。はじめは岩の割れ目を祈りの場としていたが、その後規模を拡大していく。現在の建物は13世紀のもので、その後数回修復された。僧院は断崖にへばりつくように建てられているばかりでなく、場所によっては、断崖からせり出している部分もある。そして眼下の渓谷の緑との対比がとても美しく、ギリシャのアトス山やメテオラとならび称される奇観を楽しめる。
  スメラ僧院(Sumela Monastery)という名前の由来は、おそらくギリシャ語で「黒」を意味する 'Melas' ではないかといわれている。この言葉は、単に山の頂や森の様子からではなく、古代キリスト教徒の弾圧、とくにイスラム時代の暗いイメージを暗示しているものだという。
  スメラ僧院はギリシャ正教会系の Barnaba修道院と Sophronios修道院の2つの修道院で構成されている。現存するのはこれだけだが、昔の僧院には、壁全面をフレスコ画で満たされた壮麗なものが多くあった。フレスコ画は、4世紀、9世紀、12世紀に描かれたものが多いが、中には Alexis II 治世下の1340年完成と、年代が判明するものもある。14世紀はこの僧院の絶頂期であり、数々の巨大な教会が建設されていった。中には部屋を72も持つ僧院もあり、これはいまでも一部が残っている。


トルコにたどり着いたポントス人の聖地

  スメラ僧院の近くは、オスマン・トルコ時代にもポントス人と呼ばれたギリシャ系のキリスト教徒が住んでいた場所で、彼らにとってここは最も重要な僧院の一つだった。しかしギリシャ=トルコ戦争(the Greco-Turkish war)の勃発で、1929年に僧院の多くが破壊され、木造部分が焼失した。なおこの修道院には、「トラブゾンのマリア」と呼ばれた聖母マリアのイコン画の傑作があった。これは7世紀ごろ(一説では10世紀ごろともいわれている)描かれたものだが、伝説によれば、この聖母のイコン画は、アテネから天使に導かれて地中海を渡り、Zigana山の頂上にたどり着いたものだという。しかし現在このイコンはスメラ僧院にはない。この絵は20世紀はじめの騒乱で、ひそかにギリシャのテッサロニキへ運び出されたのだった。そしてその場所で、いまも篤い信仰の対象になっている。
  現在、スメラ僧院で修道生活を送る者はいないが、僧院の寝室と修道院の門は修復中である。しかしひどく損傷したまま、まだ修理すらされていない箇所は少なくない。このスメラ僧院は、トルコに渡ったポントス人を例証するきわめて重要な文化財であるため、トルコ政府は修復に関しては積極的であり、修復後は世界遺産として登録される可能性が高い。






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