タバカット・ファヒル(ペッラ)
Tabaqat Fahl (Pella)


国名 ヨルダン
分類 文化遺産
所在地 首都アンマンの北西およそ90km


審議歴
1984年 暫定リストに記載。(同年のうちに削除?)
1985年 不登録 … 委員会はこの遺産の重要性を認めたものの、顕著で普遍的な価値はないと判断した。
1993年 暫定リストに記載。
1995年 暫定リストより削除。
2001年 暫定リストに記載。


解説/文=収斂さん
  古代都市ペッラはアンマンの北西約90km、ヨルダン渓谷の東の丘陵地帯にある。
  タバカットはペッラの近くにある村で、25万年以上(一説には50万年近くとも)前の人類の生活遺構から、ビザンチン帝国時代の遺物までが発見されている。調査の結果、8500年前の新石器時代までは、人はここに定住したというよりは遊牧生活をしていたことが判明している。それ以後の青銅器時代になると、この一帯は土地が肥沃で、ワジ・ジルム(Wadi Jirm)という大きな川が近くにあったこともあり、都市が発達してくる。城塞が巡らされたのもこのころである。
  ペッラはローマ帝国時代には、主要都市の一つに数えられるまでに発達し、ジェラシュ、アビラ(いずれも現ヨルダン領)とを結ぶ道路が整備された。そのころの繁栄の様子は、数々の歴史書にたびたび登場することからもうかがうことができる。ペッラは、ペルシャ湾からの交易品が、北のシリアへ通じるルートと、東のヨルダン川を越えて地中海へ抜けるルートの交差点だったため、遺跡からはそのことを示す一級の資料が出土している。紀元後70年の、ローマのエルサレム包囲攻撃では、キリスト教徒が迫害を逃れてペッラに移り住み、2世紀中ごろにはキリスト教が広く浸透していた街としても知られる。ビザンチン帝国時代にペッラは最盛期を迎え、さまざまな大規模建造物が築かれ、今日もその遺構が多く残っている。現在、ペッラ、タバカット、およびその周辺は、1978年からシドニー大学の研究チームが発掘、調査を継続して行っている






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