マルディンの歴史都市
Historic City of Mardin


国名

トルコ

分類 複合遺産
所在地 トルコ南西部。アンタルヤの北西27km


審議歴
1984年 暫定リストに記載。
1994年以前 暫定リストより削除。
2000年 暫定リストに記載。
2003年 審議対象外 調査が遅れているため。


解説/文=収斂さん

多くの民族が支配した町

  マルディンは、小アジア半島からシリアやイラクに向かう街道沿いの、平野を南に見下ろす丘の斜面にある古い都市である。現在のマルディンの人口は1997年の統計で約65万人。行政区域はDargecit, Derik, Kiziltepe, Mazidagi, Midyat, Nusaybin, Omerli, Savur, Yesilli に及ぶ。マルディンの歴史は伝承によると、ノアの洪水の記述にも登場するくらい古い。それは、この一帯が古くから交通の要衝だったためで、さまざまな民族や国家がこのマルディン一帯を支配してきた。そのため貴重な文化財や遺跡はマルディン市街のみならず、その周辺にも多数現存している。
  マルディンを支配した国家や民族はさまざまだ。古くはミタンニ(Hurri-Mitani)王国に始まり、ヒッタイト人(Hittites)、Surs、バビロニア人(Babylonians)、ペルシャ人(Persians)、ローマ人(Romans)、アラブ人(Arabs)、そしてセルジューク朝トルコ(Seljuk)の支配と続き、さらにその後、Artuklu朝、オスマン朝が統治した。なおArtuklu朝の時代が、都市としてのマルディンの最盛期だったという。当然、マルディンの呼び名は各時代によって異なっていた。例えば、ペルシャ人からはMarde、ビザンティン帝国からはMardia、アラブ人からはMaridin、そしてシリア人からはMerde とか Merdo とか Merdi とかと呼ばれた。マルディン(Mardin)の名は、街の支配者がトルコ人になって、上記の古い都市名をトルコ語に翻訳した結果そうなったものと考えられている。


中世の建築群

  マルディンの主な文化財は、城塞、グランド・モスク(Grand Mosque)、Kasimiye Medresse、Zinciriye Medresseなどを含む歴史地区が有名だが、歴史地区以外にも、1385年建設でトルコ風の壮麗な彫刻が美しい Sultan Isa Medresse や、華麗なドームで知られる Kasim Pasa Medresse も有名である。
  マルディンには、Antakyaの家長の Ignatios Benham Banni ら一族によって、1895年に建てられた家を改造した博物館がある。この博物館は建物も立派だが、収蔵品は4000年前の考古遺物から近代のものまでさまざまである。主な展示品は、陶器、印璽(いんじ:紋章、略字、符号を石や金属に浮き彫りにしたもので、現在の印鑑に相当する)、硬貨、燭台、置物、宝石類などで、アッシリア、ウラルトゥ(Urartu:ウラルトゥはB.C 1270ごろ〜585年ごろにアッシリア北部、 現在のアルメニアに栄えた古代王国で、ロシア連邦最古の王国の一つとされる古代国家)、ヘレニズム、ペルシャ、ローマ、ビザンティン、セルジューク朝、Artuklu朝、オスマン朝の順に展示されている。


伝統的な民家

  マルディンには古い民家も多く現存している。建築資材としては、昔から石灰岩が利用されてきた。とくに家の周囲を4メートルの高い壁によって囲み、通りから隔離させるスタイルは、厳しい気候条件に適応したつくりとされている。家には男性用と女性用の部屋が別々にある。こうした古い家の最大の特徴は、「Midyat Work」と呼ばれる石づくりの仕事部屋があることである。また、家が通りをまたぐ格好で建設されることも珍しくない。こうした家は石づくりのアーチで頑丈に支えられ、居住空間は2階である。
  マルディンの古い民家のもう一つの特徴は、玄関上部にはカーバ神殿の彫刻が施され、もし住人がメッカ巡礼を済ませたのであれば、ドアノッカーに鳥のくちばしに似た目印をつけることである。そのほか、古い伝統家屋にはドアや窓や、小さな柱にはアーチや動物や果物などの様々な装飾意匠を組み合わせていることが多い。しかし、最近ではこうした優れた装飾を施す民家は極端に少なくなった。


郊外の文化財

  マルディンは、この場所が昔から交通の要衝だったこともあり、郊外にも歴史的建造物は多い。マルディンの南21キロにあるキジルテペ(Kiziltepe)という場所には、Artutid建築の最高傑作とされる、13世紀の建造のウル・モスク(Ulu Mosque)がある。このモスクには、すばらしいレリーフと華麗な装飾のついた入り口があることで有名である。
  またマルディンの東9キロにあるDayrul-Zeferan修道院は、9世紀に創建されたシリア人のための修道院で、1932年までトルコ国内のシリア人にとって、最高の聖地として崇拝されてきた。現在は、生活に困ったシリア人のための生活支援センターとして利用されている。この修道院は、この地域に数多くある修道院のうち最も大きいものの一つで、52ものシリア人家長がここに埋葬されている。とくにmahzenと呼ばれる秘密の場所は、修道院のなかで最も古く、このmahzenを中心に修道院の増築が行われ、現在の規模にまで拡大した。
  このDayrul-Zeferan修道院と、近隣の聖母マリア教会(Church of Virgin Mary)とMar Yakup修道院の三つは、三位一体を形成する象徴とみなされ、昔から崇拝されてきた。そして、この3つの宗教施設を守るために3つの城塞が建設された。ちなみに Mar Yakup修道院は高僧 Marislium の名に由来し、現在では、Marevgan修道院としても知られるようになった。


周辺地域の開発

  現在のマルディン周辺地域は、国家的灌漑事業である GAP Project によって大きく変貌しようとしている。この灌漑事業が成功すれば、マルディン一帯の1000平方キロもの広大な地域の灌漑が可能になるという。この新しい土地ではすでに綿花栽培が計画されており、トルコ政府はこの一帯を大綿工業地域として発展させようと期待している。
  ただし GAP Project の結果、バットマン州(Batman province)の州境にあるHasankeyfにある12世紀のArtutidの都市遺跡は、近い将来、完全にダムの底に水没する。この遺跡には、チグリス川(the Tigris [Dicle] river)に架けれた石橋や宮殿跡も残っている。さらにこの灌漑によって、下流のシリアやイラクに供給されるチグリス川の水量低下は避けられず、深刻な国際問題になっている。



参考サイト
http://www.allaboutturkey.com/mardin.htm






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