解説/文=ごんべーさん
多くの民族が暮らす東インドの縮図
マジュリ島は、インド東部からバングラデシュまでのびる大河ブラフマプトラの本流と、アルナーチャル・プラデーシュ州(Arunachal
Pradesh)から流れるスバンシリ川とに挟まれており、河川の中に位置する島としては、おそらく世界最大の面積を誇る。ここで「おそらく」と述べたのは、毎年雨季に発生する洪水で、地面が削られて消滅したり、肥沃な土が堆積して新しい地面をつくったりするからだ。ブラフマプトラ川は世界で最も降雨量の多い地帯を流れている。
マジュリ島には、アホームやカチャリ、デオリ、チュティアなど、多数の民族が暮らしている。それは多種多様な文化と言語を残すインド北東部の小さな縮図のように思える。さらに、大河ブラフマプトラによって周囲から隔てられたこの土地には、古い時代から続くアッサムの伝統と文化が色濃く残っている。
文化継承の拠点となった「サトラ」
この島の伝統と文化は、「サトラ(Satra)」と呼ばれる僧院を中心にして連綿と受け継がれてきた。ヴィシュヌ派によるバクティ運動(バクティ信仰とも。ヴィシュヌ神の前での平等を主張し、難しい教義ではなく賛歌や楽曲で神を讃え、崇拝し、ひたすら帰依しようとする運動)の影響を強く受けて成立した、神に捧げる楽曲、賛歌、舞踊劇などが、各地のサトラで今もしっかりと伝承されている。そうした楽曲と舞踊のセッションは「サトリヤ・ダンス(サトラの踊り)」と呼ばれ、『マハーバーラタ』や『バガヴァットギーター』などの古典から題材を得たものも多い。
サトラとインドの他地域におけるヒンドゥー寺院との違いは、サトラは寺院としてのみならず、地域の共同体の拠り所としての機能もあわせもつ点にあると思われる。マジュリ島には、最盛期には65ものサトラが築かれたが、洪水や18世紀から19世紀にかけての争乱の影響で、いまでは22カ所しか残されていない。しかし権力の庇護を受けずに守られてきたことを思えば、実に多数のサトラが現存しているともいえるだろう。他の多くの寺院が王侯の権力によって築かれた遺産とするならば、マジュリ島のサトラは、長い間民衆が自らの手で守り続けた遺産なのだ。
・ベログリ(Beloguri)のサトラ
アッサムにおけるヴィシュヌ派の改革者シャンカラデーヴァ(Sankaradeva)が、弟子マダブデーヴァとともに、バラモンらによる迫害を逃れて16世紀にマジュリ島に移り、建立した同島最古のサトラ。
・ガラムール・サトラ Garamurh
Satra
マジュリ島の中心ともいうべきガラムールの村にある。創設者はラクシュミーカンタデーヴァ(Lakshmikantadeva)。
・カマラバリ・サトラ Kamalabari
Satra
創設者はベドゥラパドゥマ・アタ(Bedulapadma
Ata)で、おそらく最も有名なサトラ。古典文学や芸術の中心であり、ここで伝承される楽曲や踊りは、海外で公演されることもある。
・アウニアティ・サトラ Auniati
Satra
創設者はニランジャン・パタックデーヴァ(Niranjan
Pathakdeva)で、アプサラ・ダンス(Apsara
Dances)が有名。雨季の終わった後の秋に、パールナーム(Paalnaam)という大きな祭りが行われる。
・ベンゲナーティ・サトラ Bengenaati
Satra
アホーム(Ahom)の王スワルガデオ・ガダダール・シン(Swargadeo
Godadhar
Singha:シブサガール/Sibsagar
の南に、タラタル・ガール/Talatar
Ghar
を建設したルドラ・シン王の父親)のものとされる王家の衣装が保管されている。
・ダッキンパット・サトラ Dakhinpat
Satra
創設者はラースリーラ(Raasleela)の支持者であるバナマリデーヴ(Banamalidev)で、アッサムの民族的な祭りを見られる。
註)アッサム州は、2006年3月に、州名を「アソム」に変更すると決定した。
参考資料
金井武著『旅行人ウルトラガイド アッサムとインド北東部』有限会社旅行人、2006年
Majuli
-
Wikipedia(http://en.wikipedia.org/wiki/Majuli)
Majuli
:
The
largest
river
island
in
the
world(http://www.majuli.info/)
Majuki.org
-
The
Majuli
Island
Homepage(http://www.majuli.org/)
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