解説/文=収斂さん+浦に〜と
田園地帯に点在するルネサンスの館
本物件は、ルネサンスの歴史都市フィレンツェ(1982年世界遺産登録)の城壁外に、15〜18世紀初頭にメディチ家が所有した一連の邸宅建築群である。この時代、メディチ家はトスカーナ州の盟主となり、一族の邸宅は多くの芸術家や哲学者、知識階級が集う文化交流の場にもなっていた。現在のフィレンツェ県を中心に、16世紀末には30ほどあった邸宅群のうち、以下の5件が世界遺産センターの暫定リストページで紹介されている。
ポッジョ・ア・カイアーノの邸宅
Villa
of
Poggio
a
Caiano
フィレンツェ歴史地区の西15km。
回廊つきの基壇に支えられた、左右対称形の建築物。1474年、ロレンツォ・デ・メディチ(1449-92)がストロッツィ家から購入した。田園地帯にただ1棟ぽつんとたたずみ、玄関廊上部の切妻破風(ティンパヌム)が、何ともいえない優雅な雰囲気をかもし出している。中庭の代わりに、建物中央に大きなホール(サロン)をもつという、典型的なトスカーナ邸宅でつくられている。
ペトライアの邸宅
Villa
della
Petraia
フィレンツェ歴史地区の北郊。
これもメディチ家がストロッツィ家から購入した。創建は14世紀だが、メディチ家が16世紀に増改築を施し、その後所有者が変わってからも何度となく改修されてきた。中庭のフレスコ画はメディチ家のころのものだが、現在の内装・家具・調度品のほとんどは19世紀にサヴォイ家が改修したものだ。
カステッロの邸宅
Villa
di
Castello
フィレンツェ歴史地区の北郊。(ペトライアの西隣)。
もとはコジモ1世の母の住まいで、のちにコジモ1世(1519-74)本人の手で改装された。このときの邸宅拡張および造園工事では多様な装飾様式が採用されたが、とりわけ庭園は、現在において「最も完璧に保存されたイタリア風庭園」と絶賛されている。初期ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-72)の様式にならったもので、敷地外から邸宅までの空間の連続性を演出する中心軸や、数々の噴水をうるおす配管設備などは、見事というほかない。
カレッジの邸宅
Villa
di
Careggi
フィレンツェ歴史地区の北郊。(ペトライアの東隣)。
15世紀中ごろ、メディチ家が購入して改装した邸宅。2カ所に大きなロッジア(回廊)をもち、最上階の四周が外側にせり出すなど、外観が特徴的。内装のほとんどは17世紀初頭のもの。それらのうち、1階サロンの下につくられた洞窟状の装飾はとくに秀逸だ。マジョルカ焼の舗床とスポンジ型装飾の噴水など、細部にまでこだわっている。なおこの邸宅は、ロレンツォがプラトン学院の哲学者や文学者とともに学識を深めた場所としても、重要な歴史的価値をもっている。
チェッレート・グイーディの邸宅
Villa
di
Cerreto
Guidi
フィレンツェ歴史地区の西20km。
1565年にコジモ1世が建造。狩猟のための別荘であり、この地方の行政庁であり、さらにはフィレンツェから各地へ向かう人々にとっての中継点だった。テラコッタと石材による荘厳な傾斜路の先に建つ邸宅は、無粋な長方形をしていて、まったく簡素な印象を受ける。しかし、この付近ではいやおうもなく目を引く大建築であり、景観上なくてはならない存在といえるだろう。内装は19世紀のもので、歴代メディチ家の肖像画を多数所蔵している。
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