フィレンツェ地域のメディチ家の邸宅群
Medici villas of the Florentine region

国名 イタリア
分類 文化遺産
所在地 イタリア中北部の都市フィレンツェ郊外に点在する


審議歴
1982年 辞退 … ビューロー会議で「不登録」と評価されたのち、イタリア政府は推薦を辞退した。
1996年 暫定リストに記載。
2005年 暫定リストより削除。
2006年 暫定リストに記載。


       

解説/文=収斂さん+浦に〜と

田園地帯に点在するルネサンスの館

  本物件は、ルネサンスの歴史都市フィレンツェ(1982年世界遺産登録)の城壁外に、15〜18世紀初頭にメディチ家が所有した一連の邸宅建築群である。この時代、メディチ家はトスカーナ州の盟主となり、一族の邸宅は多くの芸術家や哲学者、知識階級が集う文化交流の場にもなっていた。現在のフィレンツェ県を中心に、16世紀末には30ほどあった邸宅群のうち、以下の5件が世界遺産センターの暫定リストページで紹介されている。

ポッジョ・ア・カイアーノの邸宅 Villa of Poggio a Caiano
  フィレンツェ歴史地区の西15km。
  回廊つきの基壇に支えられた、左右対称形の建築物。1474年、ロレンツォ・デ・メディチ(1449-92)がストロッツィ家から購入した。田園地帯にただ1棟ぽつんとたたずみ、玄関廊上部の切妻破風(ティンパヌム)が、何ともいえない優雅な雰囲気をかもし出している。中庭の代わりに、建物中央に大きなホール(サロン)をもつという、典型的なトスカーナ邸宅でつくられている。

ペトライアの邸宅 Villa della Petraia
  フィレンツェ歴史地区の北郊。
  これもメディチ家がストロッツィ家から購入した。創建は14世紀だが、メディチ家が16世紀に増改築を施し、その後所有者が変わってからも何度となく改修されてきた。中庭のフレスコ画はメディチ家のころのものだが、現在の内装・家具・調度品のほとんどは19世紀にサヴォイ家が改修したものだ。

カステッロの邸宅 Villa di Castello
  フィレンツェ歴史地区の北郊。(ペトライアの西隣)。
  もとはコジモ1世の母の住まいで、のちにコジモ1世(1519-74)本人の手で改装された。このときの邸宅拡張および造園工事では多様な装飾様式が採用されたが、とりわけ庭園は、現在において「最も完璧に保存されたイタリア風庭園」と絶賛されている。初期ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-72)の様式にならったもので、敷地外から邸宅までの空間の連続性を演出する中心軸や、数々の噴水をうるおす配管設備などは、見事というほかない。

カレッジの邸宅 Villa di Careggi
  フィレンツェ歴史地区の北郊。(ペトライアの東隣)。
  15世紀中ごろ、メディチ家が購入して改装した邸宅。2カ所に大きなロッジア(回廊)をもち、最上階の四周が外側にせり出すなど、外観が特徴的。内装のほとんどは17世紀初頭のもの。それらのうち、1階サロンの下につくられた洞窟状の装飾はとくに秀逸だ。マジョルカ焼の舗床とスポンジ型装飾の噴水など、細部にまでこだわっている。なおこの邸宅は、ロレンツォがプラトン学院の哲学者や文学者とともに学識を深めた場所としても、重要な歴史的価値をもっている。

チェッレート・グイーディの邸宅 Villa di Cerreto Guidi
  フィレンツェ歴史地区の西20km。
  1565年にコジモ1世が建造。狩猟のための別荘であり、この地方の行政庁であり、さらにはフィレンツェから各地へ向かう人々にとっての中継点だった。テラコッタと石材による荘厳な傾斜路の先に建つ邸宅は、無粋な長方形をしていて、まったく簡素な印象を受ける。しかし、この付近ではいやおうもなく目を引く大建築であり、景観上なくてはならない存在といえるだろう。内装は19世紀のもので、歴代メディチ家の肖像画を多数所蔵している。



メディチ家の史跡はフィレンツェ市街にも

  なお、フィレンツェ歴史地区にもメディチ家関連の建築物が残され、その多くは「フィレンツェ歴史地区」として世界遺産にも登録されている。主なものは以下のとおり。

サン・ロレンツォ聖堂
  1421〜46年に建設。建築家ブルネレスキが手がけた最初の聖堂。初期キリスト教のバジリカ形式を踏襲しており、ファサードはミケランジェロが完成させるはずだったが、未完に終わっている。旧聖器室はブルネルレスキの初期ルネッサンスの傑作である。

サン・ロレンツォ聖堂附属メディチ家礼拝堂
  メディチ家の廟墓。ミケランジェロの最初の建築作品。開かない窓、切れたペディメントなど、脱ルネッサンスの意志が表れている。また白と黒の石をアクセントにスタッコで仕上げた無彩色のインテリアは緊張感に満ちている
1534年完成。

サン・ロレンツォ聖堂附属図書館
  サン・ロレンツォ聖堂の回廊を改造したメディチ家の図書館。この前室は10m四方の広さがあるが、天井が異常に高い。壁面のモチーフは聖器室以上に装飾化され、黒灰色の石とスタッコ壁の対比は独特である。

ウフィッツィ宮殿
  メディチ家の宮殿であり、本庁だった建物。細長い庭をはさんで、2つの棟が並列している。不規則なデザイン、装飾された持送りなど、マニエリスム的な特徴が顕著な建物。ここからヴェッキオ橋を渡ってピッティ宮殿に続く。

ヴェッキオ宮殿
  1314年完成の当初はギルドの集会所で、市の政治の中心だった建築である16世紀にメディチ家の宮殿になった。中庭は15世紀のミケロッツォの作。ただし現在のスタッコの装飾はそれ以後につくられたもの。また内装の大ホールは、1550〜72年にかけてのヴァッザーリの改装である。

メディチ宮殿
  1444〜59年に建設された。メディチ家からリッカルディ家に渡り、その後拡張された建物。ルスティカ仕上げトスカナ風ファサードを古典的法則で設計した最初の作品。メディチ家頭首コシモは、豪華すぎるブルネレスキ案を退け、これを採用した。第三層の継ぎ目が美しい



参考ウェブサイト
世界遺産センター暫定リスト(http://whc.unesco.org/en/tentativelists/1141/





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 ▲ピッティ宮殿
画像提供=Yumi さん
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