オスティア・アンティカ港とサクラ島
Ostia antica. Porto and the Isola Sacra

国名 イタリア
分類 文化遺産
所在地 首都ローマの南西およそ24km


審議歴
1987年 登録延期遺産の保護策が定められるまで登録審査を延期する。
1994年以前 暫定リストに記載。
2007年 暫定リストより削除。


 



画像提供=Yumi さん
BAGDAD CAFE
   

解説/文=収斂さん

家畜や小麦を輸入した、古代の巨大貿易港

  オスティア・アンティカはローマの南西約24kmにある、前400年代末〜後500年代初頭の遺跡で、古代ローマの数ある遺跡のうち、とりわけ重要なものの一つである。オスティア・アンティカ港がとくに発展したのは、五賢帝の一人ハドリアヌス帝のときに、外港として大規模に整備されたため。ハドリアヌス帝は属州出身で、もとシリア総督だった。先代のローマ皇帝トラヤヌス帝(五賢帝の一人)が外征重視の政策を行い、領土が最大になった一方で財政も窮乏したことを受け、ハドリアヌス帝は117年に即位すると、すぐに内政重視の政策に切り替え、国力の充実を行った。その結果ハドリアヌス帝の時代に、ローマ帝国は名実ともに絶頂期をむかえた。
  整備されたオスティア・アンティカ港は、当時ローマの海の玄関口となり、世界中の品々の集積基地となった。エジプトの家畜、モロッコのヤシ、ギリシャの大理石と並んでとくに重要だった輸入品が、アフリカからもたらされる小麦だった。オスティア・アンティカ遺跡には、
そういったものを描いたモザイク画が多く残っている。


良好な状態で残る庶民の町並み

  また、ここの遺跡がほかになく重要な点は、庶民の集合住宅や店舗の遺構が多く残っている点である。それは、ちょうどポンペイ遺跡の住宅遺構が、富裕階級の市民の独立住宅が多い点と対比をなすものである。そのためオスティア遺跡は、庶民の生活を知る貴重な手がかりを与えてくれる。こういった庶民の集合住宅や店舗の遺構は、現在ローマにもほとんど残されていない。
  なおここでいう集合住宅とは、いろいろな種類の住宅や店舗から構成された複合住宅を指し、これを「インスラ」と呼ぶ。一方、独立住宅を「ドムス」という。オスティア遺跡のなかで最も保存状態がよく、学術的に貴重なものが、カサ・ディ・ディアナ(Casa di Diana)と名づけられたインスラだろう。
これは現在2階のバルコニーまでその姿をとどめており、大変貴重な建造物である





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