|
画像提供=Yumi さん (BAGDAD CAFE) |
解説/文=収斂さん 家畜や小麦を輸入した、古代の巨大貿易港 オスティア・アンティカはローマの南西約24kmにある、前400年代末〜後500年代初頭の遺跡で、古代ローマの数ある遺跡のうち、とりわけ重要なものの一つである。オスティア・アンティカ港がとくに発展したのは、五賢帝の一人ハドリアヌス帝のときに、外港として大規模に整備されたため。ハドリアヌス帝は属州出身で、もとシリア総督だった。先代のローマ皇帝トラヤヌス帝(五賢帝の一人)が外征重視の政策を行い、領土が最大になった一方で財政も窮乏したことを受け、ハドリアヌス帝は117年に即位すると、すぐに内政重視の政策に切り替え、国力の充実を行った。その結果ハドリアヌス帝の時代に、ローマ帝国は名実ともに絶頂期をむかえた。
また、ここの遺跡がほかになく重要な点は、庶民の集合住宅や店舗の遺構が多く残っている点である。それは、ちょうどポンペイ遺跡の住宅遺構が、富裕階級の市民の独立住宅が多い点と対比をなすものである。そのためオスティア遺跡は、庶民の生活を知る貴重な手がかりを与えてくれる。こういった庶民の集合住宅や店舗の遺構は、現在ローマにもほとんど残されていない。 |