ブルーのサン・ニコラ・ド・トレンタン大修道院
Abbey of St. Nicolas de Tolentin de Brou

国名 フランス
分類 文化遺産
所在地 リヨンの北北東およそ50km、ブールカンブレスにある


審議歴
1985年 不登録 … この遺産の重要性は認められるものの、顕著で普遍的価値を有していない。委員会はこれよりも優れた後期ゴシック建築の登録を望んでいる。
暫定リストの掲載歴は不明。(フランスは1980年の初提出以降、何度か暫定リストを更新しているが、84年、88年、94年の更新リストは世界遺産センターのウェブ上で公開されておらず、確認できない。なお、公開されている暫定リスト上では、本物件は記載されていない)


解説/文=好古学のすすめさん

1.創建の経緯

  ブルー修道院は、ブルゴーニュ(Bourgogne)南部のブール・カン・ブレス(Bourg-en-Bresse)市南東部のブルー(Brou)にある(注1)。
  1480年にサヴォア公妃マルグリット・ド・ブルボン(Marguerite de Bourbon、1444-83)は、狩猟で事故にあった夫フィリップ2世(Philippe II、1438-97)の回復を願って、ブルーの古い修道院を再建することを誓った。フィリップは回復したが、マルグリットもフィリップも誓いを果たさないまま死んだ。跡を継いだフィリベール2世(美公、Philibert le Beau)も狩猟の事故にあい、1504年9月10日に24歳の若さで死んだ。ハプルブルク家出身でフィリベールの妃だったオーストリアのマルガレーテ(フランスではマルグリット・ドートリッシュ [Marguerite d’Autriche])(注2)は、夫の墓廟を建て、義母の誓いを実行するため、新しい修道院を命日が夫と同じトレンティーノの聖ニコラス(Saint Nicolas de Tolentin)に捧げることを決めた。
  新修道院の工事は1506年8月に開始されたが、マルガレーテはネーデルラント総督になったため、1507年にメッヘレン(Mechelen, フランスではマリヌ [Malines])(注3)に移って宮廷を営んだ。聖ニコラスゆかりのアウグスティノ会に委ねられた新修道院は、1512年に完成、翌1513年には教会堂の建築が始まった。マルガレーテは工事を急がせたが、完成を見ずに1530年に50歳で死に、1532年7月に完成した教会堂に夫と義母と共に葬られた。

(注1)ブール・カン・ブレスとブルー
  ブール・カン・ブレス(略称ブール)は、現在のローヌ・アルプ(
Rhône-Alpes州アン(Ain)県の県都。人口43,008人(1999年)。農産物の集散地で、ブレス鶏の銘柄は有名。
  ブルーはブール中心部から南東に約1km。ブールが中世の封建領主の城を中心に発展したのに対し、ブルーは小修道院の町であり、起源は異なる。この地方は、1272年にサヴォア伯爵領(1416年から公国領)となり、1536〜59年の間に一時フランス領となったが、最終的にフランス領となったのは1601年である。

(注2)オーストリアのマルガレーテ
  神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)と最後のブルゴーニュ公女マリー(1457-82)との間の長女として、1480年1月10日ブリュッセルで生まれた。マルガレーテは、フランスのフィリップ8世と結婚するため、幼少時(1483-93)にフランスの宮廷で育てられたが離縁され、スペイン王太子ファンと結婚(1497)。数か月でファンが死んだため、マルガレーテの兄フィリップ1世とスペイン王女ファナの間の子カルロス1世(カール5世、
1500-58)がスペイン王家を継承することとなった。その後、サヴォワ公フィリベール2世と結婚(1501)するが、再び死別(1504)。
  1506年に兄フィリップも死に、1507年にマクシミリアンにネーデルラント総督を命じられたマルガレーテは、甥のカール5世をメッヘレンで養育した。総督としては、ハプスブルク家の支配の拡大に貢献した。外交面でも、イギリスと通商条約を結んだほか、1508年のカンブレー同盟の形成に役割を果たし、1529年にはルイーズ・ド・サヴォア(フランス国王フランソワ1世の母)と交渉して、カンブレーの和議(貴婦人の和議)を結ぶなど手腕を発揮した。 1530年12月1日メッヘレンで没。

(注3)メッヘレン
  ベルギーのブリュッセルとアントワープの中間に位置する都市。マルガレーテが総督だった1506年から1530年まで、ハプスブルク領ネーデルラントの首都として栄えた。歴史遺産が多く、マルガレーテの宮殿のほか、1999年・2005年登録の世界遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群」のうち2件(旧繊維取引所と聖ロンバウツ大聖堂)や、1998年登録の世界遺産「フランダース地方のベギン会院」のうち1件(グラン・ベギナージュ)がある。


2.教会堂

  ブルー修道院教会堂は、後期ゴシックのフランボワイヤン様式(注4)による内陣の装飾が壮麗で、とくに墓廟彫刻の美しさで知られる。
  ブリュッセルの建築家 Loys Van Boghem(1470-1540)の設計による教会堂の建物は、幅30m、奥行き72m、三廊式で、身廊のリブ・ヴォールト天井の高さは21mである。西正面の白い外壁はフランボワイヤンの華麗な装飾彫刻でおおわれているが、堂内身廊には装飾が少なく、大きなガラス窓も無彩色で、明るく簡素な設計になっている。身廊と内陣の間には、フランスでの遺例が少ない内陣障壁(ジュベ)があり、身廊とは対照的にレース状の装飾彫刻が施され、上部には7体の彫像がある。
  壮麗な内陣には、中央にフィリベール美公の墓、北側の柱に接してマルガレーテの墓、南側の壁面にマルグリット・ド・ブルボンの墓があり、カラーラ産白大理石製の故人の横臥像(ジザン)をはじめとする墓廟彫刻(1526-30)は、フランボワイヤン・ゴシックの極致である。墓廟は画家のジャン・ヴァン・ローメ(ブリュッセルのジャン、Jan van Roome [Jean de Bruxelles])が図面を描き(1516)、 彫刻はヴォルムス生まれでネーデルラントで活躍したコンラート・マイト(Conrad Meit、1480頃-1550頃)(注5)の手になる。
  内陣の左右にあるオーク製の聖歌隊席(1530-32)は、各上下2列で74席からなる。フランドルから送られた図面に基づいてブレスのピエール・ベルショ(テラソン)(Pierre Berchod [Terrasson])の工房が製作したが、装飾彫刻は見事で、フランドルの彫刻家も加わっていたと考えられる。
  このほか、マルガレーテの小祭室の祭壇彫刻群「聖母マリアの7つの喜び」もフランドル彫刻の傑作である。また、内陣や小祭室などのステンドグラス(1525-31)は、ブリュッセルで作られた下絵に基づいてリヨンの工房で製作された。聖書の物語やマルガレーテ夫妻を描いた絵の一部は、ティツィアーノやデューラーからとられている。
  この建物は、1906年以降は教会として使用されなくなり、現在は国が管理している。身廊の屋根は18世紀なかばに灰色のマンサード屋根に改造されて低くなっていたが、1996〜99年に修復事業が行われ、急傾斜の切妻屋根に4色の施釉瓦を菱形模様に葺いた、創建時の状態に復した。

(注4)フランボワイヤン様式
  フランボアイヤンとはフランス語で「炎の燃え上がるような」という意味で、火焔式の装飾を特徴とする、15〜16世紀の、後期ゴシックの様式をいう。 代表例には、ルーアンのサン・マクルー教会(1436-1521)、ヴァンドームのラ・トリニテ聖堂(1499-1507)などがあり、針金細工のように細い骨組みのトレーサリー(窓のはざま飾)がつくられた。
  16世紀のフランスでは、ロワール地方を中心に、中部や南西部でルネサンス様式が城館などに導入されたが、宗教建築のほとんどは、なおゴシック様式だった。

(注5)コンラート・マイト(1480頃-1550)
  ヴォルムスに生まれ、ヴィッテンベルクの宮廷でフリードリヒ賢侯に仕えたのち、メッヘレンでオーストリアのマルガレーテに仕え、アントワープで没した。マイトはドイツ・ルネサンスの彫刻家とされ、その本領は小型彫刻にあり代表作「ユデト」(1510-15)は、大理石製の巧みな裸体表現である。しかし、ブルー修道院教会堂の墓廟彫刻は、全体構成も細部もゴシック的である。


3.修道院

  教会堂の南側の3つの回廊に囲まれた修道院は、ブレスの工匠によって建てられた地方的な建築である。回廊が3つ設けられているのは、きわめて珍しい。
  第1、第2回廊はゴシック建築である。第1回廊は教会堂の南面に接し、中庭には井戸がある。回廊西側にはポーチのある接客棟があり、外部との接点になっている。第2回廊は第1回廊の南側にあり、広い中庭は修道士の歩行や瞑想の場だった。第1、第2回廊の東側に南北に長い修道院の中心建物がある。階下には集会室や大食堂があり、大食堂のリブ・ヴォールト天井は、3本の柱と壁が支えている。階上には平天井の広い廊下に沿って修道士の個室がある。
  第3回廊は中心建物の東南側にあり、生活に必要な場として、工事の途中でつけ加えられた。第1・第2回廊とは対照的にブレス地方の簡素な建物で、中庭には屋根つきの井戸があり、周囲には厨房や貯蔵庫などがある。
  大革命以後、破壊された修道院が多い中で、ブルー修道院はThomas Riboud(1755-1835)の尽力で、ほぼ完全な形で残された。修道院の建物は、922年から市の美術館となり、現在に至っている




参考サイト
http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/celebrations2004/mdautriche.htm
 フランス文化省のページ。ブルー修道院の建築の経緯の説明がある。
http://www.culture.gouv.fr/rhone-alpes/brou/index.html
 ローヌ・アルプ文化局のページ。建築や彫刻の概要や修復事業の説明と写真多数がある。
http://www.structurae.net/fr/structures/data/str03465.php
 建造物に関するデータベース。ブルー修道院の年表と写真(22枚)がある。
http://gallery.euroweb.hu/html/m/meit/index.html
 美術史に関するデータベース。マイトの彫刻のページ。
 写真は2枚だけですが、フィリベール2世の墓廟の写真がとても美しい。
http://www.bourg-en-bresse.org/english/vis_brou.html
http://www.bourg-en-bresse.org/english/fr_cad.html
 で、建物の全景を上空から撮った写真で、絵よりイメージがよくわかります。





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