ヤスナ・グラ修道院
Monastery of Jasna Gora

国名 ポーランド
分類 文化遺産
所在地 ポーランド南部。クラクフの北西およそ100kmのチェンストホーヴァにある


審議歴
1991年 登録延期 … 芸術的価値に関する、さらなる情報提示が求められる。
暫定リストへの掲載歴は不明。(ポーランド政府は1989年に暫定リストを提出したが、このリストはユネスコのウェブサイト上で公開されておらず、不明。その後93年にリストが更新されたが、このときのリストには、本物件は掲載されていない)


解説/文=収斂さん

要塞なみの武装を備えた修道院

  ヤスナ・グラ修道院は、ポーランド南部にある人口30万人の町チェンストホーヴァ(Czestochowa)にある。この修道院は、1292年に王子 Wladyslaw Opolski が、ハンガリーから多くのパウロ神学者(Paulinites)たちを招いたことを記念して建設された。初期の教会は素朴な木造建築だったが、教会は以後、王族やプロテスタント系の信者によって支えられ、規模を拡大していく。今日見られるような姿は、1632〜48年にかけての大工事によって完成する。城壁は修道院全体を取り囲み、さながら要塞なみの武装を備えるまでになった。いまもこの修道院の近くには、武器倉庫が残っている。
  ヤスナ・グラ修道院は二つの教会から構成されている。外観がゴシック建築からバジリカ様式に改造され、内装はバロック様式、さらに105mの高さの塔がある教会と、それに比べたらとても小さいが、中に素晴らしい絵画の傑作が収められた教会の二つである。その絵画こそ、16世紀にパウロ神学者たちが奉納した「黒い聖母」(Black Madonna)である。この聖母は絵画史上の傑作とされ、いまも篤い信仰の対象になっている。


ポーランド国民の精神の首府

  この修道院は1655年のスウェーデン軍の攻撃にも持ちこたえた。このときの修道院次長の英雄的統率力は、いまでも語り種になっている。当時のポーランド国王の Jan Casimir は、聖母マリアはポーランドの女王であると宣言し、この修道院を ‘勝利の丘’(Mount of Victory)とたたえた。以後、このヤスナ・グラ修道院はポーランド国民の精神の首府とまで呼ばれるようになり、ポーランド分割期間(1772-1918)も祖国統一の悲願の象徴となった。
  1918年の独立もつかの間、この修道院も第二次世界大戦の被害を受け、一部損傷する。しかし国民の熱意によって修復された。現在、この修道院には年間500万人の信者が訪れる。とくに 3月3日、8月15日、9月8日の祭典には世界中から信者が来るため、相当混雑する。
  チェンストホーヴァの街にも歴史的建造物は多い。街の歴史を物語る旧市庁舎は Bieganski地区にある。





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