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解説/文=収斂さん 要塞なみの武装を備えた修道院
ヤスナ・グラ修道院は、ポーランド南部にある人口30万人の町チェンストホーヴァ(Czestochowa)にある。この修道院は、1292年に王子
Wladyslaw
Opolski
が、ハンガリーから多くのパウロ神学者(Paulinites)たちを招いたことを記念して建設された。初期の教会は素朴な木造建築だったが、教会は以後、王族やプロテスタント系の信者によって支えられ、規模を拡大していく。今日見られるような姿は、1632〜48年にかけての大工事によって完成する。城壁は修道院全体を取り囲み、さながら要塞なみの武装を備えるまでになった。いまもこの修道院の近くには、武器倉庫が残っている。
この修道院は1655年のスウェーデン軍の攻撃にも持ちこたえた。このときの修道院次長の英雄的統率力は、いまでも語り種になっている。当時のポーランド国王の
Jan
Casimir
は、聖母マリアはポーランドの女王であると宣言し、この修道院を
‘勝利の丘’(Mount
of
Victory)とたたえた。以後、このヤスナ・グラ修道院はポーランド国民の精神の首府とまで呼ばれるようになり、ポーランド分割期間(1772-1918)も祖国統一の悲願の象徴となった。 |