グダニスク:中心市街、モトラヴァ運河、ヴィストゥワ河口要塞 (1998年の推薦名)
Gdansk:The Main Town, the Motlava Side Channel, and the Vistula Mouth Fortress

グダニスク — 自由と記憶の史跡 (2007年の推薦名)
Gdansk - The Site of Memory and Freedom


国名 ポーランド
分類

文化遺産

所在地 ポーランド北部の都市


審議歴
1997年 暫定リストに記載。
1998年 辞退 … ICOMOSによる「不登録」勧告を受け、辞退した。
2007年

辞退 … ICOMOSによる「不登録」勧告を受け、辞退した。ポーランド政府は登録基準(2)(4)(6)に該当するとして推薦していた。
ICOMOSによると、(2)で説明される「16世紀後半〜17世紀、ヨーロッパにおいて、建築・技術・都市計画に関する重要な文化交差点となった」ことは認められるが、それは本物件のコンセプトである「自由と記憶の史跡」の証明にはならない。
(4)で説明される「市役所と聖母マリア教会の2本の塔が見下ろす文化的・空間的な景観は、人類の歴史上の重要な一段階を示す」ことも認められるものの、本物件が顕著で普遍的価値をもつことの理由にはなりえない。
また、(6)に関してICOMOSは、推薦範囲に組み込まれたグダニスクの記念碑(2カ所の史跡*を含む)について、顕著で普遍的価値をもつことを証明する詳細な比較検討が行われていないと指摘した。そして、グダニスクは、「自由と記憶の史跡」として世界遺産に登録すべき重要な場所であるのか、ポーランド政府の提出した推薦書では根拠に乏しいと指摘した。
ICOMOSは、本物件の保護・管理体制に不備はないとし、歴史上とくに重要な都市であることも認識している。だが、町に残された「物質的証拠」にもとづいての世界遺産登録には無理があると判断し、断腸の思いで「不登録」を勧告した。
*2カ所の史跡…ドイツ軍との戦闘地である「ヴェステルプラッテ」と、自主管理労組・連帯の発祥地である「グダニスク造船所」


 


 ▲旧市庁舎



 ▲モトラヴァ運河
写真提供=KENNY STAR さん
   

解説/文=収斂さん
  バルト海に面する、かってのハンザ同盟都市。現在もポーランド最大の港町である10世紀末に街が建設されるが13世紀にドイツ騎士団領に組み込まれ、ドイツ名でダンチィヒとよばれた15世紀になるとポーランド公国がグダニスクを奪回18世紀に再びプロイセン王国がグダニスクを支配する第一次世界大戦後の1919年、再びポーランドの自由都市となるが、39年9月1日、ドイツ軍のグダニスク港にあるヴィエステルプラッテ岬の奇襲によって、第二次世界大戦が勃発する。第二次世界大戦ではグダニスクの美しい街はほぼ完全に破壊されたが、戦後人々の熱意によって廃虚の街を見事に再建し、それがいまのグダニスク旧市街である。現在の旧市街には、フランドル・ルネッサンス様式の華やかな建築が多い。
  モトゥワバ河(モトラヴァ運河)周辺には、グダニスク海洋博物館、聖母マリア教会、旧市庁舎など歴史的遺産が多い。(ただしどれが戦災の被害に遭ったかどうか、詳細は不明です)。とくにグダニスク海洋博物館はモトゥワバ河を挟み、旧市街側にある木造クレーンと、対岸の三連の大型倉庫を博物館としたものである。この木造クレーンは高さ25m以上もある巨大なもので、中世のクレーンのよい見本である。
  またグダニスクにあって忘れてはいけないのは、旧市街の西にある大製粉所だろう。これは1350年につくられ、戦災を免れた中世ヨーロッパ最大規模の製粉所である。現在は改装され、ショッピングセンターになっている






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