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解説/文=収斂さん 「マルタの港湾要塞群」としての推薦範囲は不明。ここではマルタ共和国に現存する代表的な港湾要塞を解説する。
ノルマンディーの貴族が余生のすべてをかけた砦
イムジャール(Mgarr)湾を見渡す丘の上にあるシャンブレー(Chambray)要塞。ゴゾ島(Gozo)で最も有名な要塞だ。設計は
Chev.
de
Tigne
が行い、スコットランドの市参事会員(旧荘園主席行政官)のジャック=フランソワ・デ・シャンブレー(Jacques-Francois
de
Chambray,
1687-1756)が費用を負担して、1749年に、ラバト(Rabat)にある城塞から少し離れたところに建設された。デ・シャンブレーはノルマンディー出身の貴族だが、30年以上も海軍艦隊司令を務めた軍人で、その間に多くの勇名をはせた人物である。52歳で引退した当時、ゴゾ島はたびたび海賊の襲来を受けており、かねてから要塞建設は急務だった。そのためデ・シャンブレーは引退後ゴゾ島に移り住み、残りの人生のすべてを強力な要塞建設のために傾けた。そして完成した要塞と新市街には、自分の名前を命名するつもりだった。しかし不運にも彼は1756年に心臓発作で死亡してしまう。そのため要塞は、城壁だけが完成した段階で建設が中止され、いまにいたる。 |
![]() ▲聖アンジェロ砦(Fort St. Angelo) 写真提供=中央地中海通信/坂田真さん ホームページは中央地中海通信 |
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兵器の進歩に対応しうる新タイプの要塞
19世紀も後半のビクトリア朝になると、多くの要塞がマルタ島の戦略上の拠点に建設されていくが、貴族が巨額の資金を投入してつくった要塞も、兵器の進歩の前には無力になりつつあった。とくに海上からの艦砲射撃に耐えるだけの強力な装備を備えた要塞建設がどうしても必要になった。リネーラ(Rinella)砦は、この新タイプの要塞としてマルタに建設されたもののなかでは最も規模が大きく、1876〜84年に建設された。
歴代の聖ヨハネ騎士団長を埋葬した教会
この要塞の歴史は古い。現在要塞の建っているところは、もともとフェニキア人が寺院を建設していた場所である。その後、ローマ帝国支配の時代に、寺院は女神ジュノの神殿に改造されている。聖アンジェロ(St.
Angel)要塞は、島がアラゴン人に支配されていた11世紀当時、Castelo
a
Mare(海の近くの要塞の意)として知られていた。
19世紀に英国が補強。第二次大戦でも活躍
この巨大なリカゾーリ要塞は、グランド港(Grand
Harbour)の南の入り口の絶壁にあり、聖エルモ(St.
Elmo)要塞の反対側に建つ。設計は著名な軍事研究者の
Maurizio
Valperga
の手による。また要塞の名前はイタリア人の騎士の
Giovanni
Francesco
Ricasoli
に由来する。
沿岸警備のため2年で急造された13の塔
中世以来、マルタ島はたびたび海賊被害に苦しめられてきた。海賊のねらいは、若者を捕らえ奴隷商人に売り飛ばすことだったが、騎士団がマルタに来るまでは、海岸沿いの防備は皆無に等しく、かねてから海賊の襲来を一刻も早く知らせるための手段が望まれていた。こういった海賊は、そのほとんどがイスラム教徒だったため、事態を重くみた騎士団は対策に本格的に乗り出した。 |