解説
ユールマラ市ズィンタリ地区は、19世紀後半よりロシア人貴族が居を構えるようになった町で、瀟洒(しょうしゃ)な邸宅・別荘が多く建設された。ラトビア共和国の独立(1919年)後からは一般家庭もコテージをもつようになり、それらの多くはユールマラ地方の古典様式(国民ロマン主義様式に特徴づけられる)でつくられた。さらに第二次世界大戦後には多くの保養施設や療養所などがつくられ、いまでは海岸リゾートとしても知られている。
歴史的な木造家屋はズィンタル通り(Dzintaru
prospect)に集中している。大型の旧Morbergs邸は1883年につくられ、ネオ・ゴシック様式の中央棟をはじめ、いくつもの尖塔や開廊をもつ。内装には壁画や色ガラス、多色タイルのストーブなどが残り、建設時の面影をいまに伝えている。
1906年建造のマキシモヴィチ療養所(Maximovich's
bathing
establishment)も、当時のズィンタリの建築物としては規模が大きい。小高い砂丘にあり、海岸部に現存する歴史建築として貴重だ。海側の建物正面は新ロシア様式、町側はアールヌーヴォー様式で仕上げられている。
そのほか、19世紀の木彫技術で装飾された邸宅や、作家マクシム・ゴーリキーが滞在した旧ケヴィチ下宿屋(former
Kevich
boarding
house)、ラトビア文学の翻訳も手がけたロシア詩人ブリュッソフが治療のため訪れたバルト療養所(Sanatorium
"Baltija")など、史跡としても価値のある建造物も現存する。
ズィンタル通りの西のユーラス通り(Juras)には、20世紀初頭に後期アールヌーヴォー様式で建設された、かつての下宿屋ペガサス城(Pegasa
Pils)がある。ソビエト時代に保養施設として使われていたが、2003年に創建時の姿に復元され、いまではホテルとして営業している。
またペガサス城から20メートルほどのところに、ユールマラでもっとも有名な記念建造物のズィンタリ劇場(Dzintari
Concert
Hall)がある。1936年、ビルズニックスとメレンベルグスが建設し、第二次大戦後に増築された木造建築である。
参考サイト
http://old.jurmala.lv/en/history/location/dzintari.stm
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