マッダレーナ諸島
L'Archipel de la Maddalena

国名 イタリア
分類 複合遺産
所在地 サルデーニャ島の北東部


審議歴
1996年 暫定リストに記載。
2002年 辞退 (詳細不明)


解説/文=収斂さん
  マッダレーナ諸島には典型的な地中海性気候の温帯林が広がっており、イタリアの国立公園に指定されている。また、現在は無人島であっても、ほとんどの島から、かつて人々が生活していた住居跡や痕跡が発見されている。ここは戦略的にも重要な位置にあるため、近世にいたるまで多くの大国がこの島の支配を画策した。


イタリアの海洋国家に恐れられた海賊の島

  マッダレーナ諸島は、ローマ帝国時代にはIsola Ilvaという名前で呼ばれていた。「ウサギの島」を意味する Isole Cunicularie (Island of the Rabbits)という名称も古くから使われていた。これは当時、島に野性のウサギが多かったからという説が有力である。またマッダレーナ諸島周辺の海底からは、ローマ帝国時代のワイン壷や装飾品が多数発見されている。どれも、一度に見つかるものとしては遺物の量がきわめて膨大であり、また保存状態もよいことで有名である。
  中世になると、マッダレーナ諸島は海賊の本拠地になり、ピサ(Pisa)などの周辺都市国家から恐れられた。それはマッダレーナ諸島がボニファチオ海峡(Straits of Bonifacio)の戦略的要衝に位置しているためである。中世以前には大規模な要塞がほとんど建設されなかったにもかかわらず、中世以降になると島のあちこちに要塞や砦が建設され、その数はおよそ50にもなった。現在はそういった要塞のほとんどが廃墟になっているものの、マッダレーナ島の突端にあるベッキーア要塞(Guardia Vecchia)だけはきちんとした保存整備がなされており、観光用に開放されている。また要塞の一部は国際会議場に使用されることもある。なお、この要塞は現在でもイタリア海軍が施設の一部を使用している。


ナポレオン軍を撃退した「マッダレーナの戦い」

  17世紀の中ごろになると、コルシカ島(Corsica)の部族がマッダレーナ諸島一帯の部族を統率し、ようやく海賊勢力を一掃した。しかし彼らにとっての政治や経済の中心はコルシカ島だったので、マッダレーナ諸島には重要な会議や儀式のときしかやって来なかった。そのため、しだいに島の住民(主にサルジニア人)との関係が疎遠になっていった。そこでサルジニア人たち(the Sardinians)は1767年に、島の安全を守るために小さな海軍を組織した。しかし当時の島の人口はたった400人足らずで、しかもコルシカやピサの出身者も多かったので、海軍といってもごく小さなものだった。しかし当時のイタリアは各地に小さな小国家が多く存在していたので、この海軍創設こそ、マッダレーナ諸島が一つの小国家として独立できた理由として語られている。そしてこのころから、マッダレーナ諸島周辺に大国の軍事勢力が頻繁に出没するようになる。
  1789年、ナポレオン・ボナパルト麾下のフランス艦隊が、コルシカ島を経由してマッダレーナ島に侵攻して来た。ナポレオン軍は、最初にサント・ステファノ島(Santo Stefano Island)に上陸し、夜陰に乗じてマッダレーナ島に艦砲射撃を加えた。これを迎え撃ったのが、サルジニア出身の海将 D. Millelire だった。彼は、旧式で数も少ない味方の艦隊を、Palauからサント・ステファノ島の後方に集結させ、ナポレオン軍の背後から一気に攻撃した。この攻撃に驚いたナポレオン軍は撤退し、マッダレーナは辛うじて守られた。この戦いは、のちにフランスの軍事記録にならい、「マッダレーナの戦い(Battle of La Maddalena)」と呼ばれている。


国家統一の英雄の流刑地

  その直後の1803年には、今度はイングランドが寄港。フランス艦隊を、トゥーロン(Toulon, 現フランス領)の港から一掃するという目的で、ルソン提督(Lord Nelson)麾下の艦隊を派遣してきた。なおネルソン提督は島民と親しく交流し、多くの話が伝わっている。彼は帰国に際し、島民の温かいもてなしへの感謝の気持ちとして、銀の燭台を数個と、キリストの磔刑像を贈った。これらは当時のマッダレーナ諸島の人にとってはとても高価な物品だったので、いまでも島の教会に大切に保管されている。
  1822年には、今度はアメリカ合衆国が、商船を海賊から守るという名目でマッダレーナ諸島に進出してきた。アメリカはマッダレーナ諸島に巨大な海軍基地を建設する計画だったが、サルジニア人たちの強硬な拒否運動によって、要塞建設は工事の途中で廃棄された。
  マッダレーナ諸島には歴史上の人物ゆかりの場所も多い。例えば1855年に、イタリア統一の国民的英雄の一人であるガリバルディが流刑にされた島は、マッダレーナ諸島の一つのカプレラ(Caprera)島である。彼はのちにカプレラ島の半分を買い取り、大きな農場をつくって余生を送り、1882年6月に死ぬまで、この島ですごした。彼が住んだ農場と家では、なんと1960年代まで彼の子孫が実際に生活していたが、現在は整備されガリバルディ記念館になっている。
  そのほかにも、第二次世界大戦でイタリアが降伏した直後の1943年8月には、イタリア・ファシスト党党首のムッソリーニ(Benito Mussolini)が、パラディーゾ(Paradiso)海軍基地に隣接するWeber村に、20日間も監禁された。

  現在マッダレーナ諸島には、1972年にイタリア政府が米海軍の母港として認めた大規模な海軍基地があり、地中海の軍事的要衝にもなっている。しかし古い歴史と豊かな自然があるため、イタリアの高級リゾート地として人気が高い。



参考サイト
http://www.lamaddalena.com/index.php3?l=e
http://www.military.com/InstallationGuides/InstallationDetails?lb_installation_code=2440






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