ヴィシェグラードの中世王宮と公園
The Medieval Royal Seat and Parkland at Visegrad


国名

ハンガリー

分類 文化遺産
所在地 首都ブダペストの北およそ40km


審議歴
2001年 暫定リストに記載。
2002年 辞退 … ICOMOSにより「不登録」と評価され、辞退した。ハンガリー政府は、登録基準の(2)(3)(6)に該当するとして推薦。本物件を、世界遺産に登録されているプラハ、ブダペスト、クラクフなどと比較し、「王家の住まいと狩猟場の関係が、ヴィシェグラードほど浅からぬところはほかにない」と強調していた。しかしICOMOSは、ヴィシェグラードは生きた建築物というよりむしろ遺跡発掘地であり、狩猟の庭をもつ宮殿は、ヴェルサイユなど多く存在すると指摘。また、ヨーロッパでは多くの王宮が保存されているうえ、ヴィシェグラードのものは「現代の模倣作品」であるとも指摘した。さらに、模倣であることを強調しようにも、世界遺産登録のカルカソンヌですでに「19世紀の復原活動」が反映されている。そればかりか、カルカソンヌでは城壁が破壊されてから50年後に、全体の1割ほどを復原したものだったが、ヴィシェグラードの復原はほとんどが20世紀後半になされたもので、文化的にも正当なものだったとはいいにくい。


解説
  ブダペストからドナウ川をさかのぼること40キロ、ヴィシェグラードは中世に王宮が置かれた場所であり、いまはドナウ川で有数の景勝地として観光客を集めている。高さ300メートルほどの山頂にある山城は13世紀に築かれ、ドナウ川の蛇行部を見下ろす立地のため、象徴的存在と見なされてきた。そのふもとには、かつて「地上の楽園」とたたえられた宮殿の跡がある。建造したのは14世紀のカーロイ王で、間もなく宮廷もこの地に移された。15世紀にはマーチャーシュ王が、イタリアから芸術家を呼び集めてルネサンス様式に改築し、華麗で美しい大宮殿に生まれ変わった。しかし16世紀以降衰退し、戦争などによってヴィシェグラードは破壊されてしまった。1934年、農夫がワイン蔵を作ろうとして偶然発見されてから発掘が始まり、いまも調査が続けられている。
  ハンガリー政府は、宮殿に隣接して王家の狩猟場が残されていることをヴィシェグラードの唯一性として主張したが、ICOMOSは、「そのような宮殿はヨーロッパにおいて決して珍しいものではない」と判断した。また、ヨーロッパに数多くの歴史的な宮殿建築が現存するなかで、ヴィシェグラード宮殿が近代の復元であることも、世界遺産に登録されなかった理由の一つとなった。



参考文献
『中欧 - 世界の歴史と文化』 沼野充義監修、新潮社、1996






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