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解説/文=収斂さん 鉄道建設に不向きなシベリアの大地
1891年3月1日、ロシア皇帝アレクサンドル3世がヨーロッパとアジアを結ぶシベリア鉄道建設を宣言したとき、ほとんどの人が、あまりに荒唐無稽な勅書と思った。当時もいまもシベリアには湿地が多く、そんなやわらかい土壌の上に鉄道を敷設するなんて最初から不可能に思われていた。またシベリアにはレナ川、エニセイ川、オビ川などの大河をはじめ、無数の河川が存在し、そういった河川は春の雪解け水で増水をくり返し、流れも容易に変わった。
19世紀のロシアは、パン=スラヴ主義という民族主義運動が叫ばれ、バルカン半島〜黒海沿岸への南下政策が推し進められ、対外戦争をくり返した。しかしクリミア戦争の敗戦以後は、ロシアは国内の近代化の必要性を痛感し、工業化を積極的に行った。当時のモスクワの交通手段ですら、まだ馬車鉄道が主役であり、工業化は遅れていたのだ。
鉄道建設の指揮はアレクサンドル3世から、その皇子でロシア・ロマノフ朝(1613-1917)最後の皇帝になるニコライ2世(1868-1918)に引き継がれた。1891年5月にニコライ2世(当時はまだ皇太子)はウラジヴォストクにて起工式と宣言を行っている。これが日本にとってはものすごい軍事的圧力になったのはいうまでもなく、シベリア鉄道の完成前に日露戦争が勃発したことは、日本側から見れば当然の帰趨(きすう)であり、ロシア側から見れば敗因の一つだった。
もう一つ、シベリア鉄道建設工事で最も困難をきわめた場所が、バイカル湖を南に迂回する区間の工事だった。この区間はバイカル湖沿岸線と呼ばれ、バイカル湖沿岸線の長さ約260キロである。ここは鉄道を建設するために、高さ300メートル以上の堅い岩盤でできた山をくりぬき、沿線に445の鉄製橋、10の石造橋、10の木造橋、491の建造物が建設された。この路線が完成したとき、難工事の完遂記念として、スルジャンカの町に大理石の豪華な駅舎が建てられた。
現在のシベリア鉄道は鉄道マニアに、とくに人気の路線である。なかでもエニセイ川の鉄橋やバイカル湖沿岸線の鉄橋群は人気が高い。しかしシベリア鉄道の本当の意義はそんなものではない。おそらく21世紀にこそ、シベリア鉄道の存在意義が高らかに評価されるだろう。この鉄道は、人類の土木工学史上に燦然(さんぜん)と輝く偉大な業績の一つであり、大いなる栄誉を与えられるべき奇跡の構造物である。鉄道の世界遺産としては1998年にセンメリング鉄道(オーストリア)、99〜2008年にインドの3カ所の山岳鉄道、08年にレーテッシュ鉄道(スイス・イタリア)が、それぞれ登録されている。しかしシベリア鉄道に用いられた当時の新技術は、群を抜いている。だから当然のように、これも世界遺産登録されるべきだろう。 |