解説/文=収斂さん
エストニアは国土面積(4万5,215平方キロ)の割に島が多い国で、1,500以上の島を有している。クレッサーレ要塞はそうした島の一つのサーレマー島(Saaremaa)にある。サーレマー島はバルト海で2番目に大きな島で、ドイツやスウェーデンでは
Osel島という名前でも知られている。この島は海上交通の要衝に位置しており、古くから東西交易で栄えてきた。特にロンドンとノヴゴロド(Novgorod)の交易では、重要な寄港地だった。またバルト海に出没する海賊を撃破する軍港としても機能してきた。
現在のサーレマー島は静かな漁村と、風光明媚な自然と歴史をかかげた観光の島だが、海賊との抗争に関する伝記や説話がとても多く残っているのも特徴である。また、スカンジナビア地方にキリスト教を布教した多くの聖人たちもこの島に立ち寄っている。たとえば、バルト海沿岸のリボニア人に布教した聖者
Henry
the
Livonian
の年代史は有名だ。それによると、キリスト教が伝播する以前、サーレマー島の住民は、ドラゴンや鳥たちを崇拝していたという。
クレッサーレ要塞
クレッサーレ要塞はサーレマー島の中心都市であるクレッサーレにある。クレッサーレは規模の小さい町で、半日あれば街のほとんどを散策できる。現在の住民は1万6,000人たらずで、島民の大半がクレッサーレに住んでいる。街の中心部の一角に、1670年代に完成した公会堂(The
Town
Hall)があり、現在は歴史的遺産の展示と観光案内所をかねている。
クレッサーレ要塞は、正式にはクレッサーレ監督城(Kuressaare
Episcopal
Castle:episcopalとはbishopsによる監督[主教、司教]制度のことで、教会政治が行われたことを意味する聖職の象徴)といい、13世紀に建設された。この要塞は、これまで大きな戦争に巻き込まれたことがなく、大きな被害や改築の必要がなかったことが幸いし、バルト海沿岸で当時のままの姿をとどめる唯一の中世城郭である。そのため文化的に貴重である。
またクレッサーレ要塞には1861年に大きな公園(The
Town
Park)が完成し、市民の憩いの場になっている。この公園は、現在では17ヘクタールまで拡張されている。
カーリ湖隕石クレーター群(Lake
Kaali
meteorite
craters)
サーレマー島観光の目玉物件の一つで、世界的にも極めて珍しい自然現象の痕跡である。隕石の衝突は紀元前700年ごろと推定されている。このときすでに歴史時代であるため、このクレーターに関する神話的伝承や詩歌も数多い。たとえば、ギリシア神話のファエトン(Phaethon)の墓であるといった話もある。(注:Phaethonとは、太陽神ヘリオス[Helios]の息子で、ヘリオスが毎日使う日輪の車を一日だけ許されて使ってみたものの、未熟さのために車を地球に接近しすぎてしまい、あやうく地上すべてを焼きつくしそうになり、それを見たゼウスが雷で彼を殺し、地上の災難を未然に防いだという神話を指す)。この隕石クレーターは観光客でも容易に見物できる。
製粉用の風車群
サーレマー島のシンボルとなっている製粉用の木造風車(windmill)は、かつては島の開けた高台や風が抜ける場所にはごく一般的にあった。しかし現在、風車はエストニア国内でもほとんど現存していない。そうした現状の中で、島のアングラ(Angla)という場所には、いまでも現役の木造風車が5基も集中して保存されている。この風車はオランダのものよりも技術的には劣っており、むしろキジ島などロシアにあるタイプに近い。装飾や曲線的な構造をまったくもたない、実用性重視のシンプルな構造だが、当時の生活を伝える貴重な建造物である。
自然保護区
サーレマー島の周辺には、景観保全も含めた自然保護区が二つある。その一つの
Vilsandi自然保護区(Vilsandi
nature
preserve)は、サーレマー島の西の沖にあり、主に数百種類の海鳥を保護する目的で指定された。
もう一つはViidumäe自然保護区(Viidumäe
nature
preserve)で、サーレマー島の最高峰一帯の自然環境と景観を保全する目的で指定された。この保護区では約600種類の植物が確認されている。さらにサーレマー島の海岸線も、ヨーロッパの地形ではあまり見られない風光明媚な海岸として人気がある。
その他
サーレマー島のすぐ近くのムフ島(Muhu)には、エストニアで最も保存状態のいい民族村と言われるKoguva村がある。ほとんどの住居が18〜19世紀のものである。
参考サイト
http://www.portoftallinn.com/cruise/saaremaa.shtml
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