ボヘミアン・パラダイスの岩石都市群
Rock Cities of the Bohemian Paradise


国名 チェコ
分類

自然遺産

所在地 チェコ北西部


審議歴
2001年 暫定リストに記載。
2004年 辞退 IUCNによる「不登録」勧告を受け、辞退。チェコ政府は登録基準(7)(8)(9)(10)に該当するとして推薦していたが、IUCNはいずれの基準も満たさないと判断した。しかしIUCNは、本物件は地球の歴史を教えてくれる場所として、地域的な重要性をもつことを認め、ユネスコのジオパーク*に登録することを勧めた。
*ジオパーク……国際的に重要な地質・地形などを守るネットワークで、ユネスコが支援している。ボヘミアン・パラダイスは05年に登録。08年現在、18カ国の57カ所が登録されている。日本からの登録例はないが、「山陰海岸」「洞爺湖有珠山」などが登録をめざしている。


 



写真提供=漣さん
   

解説/文=漣さん

風化・侵食を受けた奇岩の森

  チェコ北部のボヘミア地方のトゥルノフ(Turnov)周辺に位置する、珪岩質の砂岩層が広がる地域一体はチェスキーラーイ(Cesky Raj)国立公園に属し、総称して「ボヘミアの楽園の岩石都市」と呼ばれる。
  この地域は主にリベレツ、フラデツ・クラーロヴェー、中央ボヘミアの3つの地方にまたがっており、ゆるやかな丘には農耕地が広がっている。そのなかには侵食などによって切り離され、砂岩の塔や断崖、橋、渓谷を形成している場所もあり、農耕に不向きなこれらの周辺には、現在も良好に保存された森林が広がり、周囲の牧草地、湿地と相まって豊かな景観を見せている。
  これらの砂岩の高原は白亜紀後期の層の上に、第三紀(6500万〜160万年前)の粘土岩や泥岩が重なって形成されており、その後の断層から判断するに、若い玄武岩の層と岩株によって持ちあげられ隆起し切断され、さらに侵食されることにより、現在見られるような垂直な層ができたと見られている。その結果形成されたこれらの岩層は、侵食の影響を受けやすくなっており、前述の塔などには侵食の後であるハチの巣状の穴など、多くの浸食作用の現象を見ることができる。
  これら岩石都市群で最大のものはフルバ・スカラ(Hruba Skala)で、高さ50〜90mの尖塔が周囲の森林、湿地、牧草地とみごとに調和している。


冷気をためやすい渓谷は山岳植物の宝庫

  この地域では、ヨーロッパブナ(Europian beech)や松、オーク(pine-oak)などの森林には原生林も残るが、歴史的に商業目的で植樹されたエゾマツなどの針葉樹林も見られる。これまでに1000種ほどの植物が確認され、シダ類のほかランの種類も多く見ることができる。
  冷気をためやすい渓谷では、山岳植物が多く見られ、Killarney などのシダ植物も見つかっている。沼地や湿地ではセイヨウトネリコ(ash)やハンノキ(alder)、スゲ(sedge)などが見られる。Plakanek渓谷のレッド・キャンピオン(Red campion:ナデシコ科)や、フルバ・スカラのジャイアント・ホーステイル(Giant horsetail:トクサ科)など、貴重な植物も多く見られる。
  フルバ・スカラでは、テン(marten)、ヨーロッパカワウソ(Europian otter)をはじめ、キクガシラコウモリ(Horseshoe bat)などの脊椎動物が越冬することが確認されている。また Apolenaの洞穴では Western barbastelle(チチブコウモリ属)や、Bechstein's bat(ホオヒゲコウモリ属)など10種のコウモリが生息している。
  鳥類ではハイイロペリカン(grey heron)、ナベコウ(black stork)、シロコウノトリ(white stork)、チョウゲンボウ(kestrel)、ツル(crane)、ウズラクイナ(corncrake)、オジロワシ(white-tailed eagle)、ヨーロッパハチクマ(honey buzzard)、European eagleなどが確認されている。


先史時代から連綿とつづく人々の営み

  またこの地域一帯は豊かな文化的景観をもそなえている。先石器時代や新石器時代の洞穴住居、青銅器時代の城塞跡、さらには鉄器時代にはケルト民族、6世紀にはスラヴ民族が居住していたであろうことも証明されており、彼らの住居跡も発見されている。
  中世になると断崖の上に城が築かれ、植樹林、養魚池もつくられた。15世紀から17世紀にかけてはその豊かな生物相、涼しい気候から、避暑地、狩猟地に選ばれた。そして当時流行していたルネッサンス様式と地方建築を融合させた狩猟館が多く建てられ、周囲の村はいまでもそのときの姿を保っている。
  19世紀になるとこの地は避暑地として有名になり、富裕層の人々がこぞって訪れるようになり、観光業がおおいに発展した。また、その景観に可能性を見いだした人たちによる植樹も盛んになり、周囲の砂岩の景観に溶け込むような森をつくっていった。
  現在でも多くの人が訪れるこの景観に啓発された芸術作品や文学作品も数多い。


代表的な文化財

Hruby Rohozec Chateau
  イゼラ渓谷(Jizera)に流れる川に面した砂岩の塔の上に築かれた城で、貿易ルートを監視するため、13世紀に初期ゴシック様式で建てられた。その後何度も後期ゴシック、ルネッサンス、帝政様式などにより、修復をくり返した。当時の調度品も図書室や応接室、ネオゴシック様式の食堂などに保管されている。この城ではルネサンス期から、チェコ・アールヌーヴォー期に至るまでの富裕層の生活スタイルを見ることができる。
  また、周囲の彫像を含んだ自然公園は19世紀の姿のまま保存されており、当時の石工の技術をそのままに伝えている。

Valdstejn Castle
  13世紀にヴァルドシュテイン(Valdstein)一族が、フルバ・スカラの3つの高さの違う岩石の上に築いた城だが、フス戦争の際には要塞として使われたり、盗賊の巣窟になっていたこともある。
  15世紀には2つに分けられていたが、16世紀には消失してしまった。一族のアルブレヒト公の要請で再び築城されたときに、城の前にバロック様式で聖ヤン=ネポムークを祭った礼拝堂と2つをつなぐ装飾豊かな橋を建てた。現在見られる姿は19世紀のものである。
  また、はじめに城が建っていた場所には小さな礼拝堂が建っている。

Sydhrov Chateau
  もともと、ヴァルドシュテイン家のアルブレヒト公が、
ビーラ・ホラの戦い(the Battle of the White Hill [Bila Hora])で得た領地だった。現在の建物は、1669年から新たな所有者となった領主が、1690〜93年に建てたもの。バロック様式の城館で、礼拝堂と塔をともなう。
  1820年からはフランスの貴族である Rohans家の手に移り、19世紀に英国風庭園をともなったロマンチック・ゴシック様式で再建された。

Humprecht Chateau
  イタリアの建築家ルラーゴ(C.Lurago)の設計に基づき、
Jan Humprecht Cernin によって建てられた狩猟館。イスタンブールにある Galas Tower を模した塔や、チェルニの楕円ホール(the Cerni qval hall)と呼ばれる、音響効果に優れた高さ16m部屋(壁画が描かれている)などがある。また、城館の中ほどにある木造の渡り廊下からは、ソボトゥカ(Sobotka)の村を一望できる。
  現在これらの城館では季節ごとにコンサート、演劇、ナイトツアー、フェンシングといった行事がもよおされ、多くの人が訪れている。





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 ▲ヴァルドシュテイン城